猪苗代 (1)

 剛介と豊三郎は、それから山中をさまよった。季節はとうに秋になっている。出来ることならば、日が落ちてくる前に猪苗代に着いてしまいたかった。

 あの滝のところからさらに一刻ほどもさまよっただろうか。落ちていく日を追いかけるように西へ進み、ようやく街道が見えたときにはほっとした。

「誰だ!」

 突然、誰何すいかの声がして二人はびくりと身を震わせた。だが、声の抑揚は明らかに地元の人間である。

「二本松の者です」

 剛介は相手を安心させるために、街道に姿を見せた。

「何と。子供ではないか」

 まさか、二本松の残兵の中に子供が混じっているとは思わなかったのだろう。だが、腰の物と肩章を見ると状況を把握したらしく、猪苗代に連れて行ってくれるという。

それがしは石川と申す」

 相手が名乗りを上げた。昨日も今日も戦ってきて、もはや足腰に力が入らなくなっている。だが、急がねばならなかった。

 猪苗代の町までの道中、石川は簡単に説明をしてくれた。何でも、石川の主の丸山様は、会津藩の中でも保科正之公以来の名家なのだという。元々石川は猪苗代の郷士であり、当時の猪苗代城代であった丸山五太夫に見出された。今はその縁戚の四郎右衛門に仕えているとのことだった。

 酸川野の集落まで下ってくると、豊三郎が「あっ」と声を上げた。前方の猪苗代城下に火の手が上がっているのが見える。

「まさか……」

 西軍は、もうここまでやってきたのだろうか。だが、石川は首を横に振った。

「大丈夫。燃えているのは猪苗代城と土津はにつ神社だけのようです」

 このときの猪苗代城代はずっと各地を転戦している田中源之進の代わりに、高橋権太夫が守っていた。だが、母成峠の敗報を聞くと、西軍の拠点にされるのを避けて自ら放火したのである。

「何と言う真似をするのだ」

 石川は憤慨しているが、剛介や豊三郎にとっては、所詮、他人事であった。

 間もなく、大きな庄屋の家に連れて行かれた。丹羽丹波から既に伝達があり、今晩はそこに宿陣するという。

 三人が到着すると、既に先に到着していた二本松兵の姿もあった。その中には、猿岩にはいなかった顔もある。もしかしたら、丹波らと一緒に、萩岡方面で戦っていたのかもしれない。

 そういえば、釥太や水野はどうなっただろう。朝にちらりと見かけたきりで、まだここには来ていなかった。

「石川。ご苦労だった」

 背後から、人の良さそうな老人がひょいと顔を覗かせた。そして、その場に剛介と豊三郎の姿を認めると、目を見開いた。

「何と、二本松の……」

 そして手招きすると、二人をくりやへ案内し、握り飯を一つずつ与えてくれた。そういえば、腹が減っていたのを思い出し、二人は貪るようにそれを平らげた。

「よく、無事に来られた」

 孫でも見るような目で、愛おし気に呟く。

「まことにのう」

 勝手に、先程広間にいた二本松藩士が入ってきた。

「そなた、武谷先生のご子息であろう。年端の行かぬところを見ると、下のご子息か」

 相手が遠慮なく訊ねた。どうも、この人も父を知っているらしい。そんなに自分は父に似ているのだろうか。

 聞けば相手は三浦義制ぎせいといい、剛介たちが砲術を習い始めた時期には、西洋火薬の取調べや雷管製造に従事していた。だが、七月からは藩命で会津にプロイセン砲について学びに来ていたのだという。そのため、帰藩が間に合わず、会津陣営にあったとのことだった。今日も、萩岡で二人斬って斃してきたが、戦局を見てやむを得ず猪苗代まで下ってきた。

「先の城下戦に間に合わなかったのは、誠に遺憾であった」

 三浦が、悔しげに顔を歪めた。

 そのとき、門の方が騒がしくなった。

「丹羽丹波様ら、ご到着」

 剛介と豊三郎は顔を見合わせた。

「やっとご到着されたか」

 その声は、幾分棘が含まれていた。どうやら、この三浦も丹波が苦手なようである。子供である自分たちも軍議に参加して良いものやら迷っていると、近くの武士に「湯漬けをお持ちせよ」と命じられてしまった。

 渋々湯漬けの乗った盆を持って、広間へ向かう。そこには、疲れ切った顔をした与兵衛や鳴海、そしてこれ以上ないだろうというくらい不機嫌な顔つきの丹波が据わっていた。

 意を決して「湯漬けをお持ちいたしました」と丹波の前に湯漬けを置き、そそくさと立ち去ろうとした。

「待て」

 鋭く丹波が呼び止めた。

「そなた等も、二本松の武士の子ならばそこに控えておれ」

 まさか、丹波には逆らえない。剛介と豊三郎は小さくなって、座敷の片隅に正座した。

 丹波はあっという間に湯漬けを平らげ、丼を置いた。与兵衛や鳴海も、それに倣う。

 そこへ、広間には会津藩の重役らしき者も数名入ってきた。その中に、先程の老人が混じっているのに、剛介は気がついた。

「さて、よろしいですかな」

 老人が切り出す。どうやら、軍議の進行役として呼ばれたらしい。

「その前に、話がある」

 丹波が遮って、じろりと剛介と豊三郎を見据えた。

「我々より早く到着しているとは、どういうことだ」

 その声に、剛介は身が凍りついた。隣で豊三郎も固まっている。

「会津の方に、助けて頂きました」

 剛介は小声で弁解した。

「ほう。最後まで死力を尽くそうとは思わなんだか」

 そう言われると、返す言葉がない。丹波は、自分たちが「生命を惜しんで逃げ出した」と考えているのか。

 悔しさと情けなさで、涙がこぼれそうになる。

 先生を始め、多くの仲間を失った。自分たちも、そのようにするべきだったのだろうか。

「答えよ!」

 丹波の怒声に、身が震えたその瞬間。

「お止めなさいませ」

 丹波に負けないくらい、怒気を孕んだ声が響いた。驚いて、俯いていた顔を上げる。

 声の主は、あの三浦だった。

「年少の者に当たるとは、それこそ二本松武士の恥でございます」

 丹波の怒りの矛先は、今度は三浦に向けられた。

「そなた、儂に意見するのか」

 丹波は、今や顔を真赤にしていた。だが、誰も二人を止めようとはしない。

 異様な空気に構わず、丹波は続けた。

「そういえば、そなたも我らより先に到着していたな」

 じとりと、嫌な笑みを浮かべる。

「脱走して一人何処にいた」

 丹波の皮肉に、ついに三浦の堪忍袋の緒が切れた。

「何を申されるか!」

 三浦の怒号が響く。今や、丹波に負けないくらいに真っ赤な顔をしていた。

「国家老の重職にありながら、藩論を定めることができなかったのはどなたでございますか」

 与兵衛や鳴海の顔色も変わった。長年の三浦との付き合いから、逆上した三浦は誰にも止められないことを、二人はよく知っていた。

「最も重責を負わねばならぬ立場でありながら、城の危急を救うことができなかったではございませぬか。

 多くの者の義を辱め、名を汚し、それでもなお死ぬことができなかったのは、どなたでございます?

 生を頼みてこの地に逃れ、貴方様だけが、人を責めて止まない。違いますかな?」

 三浦の目には、水っぽいものが浮かんでいた。

 しん、と座が静まり返る。

 丹波の顔色は、今や真っ青だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る