出陣命令 (1)

 西軍の動きは巧妙、かつ素早かった。

 二十六日午前八時。磐城方面から攻め込んできた西軍が三春領内を攻撃した。ここには大谷与兵衛らの隊二個小隊が駐留していたのである。この時はまだ、三春の動きを怪しんでいたものの、完全に裏切っているとは思わなかった。

「敵襲!」

 物見の兵の叫び声にがばっと老体を跳ね起こすと、大谷与兵衛はただちに下知した。だが、いかんせんこちらの数が少なすぎる。

「三春はまだ来ぬか」

 与兵衛は傍らにいた将兵に訊ねた。だが、将兵は首を横に降るばかりである。そのうち、「三春が裏切った」という信じ難い知らせが入ってきた。

「無念だ」

 与兵衛は止むを得ず、配下と共に郡山方面に走った。須賀川・郡山にいる丹羽丹波らの本隊と合流しようと考えたのである。


 ***


「先生、また駄目だったんですか」

 一同の声に、銃太郎は首を横に振った。もう、これで何度目の嘆願になるだろう。二日と明けず子供たちにせっつかれて嘆願書を出しているはずだが、さすがに子供を戦地にやる訳にはいかないと思ったのか。却下ばかりである。

「悔しいなあ」

 虎治が嘆息する。鼓手である者たちは、たとえ年少でも出陣が認められている。既に同い年の山岡房次郎や西崎銀蔵は鼓手であるため、それぞれ大谷与兵衛隊、高根三右衛門隊への所属が決まっていた。そういえば、房次郎の姿も久しく見かけていない、

 それだけではない。兵力不足を補うため、この頃には既に十六、十七の者にも出陣が認められていた。

「幾弥さんから、俺も鼓法を習っておくんだった」

 定治が口を尖らせた。そういえばあの小沢幾弥も、師範の朝河八太夫について出陣してしまっていた。もう、呑気に隊列を組んで城下を練り歩くことも、失くなって久しい。

「今日もまた弾作りかあ」

 金田熊吉が、よいせっと弾の入った箱を持ち上げた。

「いつになったら、藩の方々は我々を戦の場に出してくれるのでしょうか」

 皆の不満は、今にも爆発しそうだった。父や兄はもちろんだが、自分たちだってもう正確に銃弾を的に当てられる。模擬戦だって重ねたし、後は敵と戦うだけじゃないか。

 口々に不満を漏らす少年たちを、銃太郎は複雑な思いで眺めた。

 白河城は遂に奪還できなかった。それが十五日のことである。となれば、西軍が二本松に攻め入ってくるのは、既に時間の問題だった。

「先生、全部終わりました」

 篤次郎の元気な声に、銃太郎は、はっと顔を上げた。

「よし、ご苦労」

 そして、しばし考えた後に「天気が良いから、川へでも行くか」と述べた。川と言っても、北条谷近くを流れる小川である。

「いいんですか?」

 水野が目を丸くした。このところ、皆で遊ぶということもなかったのである。

「今日の分は仕上がったのだろう?」

 わーっと歓声が上がり、少年たちは思い思いに川の土手に向かって駆け出した。下男に、城から使いが来たらすぐ知らせてくれるように頼み、銃太郎は少年たちの後ろからゆったりとついていった。

 土手に着くと、どこから持ち出してきたのか、篤次郎が釣り竿に糸をつけて水中に垂らしている。少し離れたところでは、後藤鈔太と高橋辰治が、バシャバシャと水を掛け合ってふざけていた。

「もう。魚が逃げちゃうじゃないか」

 篤次郎が抗議してみるものの、二人は意に介していないようだ。

 篤次郎が魚釣りをしている場所から、剛介は、一人土手に座っていた。

「どうした。悩み事か?」

 傍らに先生が腰を下ろす。この機会にとばかり、剛介は先生に訊ねた。

「先生、敵は今頃どの辺りにいるのでしょう」

 銃太郎は首を傾げた。

「石川か、もしくは蓬田辺りかな」

 二十四日、西軍の板垣は棚倉の西軍を率いて一部を石川に残し、虚勢を示して須賀川にいた東軍に備え、主力軍は翌二十五日に蓬田に至り、同地に露営した。なぜか、敵は本道である奥州街道を北上せずに、間道を使って棚倉から浅川、石川方面に進軍している。ひょっとすると、平潟からの軍と合流して、一気に二本松に押し寄せるつもりなのかもしれない。いや、三春を確実に掌中に収めるつもりなのか。

