二本松を奪還せよ (1)
剛介たちがようやく母成峠に着いたのは、その翌日だった。大谷鳴海は与兵衛と共に母成峠に陣を
「よくぞここまで、無事に辿り着けたものよ」
鳴海は、三人を労ってくれた。それだけでなく、部下に命じ、剛介の背中の火傷の手当もしてくれた。あの後、十丁程も走ってからようやく鍋を捨てたが、時既に遅く、剛介の背には大きな水疱が出来ていた。小柄でその袋を破いて中の水を力いっぱい絞られたときには、思わず痛みに呻きかけた。その後、濡らした手ぬぐいで傷口を清めてもらい、ぎゅうぎゅうと晒を巻かれた。
手当が一段落して改めて辺りを見回すと、母成峠はあちこちに塹壕が掘られたり、砲弾避けの胸塁が築かれたりしていた。
それだけではなく、幾棟もの丸木小屋が建てられている。簡易小屋であるから、壁の代わりに萱が使われており、土間には藁が敷かれてその上に筵が敷いてあった。
三人は、宿舎に充てがわれた小屋に、ごろりと横たわった。たちまち、睡魔が襲う。振り返ってみれば、連日の逃避行で、まともに眠れていなかった。
やっと二本松の仲間に出会えた。
その事実がただ嬉しく、剛介は背中に出来た火傷の痛みも忘れ、いつしかあの白亜の箕輪門の夢を見ていた。
「寝かせておいてやれ」
見張り番をさせるため剛介を起こそうとした部下を、鳴海は止めた。まだいたいけな子供を遥々このような地まで逃亡させてきたのは、自分たち大人の責任である。せめて、今日くらいはゆっくり休ませてやろう。
「それで、鳴海様。丹波様にはお目にかかれたのですが?」
部下の左兵衛が訊ねた。
「ああ。丹波様とは木之根坂でお目にかかった。今は、
そのときの事を、鳴海は苦々しく思い出していた。
***
鳴海と五番隊の軍監である
見えてきたのは、中央にいるのが幕臣の吉村要之介。その左右に、丹羽丹波、浅尾数馬之介が
丹波は鳴海と黒田に向かって、高らかに宣言した。
「これより、二本松へ斬り込んで死ぬ。伴をせよ」
鳴海は呆れて、傍らにいる黒田を振り返った。その黒田の顔にも、困惑の表情が浮かんでいる。
わずかな人数で城に斬り込んだとしても、城を取り戻す見込みなど、あろうはずがない。子供でも分かる理屈だ。
「どうされます?」
丹波等の耳に届かないように、黒田が小声で鳴海に訊ねた。
「この場を退こう」
鳴海は、口元に狡猾な笑みを浮かべた。丹波の感情論につきあわされるのは、真っ平である。
「一刻も早く会津へ赴き、向後の策を立てる方が得策であろう?」
(全く、このお人は)
黒田も苦笑いを浮かべた。だが、黒田はそんな鳴海が嫌いではない。時に突飛な行動と思われることもするが、多くの場合は、理に適っているものだったからである。
二人の返事を待つのがもどかしいのだろう。丹波は苦虫を噛み潰したような表情で、じりじりとこちらの返答を待っていた。そして痺れを切らしたのか、浅尾に何か指示をしようとしたその隙をついて、鳴海は馬首の向きを土湯の方へ向けて、鞭を当てて駆け出した。黒田も、それに続く。
二人はそのまま土湯の小槌屋という宿に到着し、食事を取った。朝から戦闘に追われていたが、ようやく腹もくちくなり、正に出発しようとしたその時、再び見覚えのある顔が宿の玄関先から現れた。
「吉川殿か」
鳴海は溜息をついた。宿先に姿を見せた使者は、丹波と共にいた吉川左司馬である。吉川は、二人をきつく睨んだ。
「丹波様より、至急戻られよとのご命令です」
「やかましい」
苛々と、鳴海は述べた。上役が上役なら、家臣も家臣である。今更、少人数で斬り込んでどうするというのか。鳴海はぞんざいに立ち上がり、黒田に目配せした。再び、土湯から遁走するつもりなのである。だが、今度は運がなかった。丁度、青山甚五右衛門もやってきたからである。
「丹波様も、只今ここにお着きになります」
ということは、嫌でも顔を合わせることになる。このまま犬死に道連れにされては、たまったものではない。
「顔を合わせるのは、面倒だ」
「ですな」
阿吽の呼吸とでも言うべきか。鳴海と黒田はさっと甚五右衛門や吉川の脇を駆け抜けると、そのまま騎上の人となった。時刻は夜半であるにも関わらず、土湯から
翌朝、横向を発つと
「二本松藩は、降伏したというではないか」
「馬鹿なことを」
その居丈高な物言いにむっとした鳴海は、負けじと睨み返した。会津の下々の者は、二本松の落城など一片の痛痒も感じていないのではないか。
そこへ、丹波らの一行もやってきた。丹波が、ちらりと鳴海に目をやった。どうやら、「城に入って討ち死にする」というのは、一時的な錯乱による言であったらしい。
「先に参っておったか」
嫌な人間が来た、と思わないでもない。だが、さすがに二本松の軍事総裁は、番頭よりも立場が強かった。丹波が二本松の落城について説明すると、君公へ仔細を知らせるために、ようやく黒田と甚五右衛門の米沢出立が認められた。
***
左兵衛に説明してやる鳴海の声は、幾分苦々しげだった。主力部隊を率いていながら、結局丹波は城下戦に遅参した。途中会津との折衝に追われ遅参したとのことだったが、鳴海の耳には言い訳にしか聞こえなかった。
「丹波様もお悔しいのでしょう」
とりなすように、左兵衛が言う。あの丹波のことだ。これで諦めるとは左兵衛にも考えられなかった。
「ああ。あの御仁のことだ。きっとまだ何か考えられておるだろう」
鳴海は口元を結んだ。
鳴海にとっても、西軍の所業は許しがたい。弟の衛守が殺されたのもさることながら、今は会津侵攻の最前線基地の一つとして、西軍は二本松にも滞留していると聞こえている。それが何よりも、鳴海は許せなかった。会津と共に戦って、必ずや二本松を取り戻す。その為には、丹波への個人的な感情は一先ず横に置いておくべきだろう。
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