霞ヶ城炎上 (1)
丹羽一学は、小城代の服部久左衛門、そして郡代になったばかりの丹羽新十郎と共に。山腹の真ん中にある土蔵奉行の役宅に腰を下ろしていた。大城代である内藤四郎兵衛が命じたのだろう。眼下にある城下が業火を上げているのが見えた。
一学や新十郎は、二本松藩の代表として会津藩や仙台藩、米沢藩と渡り合ってきた。もしも和議派の言うように西軍に恭順していたら、二本松は、一時は保てるかもしれない。だが、我々の子孫はずっと「裏切り者」の誹りを免れないだろう。末永く二本松の名誉を守るために、彼等は「徹底抗戦」の道を選択した。事実、会津や二本松界隈では、「三春の者との縁組お断り」と長く言われ続けた。一度信義を裏切った者は、断じて許さない。武士道の在り方でもあるが、こうした奥羽人の気質を、一学らはよく理解していたとも言える。
いずれにせよ、三人は二本松藩の代表として、責任を取らなければならなかった。
「そう言えば、父君はどうされた」
ふと思いついて、一学は新十郎に訊ねた。
「さあ。昨日ちらりと姿を見たきりです」
淡々と、新十郎が答えた。二十七日に一学と新十郎が白石から戻って来てから、ずっと城に泊まり込みで各部隊への連絡などの諸事に追われ、とても義父のことまで気が回らなかった。
「和左衛門様のことです。きっと、まだ民の事を心配しているに違いありません」
久右衛門がくすりと笑った。和左衛門の民政好きは、家臣の間でも有名であった。民が好きすぎるあまり、いつも汚れの目立たぬ格好をして領民と見紛うこともあった。
「あの御仁も、平素ならば悪い方ではなかった」
新十郎は顔を上げた。一学と和左衛門は、反りが合わぬものとばかり思っていたのである。藩の奥羽越列藩同盟の中で周旋する困難さを、身を持って知っていた新十郎は、義父とはいえ、和左衛門に反駁することもあった。
「きっと、その言葉を聞けば父も喜びましょう」
新十郎は、大きく頷いた。
「あの世で見えたときに、和左衛門殿に詫びることにしよう」
一学が笑った。日頃より、過激派と目されていた一学とは思えない笑顔だった。
「勤王も間違ってはおらぬ。だが、我々が最も身を奉じなければならぬのは、二本松。殿であり、殿の民らであった。結論は、儂も和左衛門殿も同じであったという事よ」
確かにそうかもしれない。きっと父も一学も、最期に奉仕するべき相手は公であり、二本松と決めていたのだ。
「大島」
側に控えていた
「では、そろそろですな」
一学は短冊を取り出し、さらさらと筆を滑らした。
風に散る露の我が身は厭わねど
心にかゝる君が行末
最期まで長国公の身を案じるその歌に、短冊を受け取った大島は涙を流した。
「介錯を頼む」
一学が真っ先に腹を切り、久右衛門や新十郎がそれに続いた。大島は泣きながら彼等の首を刎ね、三人の従者を従え、役宅を出て火を付けた。役宅はみるみるうちに、炎に包まれる。
だが、すぐにはその場を立ち去らず従者と共に、しばらくひれ伏していた。そして声を上げて泣き崩れ、いつまでも立ち去ろうとはしなかった。
***
和左衛門は善之助に助けられて、本道よりかつての本丸跡へ登っていった。同じく、安部井又之丞も遠藤太七を連れて本町谷の間道から、本丸に登ってきていた。二人で申し合わせていたのである。
かつては勤王の志を同じくしていたが、二十七日の軍議では奉君の志が勝る又之丞と、あくまでも民衆の為に和議を結ぼうとする和左衛門は、道を違えたかにも思えた。だが、根底では二本松のために出来ることは全てやり尽くし、もう思い残すことはなかったものと考えられる。
「これから、二本松はどうなるのであろう」
和左衛門は静かに語った。
「老体は、もうこの辺りが引き際だったのでしょうな」
又之丞が小さく笑った。和左衛門は六十六、又之丞は一つ下の六十五である。