「兄上は、須賀川にいらっしゃるのだったな」

 六月二十九日の川原田の戦闘には兄も加わっていたらしく、そこで重傷を負ったとの手紙が家に届けられていた。須賀川で療養しているとのことだったが、以後、手紙はない。

「兄上が戦場に出られないのならば、私が出たいです」

 剛介はぽつりと呟いた。

 銃太郎が何か励ましの言葉を掛けてやろうと思ったとき、遠くから下男の儀助が手を振っているのが見えた。銃太郎は慌てて立ち上がった。

 儀助がこちらへ駆けてくる。

「どうした、儀助」

「若先生、お使いの方がお見えです」

 銃太郎は、はっと身を固くした。言われると、向こうから確かに、勘定奉行である安部井又之丞付の家臣が来るのが見えた。

「ここにおったか。すぐ登城せよとのご命令だ」

「畏まりました。直ちに」

 銃太郎は、少年たちに手を振ると、急ぎ城へ向かった。

 大書院には、錚々たる面子が集まっていた。 

 大城代の内藤四郎兵衛や、同じく城代の服部久左衛門、軍監の広瀬七郎右衛門らが難しい顔をしていた。

「先程、三春方より探索が入った。三春は公然と領内に西軍を引き入れたそうだ」

「まことでございますか」

 銃太郎は顔を青ざめせた。

「間違いない。大谷与兵衛が知らせて参った」

 胃が捻れるようだった。三春の裏切りは、やはり事実だったのか。

 二十六日の夜、板垣らは三春に入った。以前から河野弘中らが恭順を説いていたというが、必ずしもそれだけで西軍に転んだわけではないだろう。

 二十四日には棚倉藩の小林孫三郎が三春に使者として赴き、歓待されている。二十五日には、三春の誠意を信じる氏家兵庫が軍務局の名に於いて保護した。小林は、三春の誠意を信じて疑わなかったに違いない。念には念を入れたのか、三春藩の大関兵庫が福島の軍務局に赴いた。

「些かも、他意はござらぬ。三春は列藩同盟の一員でござれば」

 大関は、正々堂々と軍務局の仙台兵を前にして陳述した。

 その一方で、二十六日の払暁には、件の「三春藩からの同盟軍に対する応援要請」を受けて、二本松からは大谷与兵衛率いる約二個小隊が、小野新町の地にあった。大谷らはよく戦ったが、待てど待てども、三春藩からの援軍は来ない。遂に潰走して、大谷与兵衛らは退却せざるを得なかった。

「三春め。奸賊に成り果ておったか」

 内藤が、怒りに体を震わせていた。

 こうなると、戦局も刻々と変化していくだろう。いつ、三春が西軍の手先となって嚮導してくるかもしれなかった。にもかかわらず、二本松の本隊は、未だ須賀川・郡山付近にある。

 領内の守兵は甚だ少ない。

 首脳陣は、周旋方の石田軍記を米沢藩に、同じく服部半弥を会津に急行させ、援軍を依頼した。さらに、星峡間を以て軍事総裁である丹羽丹波に、現在須賀川・白河方面に出陣している兵士を領土内に引き上げさせるよう命じたと言う。だが……。

「銃太郎。兵が足りぬ」

 広瀬が重々しく述べた。

「そなたは、明朝門人らを率いて出征せよ」

 銃太郎は目を閉じて、身を固くした。遂に、この時が来た。

「畏まりまして、候」

 それだけ答えるのがやっとだった。連れて行くのが子供ばかりであるのは、とうに分かっている。自分に出来ることは、一人でも多くの子を無事に帰してやることだけだ。

「頼む」

 内藤も重々しく頷いた。厳しい顔が、いつもに増して険しい。銃太郎は足の震えを押さえつけるように、拳を膝に押し付けた

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