猪苗代 (2)

(その通りだ)

 口には出さないが、鳴海も同じ思いだった。今まで、白河や本宮、そして城下の戦いで先頭に立って来たのは、丹波ではない。鳴海らを始めとする、多くの兵士だった。どれだけの者たちが、丹波の無策の犠牲になってきただろう。

 死んだ渡邊新助らの提言を握りつぶし、大切な時期に和議派と強硬派の不毛な争いを放置したまま、白河に出陣したのは、他ならぬ丹波だった。そして軍事総裁の名を使って慣習を破り、年少者の出陣を決めたのは、眼の前にいる男ではなかったか。

 平時ならば、三浦を宥める役に回る与兵衛も、何も言わない。昨晩、二人でこっそり交わした会話を、鳴海は思い出していた。

 これ以上無駄死にする者が出れば、本当の意味で二本松は亡びる。

 多くの兵の怨嗟の声を、三浦が代弁していた。 

 尚も、三浦は言葉を重ねる。

「私は多くの戦いを重ねて強敵に当たり、悪戦苦闘してきた。それでもなお、二本松の回復を望んでいる。

 貴方様は、恐らくは吾が後塵を仰ぐことすらできますまい。私の草鞋の底でも崇めているべきではないですかな?」

 強烈な毒舌だった。だが、正論であった。


 大人たちの口論を、剛介は涙を浮かべながら、黙って聞いていた。もう、何が正解なのか分からなかった。  

 政治的な事情は、よく分からない。ただ、眼の前の光景が無性に悲しかった。

 もう二本松に帰れるかどうかも定かでないのに、なぜこんな事になっているのだろう。

 いがみ合っている場合ではないのに。

 剛介の目から、一粒の涙がこぼれた。


「少しよろしいですかな」

 不意に、その場にそぐわない、のどかな声が聞こえた。声を発したのは、握り飯を与えてくれた老人だった。

「何ですかな、丸山殿」

 今や口も利けぬ丹波に代わって、与兵衛が答えた。すると、この方が石川の言っていた丸山四郎右衛門様か。その奇縁に驚き、剛介は丸山翁に顔を向けた。

「僭越ながら、拙者がこの者たちをお預かり致そう」

 思いがけない申し出だった。会津で、剛介と豊三郎を保護してくれるというのである。

「いや、それは申し訳が立たぬ」

 ようやく、茫然自失の状態を脱したらしい丹波が慌てた。さすがに、他藩に子供の保護を求めるのは、丹波の矜持が許さないのかもしれない。

「気にされることはございませぬ。私の知行地が坂下ばんげにありますれば、そちらへお連れ致す所存でございます」

 母成峠が破れたからには、若松城下にも西軍が押し寄せるだろう。そこを避けて、少しでも安全なところへ匿ってくれるというのだ。

 丸山は、にこにこと笑っている。だが、その目は笑っていなかった。

「もう、この者たちはよく戦いました。二本松で立派に戦い、多くの友を失いながらも業火の中を脱し、山入や母成峠でも戦ったというではありませぬか。これ以上何を望むことがあるでしょう」

 丹波は再び黙り込んだ。まさかの会津からの申し出である。

 鳴海も、目を見開いた。

(だが……)

 会津も間もなく戦火に焼かれるだろう。それで、この少年たちの無事が守れるだろうか。

「この子らは」

 丸山が、剛介と豊三郎をじっと見つめた。

「二本松の大切な種子でございましょう。その種子は、潰されぬよう守り抜かねばなりませぬ」

 それに、と丸山は続けた。

「|こたびの戦は、大本は会津に責任がござる。だが、会津は白河を守ることができず、そればかりか二本松の領土を焼き、皆様が大切にされてきた民をも巻き込んだ。その罪は到底償いきれるものではございませぬが、せめてこれくらいことは、させて下され」

 

