出陣命令 (2)

 もっとも、当の子供たちはそんな大人の事情にはお構いなしである。三春背叛の急報が来ると直ちに武谷家にも伝令がやってきて、剛介の出陣命令が伝えられた。

「やったあ」

 無邪気にはしゃぐ剛介を、紫久は黙って見つめた。元々紫久は禰宜の娘である。武士の妻の心得として、笑顔で息子を送り出さなくてはと思うものの、素直にその教えに従うにはあまりにも酷い現実だった。

「母上。着物の仕立てをお願い致します」

 嬉しそうに、剛介がねだった。

「そうですね」

 紫久はやっとのことでそれだけを言うと、進の葛籠から黒っぽい着物を取り出してきた。これを、剛介の体の大きさに合わせて仕立て直すつもりなのである。

 二本松藩史には、


 一.筒袖は大概木綿または呉呂にして、今の児童の筒袖の丈短く膝の辺位迄なり。

 一.力紗羽織は地質は概ね絹呉呂(今のアルパカ)にして、普通の羽織の羽織を筒袖とし、背の縫目半分位裂けたものなり。

 一.兵糧袋は概ね呉呂にして、長円形の袋の前後に縁を附け、紐を通して屈伸を自在にして肩掛とせり。

 一.肩印の地質は麻布にして長さ三寸巾一寸五分位、中央に違棒の紋を画き、一方に鯨又は竹を当て、その中央を紐にて括り、左先に結び附けたり。


 とある。

 紫久は剛介の出陣の感傷に浸る間もなく、夜遅くまでせっせと針を動かさなければならなかった。

「着て御覧なさい」

 紫久が縫い終えたのか、剛介に試着するように促した。兄のものだった着物は、真新しい筒袖に仕立て直され、左肩には直違の紋がくっきりと浮かび上がっていた。

「おお、凛々しい姿だ」

 作右衛門がやってきて、褒めそやす。

「半左衛門に劣らぬだろう」

 父の言う半左衛門とは、武谷家がこの地に住むきっかけを作った人物と言われている。


 その勇名は織田家中でも鳴り響いていたらしく、大阪の陣では、半左衛門の息子たちが活躍した。中でも四男の勘弥は大将を首を挙げ、名声を轟かせた。だが、その名声を妬んだのが、蒲生がもう家の齋藤七右衛門だった。大阪の役が終わって帰国する際に、駿河の国の富士川の渡しで、勘弥と齋藤七右衛門は、諍いになった。

 その夜、齋藤は旅亭に忍び込んで勘弥を殺し、逃亡した。残された兄弟は齋藤への復讐を誓い、長兄の伝兵衛は江戸に留まり、七郎右衛門、儀左衛門は陸奥の国に下って須賀川に住んだ。時に寛永二年三月一八日、齋藤は郎党十人余りを引き連れて須賀川を通り過ぎたと聞くに及び、儀左衛門は釈迦堂川で齋藤に追いつき、斬ってかかった。兄の七郎右衛門と武谷兄弟と親しく交わっていた磯松権太夫は、三人一丸となって、齋藤一行を一人残らず討ち取って、日頃の本懐を遂げた。

 これを聞いた丹羽長重公が、「神妙な心がけである」と評価して、武谷家を召し出したというものである。


 武谷家に代々伝えられてきた伝承ではあるが、剛介にとって、密かな誇りであった。その祖先に恥じない働きをしてこい、と父は言っているのである。

 さらに、半左衛門は丹塗の脇差しを剛介に与えた。その鍔元には、武谷家の家紋が刻まれている。秋水のごとく、という表現がぴたりと当てはまるような、真剣特有の美しさが映える。刃には、にえの文様ががきらきらと輝いていた。

 「父上、ありがとうございます。必ずや、この刀に敵の血を吸わせて参ります」

 剛介は惚れ惚れと眺めた後、再び刀を鞘に納めた。チン、と音がすると作右衛門は我が意を得たり、とばかりに頷いた。そんな二人から、紫久はそっと目を逸らした。

「決して敵に背を向けるのではないぞ。ゆめゆめ、他の者に後れを取るな」

「はい」

 剛介は、力強く頷いた。

 

 同じような光景は、門下生の各家庭でも見られた。

 岡山篤次郎は出陣に際して、母のなおに自分への所持品全部に名前を書いてくれるように頼んだという。

「私は字が下手なので、敵に見られたときに恥ずかしいです。それに戦死して屍が腐った時に、お母さんが私を探す時に直ぐに分かるでしょう」と、その理由を述べた。すまは、篤次郎の衣装の襟や鉢巻にも「二本松藩士岡山篤次郎十三才」と書いてやったという。


 また、徳田鉄吉の父は既に亡くなっていた。父の茂承は文久三年に富津の在番を命じられたが、病気のために役目を果たせず、不甲斐ない身を無念として割腹している。だが、鉄吉はそれを知らないで育った。出陣が決まり、母の秀は仏壇の前で「当主佐七郎(兄)は出陣していますから、女子ではありますが出陣についての心得を話しましょう」と、語り始めた。

 聞けば、徳田家の遠い祖先は、天正の戦争(畠山義継と伊達政宗の合戦)の時に、君主の馬前で戦死した。夫茂承は、殿のご期待に添えないが為に、これを無念に思い果てた。

「お前は、兄上と二人で亡き父上の分まで、忠勤に励まなければなりません。他に後れを取らないだけではなく、他の倍は働きなさい」

 秀はそう述べて締めくくった。鉄吉は母の言葉に、神妙に耳を傾けた。


 上崎鉄蔵の家庭は、小身であったため裕福とは言い難かった。四人扶持である父の織衛が出陣してしまっていたので、戦陣で切り合いに堪え得る大刀は、もう一振も残っていない。

 鬱々としている鉄蔵の様子を見かねて、母のすまが詰問すると、「せめて、武士の魂である大刀だけは恥ずかしくないものを持っていきたい」という。そこで、すまは何処へやら外出してきた。しばらくして戻ってくると、その手には風呂敷包みの大刀があった。

 聞けば、実家である齋藤弥治兵衛の下へ行き、事情を打ち明け大刀を貰ってきたのだという。鉄蔵はにっこりと微笑んだ。

 大谷志摩隊の所属が決まっていた鉄蔵は、剛介たち木村道場の者よりも、一足早く出動することになっていた。

 出陣時刻になり、すまと祖母は玄関を出て、敷地の出入り口のところの生け垣で待っていた。鉄蔵が玄関から出てくる。

「行ってらっしゃい」

 二人が口を揃えて言うと、鉄蔵はかぶりを振った。

「行ってらっしゃい、ではありません。今日は『行け』とおっしゃるだけでいいんです」

 二人は思わず顔を見合わせた。その言わんとしているところは、「帰っては来ない」という意だったからである。

「お父様がお帰りになったら、鉄蔵は立派に戦死したとお伝えしてください。お祖母様、お母様。いつまでもお達者で」

 鉄蔵は一礼すると、生け垣沿いに歩き出した。


 


 

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