敗戦 (2)

 丸山の言葉は、その通りになった。

 九月二十二日には会津藩も降伏し、奥羽の地における長かった戦争が終結した。

 降伏が決まると、直ちに若松城内にいた者達は猪苗代に送られ、そこで謹慎処分を待つことになった。丸山も同じである。

 息子の秋月悌次郎は戦争の責任者の一人として、重い処分が下されるだろうと、丸山は嘆息した。

 もっとも、猪苗代の郷士である石川は員数に数えられず、そのまま猪苗代を自由に闊歩できた。よって、石川の縁戚という体で、剛介たちは再び猪苗代に戻ってきていた。

 季節は、既に冬である。

「四郎右衛門様。あの子らは、大丈夫でしょうか」

 石川は、心配そうに剛介と豊三郎を見つめた。今、大勢の会津の人々に囲まれて食事をしているが、どうにも周りの者と馴染めていない様子だった。

 特に剛介は、およそ表情というものが見られないのである。言われれば食事も取るし、頼めば用事も難なくこなす。だが、それだけだった。

「無理もない。国が亡くなったのだからな」

「自刃するようなことはないでしょうか」

 せっかく助かったのだ。自ら命を絶つような真似は、できれば避けてほしかった。

 それはない、と丸山老人は首を振った。

「あの子らは、自分たちが二本松の大切な種子であることを知っている。だからこそ、苦しんでいるのだろう」

 自暴自棄になって自害することもかなわないが、二本松に戻れば追われる身である。子供と言えども、武士として戦の場に立ったからには、どのような処分が待っているか分からない。二本松は城も城下も焼かれ、眼の前で友や恩師が死んだ。時勢は既に明治と改元され、元の暮らしに戻ることはないだろう。

 

 そして、ある日。

「剛介さん。二本松に帰らないの?」

 豊三郎が、剛介に訊ねた。

 剛介は、黙って首を横に振った。

 周りの大人たちの情報から、あの三春が二本松に入って民政を統治しているのは、聞いていた。そして、領外に逃れた人たちが城下に戻りつつあるらしい。

 だが、今さらどうしてあの地に戻れるだろうか。命だけは拾ったが、最後まで公の為に尽くすことが出来なかった。そして、二本松に戻ったところで、待っている人がいるか分からない。

「俺は、二本松に帰るよ」

 豊三郎が、きっぱりと言った。二本松へ行く人がいて、一緒に連れて行ってくれるという。

 剛介は黙ったままだった。

「……二本松に着いたら、消息を送ります」

 豊三郎はそう言うと、くるりと背を向けた。

 その日の夕餉に、豊三郎の姿はなかった。


 豊三郎が消えてしまうと、剛介はますます無口になった。

 そして、会津藩の処分も決まった。二本松の領土半減よりもさらに厳しい処分が、会津には待っていた。多くの藩士が東京に送られて謹慎処分、後に、領土は斗南藩に移封と決まった。

 もっとも、老人などは会津に留まることを許されているので、丸山四郎右衛門は会津に残ることを決めていた。

「二本松が恋しくはないか」

 不意に、目の前に徳利が差し出された。

 剛介は、驚いて徳利の主を振り返った。自分よりやや年上の少年が、そこにはいた。

「まあ、一つやれ」

 そんなことを言われても、酒など呑んだことがない。父や兄は、時折付き合いで嗜んでいたようだが、家には酒瓶はなかった。

 剛介に構わず、相手は勝手に飲み始めた。

「私は、東京に行かなければならない。増上寺で謹慎しろと言われた」

 鳥羽伏見の戦いからずっと容保公に従って会津に入り、そのまま籠城戦に突入して近辺をお守りしてきた。そのため年の割に罪が重く、当面新政府の監視下に置かれるのだという。ただ、南花畑にある自宅はどうにか無事らしい。  