 剛介は、丸山の言葉に心が揺らいだ。出来ることならば、二本松の人とどこまでも行きたい。だが、その一行は明日をもしれない運命である。

「剛介さん……」

 豊三郎が囁く。やはり、迷っているのだろう。

 この先、自分たちがついていっても、結局は足手まといになってしまうのではないか。それこそ皆を無駄死にさせてしまいやしないか。

 そして、何よりも。

 もう、疲れた。結局、どの道を選んでも、命の保証はしかねるのだろう。

 ならば、いっそ会津に身を委ねてみようか。

 ふと顔を巡らすと、二本松の大人たちは一様に目に涙を浮かべていた。あの、鬼鳴海と称された鳴海ですら泣いている。ただ一人、丹波を除いては。

 丹波の表情を見た途端、剛介の心は決まった。

 もう一度顔を巡らせて、鳴海と視線が合った。

「鳴海様」

 鳴海は、黙って頷いた。

 何も言わないが、視線ははっきりと物語っていた。

(生き延びよ)

 今度は豊三郎に顔を向けた。豊三郎も頷く。恐らく、剛介と同じ思いなのだろう。

 剛介は丸山に体を向けて、しっかと視線を合わせせた。

「丸山様。どうぞ、我らを宜しくお導き下さいませ」

 きっぱりと言うと、豊三郎と二人、深々と畳に額をつけた。

「相分かった。任せておくが良い。会津武士の矜持にかけて、この丸山四郎右衛門がお二方をお守りしようぞ」

 丸山が、憂眉を開いた。申し出てみたものの、剛介たちがどう出るか心配していたのだろう。

 いつの間にか、とうに外には白白とした月が上っている。

「石川。この者たちを、坂下の長のところまでお連れせよ」

 きびきびと、丸山が命じる。どうやら、二人をすぐにでも出立させるつもりのようだった。確かに、移動できそうなのは今しかない。

「馬を借りて参ります」

 丸山に命じられた石川が、表へ駆け出した。会津の地理に疎い剛介には、坂下がどこにあるのかよく分からない。だが、馬を使うということは、猪苗代から大分離れたところにあるのだろう。

 駅亭はすぐ近くなのか、四半刻も待たずして石川は二頭の馬を引いてきた。これしか見つからなかったと言うが、十分である。

 二人は石川に急き立てられ、玄関へ回った。

「鳴海様。皆様方」

 胸が詰まり、剛介は思わず呼びかけた。

「このご厚誼、生涯忘れませぬ」

 地面に片膝をついて、身を屈めた。豊三郎も、それに倣う。

 思えばあの日、竜泉寺で鳴海に導かれてここまで来たようなものだった。それが良かったかどうかは、この先生き延びてみないと分からないのだろう。

「武谷剛介。久保豊三郎」

 鳴海が重々しく呼びかけた。

「そなた等は、二本松の大切な御子だ。それを決して忘れるな」

「はい!」

 石川がぴしりと馬の尻を叩くと、剛介の乗った馬は、勢いよく駆け出した。

 それと同時に、鳴海とは別のくぐもった声が遠く聞こえた気がした。

「済まぬ」

 だが、剛介が声の主を確かめる間もなく、馬は夜道を駈けていった。


「行ってしまったな」

 与兵衛が、寂しげに鳴海に笑いかけた。短期間ではあったが、母成峠で共に戦った少年たちは何人もいた。きっと、一人ひとりが与兵衛にとって忘れがたいのだろう。

「間違ってはおるまい」

 先程、丹波を怒鳴りつけていた三浦が明るく言った。

「これ以上、二本松の大切な種子を潰すわけには参らぬ」

「そうだな」

 鳴海も頷く。

「さて、我々も急ごう。明日には、若松の麗性院様らをお訪ねしようではないか」

 藩公の家族は一旦米沢に向かったものの、その後分散してあちこちを転々としていたのである。

「御家老。冷えますぞ」

 鳴海が、まだ闇を睨んで肩を震わせている丹波に声をかけた。

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