三春狐(2)

 真田らが須賀川へ帰還してきて、「白河奪回できず」の報告を聞いた二本松諸兵は、信じられない思いだった。

 同じ日に、「磐城の平城落つ」との早馬も須賀川に到着したばかりだった。

 西軍は、棚倉及び浜街道の兵を、蓬田・小野新町方面から進め三春を調略し、白河方面における東軍の後方を絶とうとした。陸からも、海からも確実に西軍の手が伸ばされようとしていた。

「では、白河を諦めると申されるのかっ!」 

 丹波は坂英力や真田に向かって口角泡を飛ばす勢いで、食って掛かった。

「仕方があるまい。南部が西軍へ内通しているという話も聞こえてきている。それに、平が堕ちた今、相馬もどう動くか分からぬ」

 坂英力が苦っぽい顔で答えた。白河が奥州の要であるところは衆目一致するところであるが、最早、仙台藩の被害も甚大になりつつある。この上、自藩の戦力を割く余力があるかどうかは、仙台も自信がなかった。だが本当のところは、何よりも自藩の安全が大切であり、白河から仙台までは遥かに遠い。ぐずぐずして国元に帰れなくなっては、元も子もなかった。

 丹波は、会津の田中と顔を見合わせた。白河の関はそのまま会津へも街道が走っている。会津としても、白河口を押さえておかなければ困るはずなのだが、何よりも危急の縁に立たされているのは、二本松だった。

「それよりも、二本松が負け続けているのは、どうされたことか」

 皮肉めいた口調で、逆に真田が丹波に問うた。

「それは……」

 先日の軍議における増田の当てこすりを思い出した。仙台は、二本松を疑っているのか。

 確かに、二本松も西軍に勝てないでいた。だが、そもそもお主らの後始末で、多くの兵が失われたのではないか。そう怒鳴りつけたいのは山々だが、ここは公の議の場である。横を見ると、番頭の大谷鳴海や青山らが拳を震わせているのが、ちらりと見えた。

 丹波が黙りこくったのを見届けると、真田ら仙台の一行は「御免」と言って、席を立った。


 翌十六日には、東軍は矛先を変えて浅川を攻めた。白河奪還が無理であるのが明白である以上、周辺から巻き返して行くしかあるまい。誰からともなくそのような意見が出され、東軍はまずは棚倉奪還を目指すことにしたのである。会津、仙台、三春、二本松、棚倉の連合軍である。

 浅川の渡しを挟んで、両軍は対峙した。西軍がまずは先頭の会津兵に銃撃を集中させ、会津が崩れたところで西軍は浅川の後方に出て、仙台・二本松の兵に激しく撃ちかけてくる。

 ところがここで、驚くべき事態が起きた。

 応援に駆けつけたはずの三春藩が仙台兵に向けて発砲したという。

「まさか」

「あいつら、敵と間違えているのではないか」

 慌てて味方の旗を掲げたが、尚も三春は撃ってくる。

 裏切られた。

 この三春の裏切りもあり、東軍はまたしても敗北を喫した。東軍は須賀川と郡山に兵を退かせて、直ちに軍議が開かれた。

 当然、軍議の席では三春藩に非難が集中する。

「まず、三春を討つべきである」

 そう主張したのは、発砲された仙台藩である。

「三春は、前から背叛の噂がありもうしたな」

 丹波も重々しく頷いた。二本松藩ではどうも三春がきな臭いと睨み、既に七日に樽井弥五右衛門隊・大谷与兵衛隊を、三春との国境に派遣していた。元々、三春藩は二本松などと比較しても勤王の士風が強い風潮があったため、二本松でも警戒していたのである。

「怪しいと言えば、守山もそうだ」

 丹波らのいる陣にも、用人瀬尾右衛門兵衛から報告の使者が来ていた。十八日、二本松領である和田村において、守山藩の農民が紛れ込んでいた。守山藩は水戸藩の支藩であり、水戸宗家が恭順の意思を示している以上、これに倣うだろうというのが、二本松の見立てだった。

 両藩を討つべし、との声が高まった。

「だが、疑いだけで討つのは早計であり、士道に背かぬか」

 一旦探索を出して、それから申開きを聴こうではないか。

 ひとまず、細谷十太郎率いる衝撃隊(別名烏組)から三春城下に探索を出した結果、やはり西軍の使者らしきものを見かけたという。

「やはり、裏切っておったか」

 丹波は歯ぎしりをして悔しがった。

「いや、まだ決めつけられぬ」

 慎重論を唱えたのは、仙台藩士、氏家兵庫である。

「仙台藩に向けて発砲したのは、紛れもない事実。だが、反盟の証拠もないのにこれを討てば、同盟各藩の人心は離れるであろう」

 確かに、兵庫の言うことも一理あった。翌日、兵庫は三春に足を運んだ。

 面談した藩の重役はひたすら低姿勢で、「一時の錯誤なるものであれば」と繰り返し謝罪した。戦闘の混乱の中で、誤って発砲してしまったという。

「裏切りではないと申されるのだな」

 兵庫は強く念を押した。

「いかにも」

 三春の者たちは、平身低頭を繰り返している。この様子であれば、まことに間違えたのだろう。兵庫は、三春家臣の言を信じて帰営した。

 それだけではない。福島軍務局へ、「我が藩危急なり」と救援依頼の使者を遣わしている。あくまでも同盟を装うためだとすれば、実に巧妙な手口だった。

 瀬尾は、「三春辺から二本松に到るまで、押さえの兵がいない。ご一考されたい」との救援要請を出していた。


   ***


 銃太郎の元へも、父から手紙が届けられていた。文面は、次のようなものである。


(七月)五日、わが藩兵を須賀川口下宿村に出す。遊撃隊と称す。大砲隊は余と井上権平これを率ゆ。仙台藩軍事総裁坂英力一個大隊の兵を率い来り、須賀川に陣す。終日、大雨沛然、泥濘膝を没し、行動すこぶる困難にして、左右連絡不十分なり。弾薬尽く。利あらず。涙をのんで須賀川に退く。わが砲兵隊の戦死五名。


 事実だけが淡々と記されているその手紙に、義母であるミテは、黙って涙を流していた。父も、この雨に難儀しているようである。そして、また新たに城下で葬式が営まれた。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る