 それにしても、この男はよく舌が回る。言葉に会津の訛りが少なく、綺麗な江戸風の言葉だ。この喋り方には、どこか聞き覚えがあると、記憶を辿ってみた。

 思い出した。あの、新式の銃を見せびらかしていた、小沢幾弥の喋りに似ているのだ。剛介は、あまりの懐かしさに、久しぶりに笑みを浮かべた。

「何がおかしい」 

 相手が怪訝そうに、剛介の顔を覗き込んだ。

「いや。二本松の朋輩に話し方が似ていただけだ」

「そうか」

 そこへ、少年の父親らしき男が姿を表した。

「こら、敬司けいじ。どこからそんなものを持ってきた」

 敬司の手にある徳利を見て、呆れている。

「いいじゃありませんか。会津での酒も、これで飲み収めになりそうですし」

 そして、剛介の方を見た。

「愚息が大変失礼を致しました。二本松の武谷剛介様ですな。それがしは遠藤と申します」

 剛介は、遠藤に向かって黙って頭を下げた。

「父上も、一つ如何です?」

 早くも酔いが回ったのか、敬司の目はほんのりと縁が赤くなっている。

「仕方がないな」

 父親は舌打ちをすると、盃を持ってきた。敬司の手から徳利を取り上げると、その中身を注ぐ。親子揃って、酒に強いのだろう。

 ままよとばかりに、剛介も生まれて初めて、酒を口にした。

 胃の腑を熱いものが流れたと思ううちに、頭がぽうっとしてきた。何だか、ふわふわして気持ちがいい。

「お主。これからどうしたいのだ」

 敬司が訊ねた。

「……どうしたら良いのか、分からないのです」

 会津の地に来て初めて、剛介は本音をさらけ出した。これが、酒の力というものだろうか。

「今まで、公の前で死ぬのが当然と教えられてきました。ですがその公は東京に送られ、私は死ぬことも許されなかった。兄は須賀川に送られたきりで、どうなったか分かりません。父も、軍監として城下の布陣に加わっていましたから、恐らく……」

 遠藤も、息子の敬司も黙って剛介の話に聞き入っていた。

「恩師も友も、皆死にました。私一人が、どうして生きて二本松へ戻れましょう」

 敬司が鼻をすすり上げた。

「母御は?」

 剛介は首を横に振った。

「城下を離れるつもりはあるようでしたが、どちらへ向かったのかも分かりません。その前に、出陣してしまいましたから」

 気がつくと、剛介の目からも涙がこぼれていた。

「学問も半ばにして、戦に臨んでしまいました。敵に背を向けるな、他の者に後れを取るなという父の教えも、守れませんでした。あの世で合わせる顔がありません」

「それは違いますな」

 遠藤が静かに言った。

「たとえ武士であっても、我が子は可愛いものです。この敬司の弟も、熊倉の戦いで十五で討死しました」

 そう言うと、遠藤はきつく目を瞑った。

「残された子を、これ以上死なせるわけには参りませぬ。私はたとえ賊軍の汚名を着せられても、我が子に生きてほしいと思います」 

 剛介は黙って聞いた。あの猪苗代での離別の際、鳴海様は自分たちを「二本松の大切な種子」と仰ってくれた。主君を失い故郷を離れても、尚、生きることを許してもらえるだろうか。

「左様」

 さらに、別の声が聞こえてきた。丸山である。いつの間に来ていたのだろう。

「あの夜、猪苗代で送り出した者らは、皆がそう思っていたでしょう」

 丸山は、静かに述べた。

「武士の面目にかけて、この丸山は二本松の皆様方とお約束した。二本松の種子を、大切に預かると。我々は負け申したが、武士の約束を違えるわけには参りませぬ」

 どうして、会津の人はこんなにも優しいのだろう。確かに、自分たちは否応無しに会津の戦に巻き込まれたのかもしれない。それでも、会津の為に戦ってきたのは決して間違いではなかった。

 命を永らえていれば、いつか二本松に帰れる日も来るだろうか。

「とは言え、丸山の家もどうなるか分からぬな」

 丸山が苦笑いを浮かべた。何せ、次男の悌次郎が既に戦犯とされている家である。

「丸山殿」

 遠藤が、膝を進めた。

「遠藤の家も、それは同じこと。惣領の敬司は上京を命じられ、竜二も奪われた。会津の地に残されたのはこの老身と、娘だけです。それでも幸い家屋も無事ですから、城下に戻ればどうにか暮らせましょう。よろしければ、武谷殿を遠藤の家にお迎えさせて頂けないでしょうか」

「それは、重畳」

 丸山が手を叩いた。

「剛介殿。この遠藤殿は学に明るく、義に篤い。きっと会津の父親として、二本松の種を大切になさるでしょう」

「……よろしいのですか?」

 孤児となった自分を、会津で養育するのは容易いことではないだろう。

「会津武士の魂まで取られたわけではございませぬ」

 遠藤が微笑んだ。

「剛介といったな。私からも頼む。私の代わりに、父と妹を守ってくれないか」

 脇から、敬司も言い添えた。

「分かりました」

 遂に、剛介は頷いた。

「これからよろしくな、義弟よ」

 敬司が、少年らしい笑顔を開いた。


 ***

 

 翌日、剛介は遠藤に連れられて若松へ赴いた。

 その右手には、一〇歳になるという女の子の手が握られていた。 

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