敗戦 (1)

 坂下ばんげに着いたのは、四つ刻(午後一〇時)だった。さすがに人々は寝静まっているが、そもそも人気が少ない。

「ここだ」

 石川が、とある庄屋の家の前で馬を止めた。

「これは、石川様」

 家の主が、目をしょぼつかせながら出てきた。

「丸山四郎右衛門様が、士道を掛けてお守りしようとしているお子たちだ。丁重にな」

「へえ」

 主は柔順に従った。

「まずは、床を延べましょう」

 剛介と豊三郎は、頭を下げた。

 二本松を出てから、このように落ち着いて、布団で眠るのは初めてではないだろうか。


 だが、束の間の平安は、長く続かなかった。西軍は母成峠を陥落させた勢いそのままに、二十二日には日橋川にっぱしがわにかかる十六橋じゅうろくきょうを渡り、翌二十三日には、遂に会津城下に攻め入った。

 石川は、二十二日にまだ猪苗代にいるはずの丸山の元に戻ろうとしたが、十六橋が敵の手に落ちたために戻れず、すごすごと引き返すしかなかった。

 主の命令とは言え、他の藩の子弟をどうしたものか。

 悩んだ末に、石川は、若松城に向かった。

「秋月様はおられますか」

 城の中でもてんやわんやだというのに、このような私事のために、重臣である秋月悌次郎あきづきていじろうを呼び立てて良いものか迷ったが、石川も既にあの二人を何が何でも守ってやる気になっていた。ここで見捨てては、会津の名折れである。

「どうした」

 強清水こわしみずの戦いから戻ってきたばかりの悌次郎は、戦塵で真っ黒だった。

 実は、と石川は事情を打ち明けた。

(父上も、酔狂な)

 悌次郎はそう思わないでもなかった。今は、会津のことで精一杯である。だが、父の言うように、会津のために二本松が死力を尽くしてくれたのは事実だ。その恩義に報いるのが、まことの武士であろう。

「分かった」

 悌次郎は、頷いた。

「父上の仰るように、城下で匿うのでは危険すぎる。また、越後口も敗れた今、坂下もどうなるか分からぬが、まずはその辺りの子供のように振る舞わせよ。そして、そちが命を賭して、その少年たちを守れ」

 石川はほっとした。やはり、藩の俊才と言われただけのことはある。確かに、坂下の地で他藩の子がいるのは目立ちすぎた。

「畏まりました」

「どの道、多くの者が逃げているだろう。その庄屋に申し付けて風体を改めさせ、お主も含めて縁者ということで、よく言い含めよ」

 

 坂下へ戻った石川は、悌次郎の指示を剛介らに伝え、着物を改めさせ、髪も農民の子供のように結わせた。もちろん刀は身に着けられないが、脇差しだけは護身用として、隠し持つことを認めて貰った。

 だが、ほっと出来たのはそこまでだった。

 二十三日に、家の主が「若松の城下が燃えている」と、目を血走らせて報告してきた。

「何でも城内に入れなかった方々は、西兵の手で辱められるよりは、と多くの方々がご自害されたそうじゃ」

 剛介と豊三郎は、その話を聞いて真っ青になった。

 自分たちの母も、同じような道を辿ってはいないだろうか。

「子供に酷い話を聞かせるな」

 石川が叱った。

「ですが……」

 黙れ、と石川が睨んだ。

「もう、この子たちは十分地獄を見てきたのだ」

 それで、あらかたの事情を察したのだろう。二本松の落城の知らせは、この坂下にも届いていた。主は、それ以上特に言うことはなかった。

 そしてその四日後には、坂下にも砲声が響いた。

「片岡まで西軍が来ているようです」

 主は、がたがたと震えた。片岡は坂下から一里半のところにある村邑で、川を挟んで会津軍と西軍が対峙しているという。

「もう、好きにしてくだせえ」

 怖くなったのだろう。家の主は、とうとう逃げていってしまった。

「石川様……」

 剛介も震えた。ここまでか。

「諦めてはなりませぬ」

 石川は、小声で叱咤した。

「この闇夜で逃げ出しても追われるだけです。いっそ、やり過ごしましょう」

 そして、屋根裏に二人を追い立てると、自分も梯子をするすると上り、梯子を引き揚げて天井板を嵌めた。

 唇に、人差し指を当てる。絶対に、声を出すな。

 そう言うと、屋根裏の端に身を寄せさせた。

 間もなく、西軍の兵が入ってきた。だが、家財がほとんどないのを見ると、あからさまにがっかりしたのだろう。羽目板の隙間から、乱暴狼藉を働いている様子が手に取るように見える。

「おい、人の気配がしないか」

 西軍の兵士の一人が、首を傾げた。

 その言葉に、剛介は歯の根が合わなくなった。

「誰か確かめてみろ」

 ぶすりという音と共に、何度か槍の穂先が天井に刺さった。眼の前一尺程の距離にある板に穂先が刺されたのを見た時は、文字通り、息が止まりかけた。

「気のせいか」

 やがて、気の抜けた声で呟くと、西軍兵らは入ってきたときと同じように騒々しく出ていった。

 どれくらい時間が経っただろう。やがて、完全に撤収したのを見届けて、石川はふーっと息を吐き出した。

 

  ***


 剛介と豊三郎が一番身の危険を感じたのは、その時だったかもしれない。

 後は、時折城下から西軍が越後街道を進軍していくのも見かけたが、坂下の者に手出ししている暇がないのか、剛介らを見ても、怪訝そうな顔をするだけだった。どうやら先の兵は、越後口から進行してきた別の隊を迎えにいったようである。また、一度は逃げた主も再び戻ってきて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

 だが、若松の戦はまだ続いている。そして、九月半ばに差し掛かった頃だろうか。

 猪苗代で送り出してくれた丸山四郎右衛門が、坂下に姿を見せた。

「丸山様!」

 二人を見て、丸山はちらりと笑った。

「ご無事でしたか。さすがに二本松の御子は強い」

 剛介も、命の恩人が無事なのが嬉しかった。

「お二人に、お伝えせねばならぬことがありましてな。城をようやっと抜け出してきました」

 剛介と豊三郎は、背筋を正した。そう言えば、二本松の方々はあれからどうなったのだろうか。

「米沢から、会津にも降伏するよう使者が参っております」

 

「それは、どのような意味でしょうか」

 豊三郎が、堅い声で訊ねた。

 意を決したように、丸山老人が述べた。

「米沢に滞在されていた丹羽左京大夫様は、先日、謝罪恭順の意をしたためた嘆願書を提出され、それが受理された由。間もなく、二本松にお帰りになり、当面謹慎処分となられるでしょう」

 謝罪恭順。

 その言葉の意味を飲み込むのに、しばらく時間がかかった。

「では、会津も……?」

 石川が、恐る恐るという様子で訊ねた。

「恐らく。悌次郎らが、西郷殿や佐川官兵衛殿らを説得している」

 剛介の体から、力が抜けていく。

 とうとう、賊軍の汚名を跳ね返すことが出来ずに、戦が終わってしまった。しかも、自分がいるのは二本松ではない。異郷だ。

 会津を助けることも、叶わなかった。

 豊三郎が、そっと手を握ってくる。

 いつもだったら、兄代わりとして握り返してやるのだが、その手を乱暴に払い除けた。

「うわあ!」

 剛介は、床に伏して大声で泣いた。いつまでも、いつまでも。


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