霞ヶ城炎上 (2)

 大隣寺の裏手から、山裾を縫うようにして走っていた剛介は、西門近くで足を止めた。この道は、本丸へも続く道である。霞ヶ城のある山腹、中程のところに火が見えたような気がしたのだ。

 あそこには、確か土蔵奉行の影山様の役宅があったのではないのか。慌てて来た道を数丁引き換えしてみると、御殿からも火が上がるのが見えた。

(城が落ちた……)

 城内から火を付けたのか、それとも敵の手に渡って火を放たれたのかは、ここからでは判じ難い。だが、幼い頃より親しみ、敬学館附設の手習い所や北条谷に通うたびに見上げてきた御城は、今、炎に包まれていた。

 剛介は声を殺して泣いた。

「誰かそこにいるのか」

 突如藪の中から声がして、剛介はびくりと体を震わせた。反射的に、刀の柄に手をかける。だが、大人の声ではない。

 がさごそと音を立て、何となく見覚えのある顔が現れた。

「武谷先生の次男……だったか」

 剛介は頷いた。眼の前の少年は、確か学館で何度か見かけたことがあった。歳は一つ上ではなかったか。そんな剛介の疑問に答えるかのように、相手は声を顰めながら言った。

丹羽にわとら次郎じろうだ。丹波様のお屋敷に住まわせてもらっている」

 そういえば、丹波様のところにはそのような人がいると、半左衛門から聞いたことがあった。

「これから、竜泉寺りゅうせんじの大谷鳴海殿の陣に向かう。一緒に来るか?」

「はい」

 年上の寅次郎の言葉は、頼もしく聞こえた。

 二人は、眼下に西軍兵の影がないのを確かめながら、竜泉寺へ向かった。


 竜泉寺に着くと、そこにはまだ西軍の手が及んでいなかった。剛介と寅次郎は、ほっとした。

 だが、一刻の猶予もならない。

「大谷鳴海殿に、お取次ぎ願おう」

 寅次郎が、傲然と眼の前にいる足軽に伝えた。

「子供じゃないか。とっとと逃げろ」

 足軽が、血走った目で睨んだ。寅次郎も剛介も戦場から戻ってきたため、身なりは既にぼろぼろである。どうも上士の子であることすら、気付いてもらえないようだった。

「無礼な。鳴海殿に取り次いでほしいと申しているのだ」

 寅次郎が苛立って、足軽を叱った。そこへ、当の鳴海が姿を現した。

「寅次郎殿ではございませぬか」

 どうやら鳴海は、丹波の屋敷に住む寅次郎とも面識があるようである。相手は家老坐上の身内だ。番頭である鳴海も、粗略にするわけにもいかないのだろう。非常事態であるにも関わらず、剛介は妙なところで寅次郎に感心した。

「鳴海様。これからどうされるおつもりですか」

「そうですな」

 鳴海が束の間、ためらいを見せた。子供相手にどこまで話すべきか、迷ったのだろう。だが、すぐにきっぱりと言った。

「会津と共に戦おうと思います」

 聞けば、丹波も二十七日の夜に本宮を出立してきたのだという。だが、翌二十八日に二本松に入る予定が本宮にいた西軍に阻まれ、大回りして安達太良山麓を回って、土湯に駐留していた会津の兵と合流しようとしている。先程、土湯にいる丹波から早馬が来た。

 さらに二十七日の本宮の戦いのときに、大谷与兵衛に胸中を打ち明けて、与兵衛は先に母成峠に回ったはずだとのことだった。母成峠は二本松と会津の国境でもあり、ここには砲台が築かれていた。西軍が仙台と会津のどちらから先に攻略するかこの時点ではまだ情報が入っていなかった。そのため、どちらの場合でも身動きできるように手配したという。

「なるほど」

 寅次郎が頷いた。

「仙台からか会津からか。それは分かりませぬが、二本松の武士として、このまま引き下がる訳には参りませぬ」

 鳴海はきっぱりと言った。

「分かりました。では、我々も会津へ向かいます」

 寅次郎が決断を下した。側で剛介も同意するかのように、頷いた。

「私も、衛守様の仇を討ちに参ります」

 剛介も脇から言い添えた。そこで、鳴海は初めて剛介の顔を見た。

「確か、武谷殿の二番目のご子息でしたな。剛介殿と申したか」

 剛介が鳴海に会うのは、これが初めてだった。だが、一目で半左衛門の息子だと分かったという。

「面差しが良く似ておられる」

 そう言うと、鳴海は少し笑った。父は、どれだけ息子の自慢をして回っていたのかと思うと、少し気恥ずかしい。だが、その父も両社山ではどうなっただろう。

「剛介殿。まずはご自身の身を大切にされよ。そして、会津でお待ちしておる」

 鳴海は、二人が逃亡するくらいの時間は、ここで稼いでくれるという。

 時間がない。剛介と寅次郎は一礼すると、塩沢方面に向かって走り出した。


 二人が塩沢村に向かう滝沢街道の永田番所まで来ると、そちらには既に西軍の姿があった、

「こっちにも回っていたか」

 寅次郎が、いまいましそうに唇を噛んだ。既に、日は西に傾きかけている。それにも関わらず、城下方面はあちこちから煙が立ち昇っていた。

 ふと、「剛介」と呼ばれたような気がして、剛介は呼ばれた方を振り返った。この声は……。

「こっちへ」

 声の主は、大隣寺で別れたはずの釥太だった。

「木村隊の者か?」

 寅次郎が小声で剛介に訊ねた。

「はい。行きましょう」

 釥太に手招きされた方へ行くと、そこには豊三郎と、もう一人、手習所の同級生である山田英三郎がいた。別の隊にいた英三郎も、城下から逃げてきたのだという。

「私と剛介は、鳴海様にお会いしてきて、会津に向かうように指示された」

 三人は、顔を見合わせた。どうすればよいか、迷っていたのだろう。

「我々も、会津へ行こう」

 釥太が頷く。

「もうすぐ日が暮れる。西軍も、今夜はすぐに追うとは思えぬ。動くならば、今のうちだ」

 五人は、暗い滝沢街道をひた走った。

  

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