家老丹羽丹波を始め、既存の権益や頑迷な因習に囚われていた者も多かった。若手の意見にもっと耳を傾けていれば、また違った道もあったのかもしれない。
そういえば、この男の息子たちで今二本松にあるのは、三男の壮蔵だけだった。長男の清介は奥羽越列藩同盟の為にまだ白石におり、次男の正夫は京都警固の任に当っていた。この先、彼等の身がどうなるかは定かではない。だが命を永らえられれば、きっと彼等が、これまでの二本松の叡智を芽吹かせてくれるだろう。そう思うと、和左衛門の心は軽くなった。
そこへ、大島成渡の配下が息を切らせながらやってきた。
「今しがた、家老丹羽一学様、城代服部久左衛門様、郡代丹羽新十郎様。影山殿役宅にて、お腹を召されました。新十郎様は『新十郎は立派に死んだとお伝えせよ』と仰せだったの事」
和左衛門は、思わず膝を打った。
「新十郎、よくぞ果てけり!」
新十郎は、養子であった。意見を異にする時には理解し難い息子であったが、最期は立派に藩の為に身を捧げてくれたと思う。もう、思い残すことはなかった。
「彼等に後れまいぞ」
又之丞はこれから野駆けでもするかのような気楽さで、微笑んだ。
物陰から様子を伺っていた善之助と太七が進み出る。
「某らも、お供致します」
「ならぬ。そなた等はまだ年の盛りではないか」
和左衛門はにべもなくはねつけた。善之助と太七はわっと泣き伏した。
「では、せめて介錯を」
善之助は、尚も食い下がる。
「そんなものが何になるか。早く行け」
和左衛門は、二人を追い立てた。泣く泣く、二人は山道を下り始めた。
「では、お先に」
和左衛門は懐から扇子を取り出し、扇子に役名・姓名・年齢を書き記して己の前に置いた。ふと思いついて、足の裏に
床几に腰掛け、素早く腹に刃を突き刺して横一文字に切る。そして、腸を取り出したところで、息絶えた。長年の盟友の又之丞も、また和左衛門と同じように果てた。
***
大城代の内藤四郎兵衛は、物見から箕輪門付近まで兵が押し寄せてきているのを見た。供中口で勝利を収めた長州兵は、老人組が守る竹田門を難なく破って二手に分かれ、一方は城下に、もう一方はそのまま城を目指してきていた。その様子は、箕輪門近くの物見からでもよく見えた。
やがて、郭内の一ノ丁、二ノ丁からも火の手が上がった。それを見た四郎兵衛は、配下の者に告げた。最早、敵が城に突入してくるのは時間の問題だった。
「城に火をかけよ」
そう命じると、自身も伝来の甲冑を身に着けた。敵の手にこの城を明け渡して、好きにさせるつもりは毛頭ない。だが、このままおめおめと死んでたまるか。白河の戦いで嫡男の隼人を失った四郎右衛門は、一人でも多くの敵を斃すつもりだった。
(奸賊め……)
武将たるもの、城内で虚しく死んでたまるものか。
箕輪門のところには、旗奉行の高橋九郎がいた。その手には、藩祖以来の「金の枝蔓」の馬印がある。甲冑姿の四郎兵衛を一目見るなり、高橋はその意図を察した。
二本松武士の矜持を、今こそ見せる時である。
「皆の者。気概ある者は、内藤様に続け!今こそ、二本松の誇りを見せる時だ!」
オオ―ッと、背後で歓声が上がる。たちまち、数十名の城内に残っていた兵が集まってきた。
四郎兵衛は、門兵に命じた。
「門を開けよ。者共続けッ。
最期まで死力を尽くし、突撃して死のうというのである。
門が開くと、大声で叫んだ。
「我は大城代なり。霞ヶ城の首領である!」
数十人が四郎兵衛に続いて、箕輪門を超えた。西軍は予想外の出来事にぎょっとして、一瞬兵を引いた。だが、すぐに戦列を立て直し、無数の銃弾が城内から打って出た兵たちに浴びせられた。
四郎兵衛の体にも容赦なく銃弾が打ち込まれ、四郎兵衛が斃れた。
病弱な藩主に代わって最期まで二本松の誇りを見せつけた、大城代の壮烈な最期だった。
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