西軍来襲 (2)

 その頃、供中口も高田口も破れ、城下には早くも薩摩、長州、備前、佐土原四藩の兵が押し寄せてきていた。

 その中を、幾弥は恩師の体を担いで、ようやく大手門近くまで辿り着いていた。

「先生、間もなくお城です」

 息を切らしながら八太夫に呼びかけた幾弥は、はっと息を呑んだ。

 朝河八太夫は、既に事切れていた。

「先生!」

 既に、大手門付近にも薩摩兵がうろついている。だが、幾弥はそれらに構うことなく、民家の脇に、手で土を掻いて恩師の体を横たえ、泣きながら埋めた。その両手の爪は何枚か剥がれ、残りの爪の間にも土が入り込んだ。もう、痛みすら感じられない。

 せめて自分だけでも城中に入り、恩師の死を報告しなくては。

 よろめきながら、大手門の城門の手前まで来た時だった。背後から、銃弾を浴びせられた。

 幾弥は、どうと斃れた。

「何と、子供ではないか」

 誰かが、自分に覆いかぶさるのを見た。もう目が霞んで、敵か味方かも判別できない。

 薩摩の隊長は、しっかりしろ、と言いかけて言葉を止めた。一目見ただけで、生命が尽きようとしているのは、明白だった。

「敵か……。味方か……」

 虫の息で幾弥に問われ、思わず憐憫の情が沸いた。

「味方だ」 

 隊長は、力強く答えた。

 幾弥は首に手を当てた。介錯してほしい、との意味である。弱冠の者でありながら、二本松には壮士がいるのかと、隊長は感動すら覚えた。

「何か、言い残すことはあるか」

 隊長の味方だ、という言葉に幾弥は安心したのだろう。末期の願いを口にした。

「……男子たるもの、軍に従う以上は生還を望んではいません……。ただ、他日もしも家人に会うことがあれば、この状をお伝えくださいませ……」

「承知した」

 柄に手をかけた。もう、これ以上苦しませてはならぬ。

(憐れではあるが、どのみち助かるまい……。これも、武士の情けか)

 薩摩の隊長は、幾弥の首に太刀を振るった。そして、幾弥の懐剣を持ち去った。 

 この逸話には、後日談がある。

 その後、この隊長は法輪寺ほうりんじを回った時に、数多くの位牌の中から、懐剣と同じ紋のある位牌を見つけた。不思議なめぐり合わせもあるものだと思い、寺僧に問うたところ、初めて懐剣の持ち主が幾弥であることを知ったという。隊長は感慨に耽り、白米二俵を寄進して、かの少年の冥福を篤く祈るように言って去ったという。


 ***


 その頃、薩摩の兵は尼子台の小川平助を破り、いよいよ大壇口に迫っていた。西軍の兵らは、小川の腹を割いて生き肝を取り出して喰らう者もあり、いよいよ意気軒昂である。

 大砲の側には、砲手として虎治と篤次郎が控えており、他の者達は畳の影に身を潜めていた。

 やがて、敵兵の姿が見え始めた。薩摩の六小隊を挟むように、左翼に佐土原藩、右翼に土佐藩が布陣していた。その後方に薩砲隊が控え、そのままの陣形で、尼子台を超えてこちらへ向かって前進してくる。

「来たッ」

 誰かが叫び、剛介はぞくりと身を震わせた。

「まだだ」

 銃太郎の声は落ち着いていた。

 少年たちの息遣いが、聞こえる。剛介も息を整えて、敵が近づいてくるのを待った。

 正面の薩摩兵らが、街道の最後の丘を越えた。

「今だ!撃てぇッ」

 銃太郎が、鋭く命じた。

 虎治が点火する。

 大壇口にドオン、という轟音が響いた。剛介の目にも、遠く薩摩の将兵が馬もろとも吹き飛ばされるのが見えた。その号砲と共に、剛介たちの戦いが始まった。


 銃太郎は、立て続けに三発砲を撃たせ、どれも正面の薩摩兵の頭上で弾けた。薩摩兵は左右に展開して、正法寺の民家の陰に潜みながら、砲や小銃を打ち返してくる。既に、剛介らの射程圏内に入っていた。

 敵からの砲は、高いものは松の枝を吹き飛ばし、低いものは土煙を巻き上げた。

 小銃の音も、遠くからはキューンと響き、近くの者はシュウッと音を立てながら、掠めていく。それにしても、銃を撃つ速度が恐ろしく速い。先込めではなく、元込め式の銃を使っているのだろう。

「くそ。やつら隠れていやがる」

 砲の側にいた駒之助が毒づくのが聞こえた。

篤次郎とくじろう

 銃太郎は、篤次郎に向かって頷いた。篤次郎が、素早く次の砲弾を砲身に詰める。

「虎治、目にものを見せてやれ」

 虎治が素早く砲の角度を調整し、敵が物陰に潜んでいる民家に照準を定めた。火口に火をつけると再び砲が発射され、民家の壁が吹き飛ぶのが見えた。

 敵が狼狽し、四散しているのが見える。

「やったぞ!」

 誰か雄叫びを上げた。それに力を得て、剛介はますます銃を打ちまくった。銃身は既に熱を帯びているが、そんなのはお構いなしだった。

 気がつくと霧が晴れていて、敵の姿も今やはっきりと見えていた。気のせいではない。明らかに敵の数も増えつつある。

「剛介、狙いが高い。辰弥、構えが違う。もっと肘を張って落ち着いて構えよ」

「はいっ!」

 剛介と辰弥は返事をした。

 銃太郎の指示は、いつもの教練と何ら変わらない調子である。

「あっ」

 右手前方で、悲鳴が上がった。剛介が思わず駆け寄ると、高橋辰治が、顔面を押さえていた。頬を大きく抉る傷が見え、そこから血が吹き出している。

「やられたか」

 銃太郎の顔が強張った。

「後方に下がって休め」

 辰治は軽く肯くと、言われた通り後方の胸壁の陰に隠れ、横たわって呻いた。重傷かもしれない。

 だが、辰治をいたわっている暇はなかった。素早く自分の持ち場に戻ると、その一丁先程で砲弾が破裂した。飛び散った弾の破片が、胸壁を切り裂く。既に胸壁はずたずたになっていて、用途を果たさなくなっていた。

 止むを得ず、畑の中で身を銃弾の雨に晒しながら、剛介らは応戦する形になった。

 再び悲鳴が上がった。今度は左手からである。

「午之介!」

 銃太郎の声が強張っている。敵の銃弾が胸壁を貫通し、それに当たったのだ。ほぼ即死だった。

 午之介の死が合図だったかのように、ますます敵の砲撃や銃撃が激しくなってきた。剛介も周りの少年も、もう余分な口をきくゆとりもなく、黙々と銃を撃ち続ける。皆、銃や砲の硝煙で顔が汚れており、汗を拭おうと顔をこするものだから、目が血走っていることもあり、まるで海坊主が群れているかのような有様だった

 剛介が銃撃の合間に素早く胴乱をなでてみると、もう弾の残りも少なくなってきていた。

 間合いを測って後ずさりながら、弾薬箱の置かれた大八車に近づく。箱から銃弾を掴み、それを胴乱に突っ込んだ途端、今しがた剛介がいた辺りに砲が落下した。まずい。こちらとの距離を詰められている。

「竹林に飛び込め!」

 衛守の声が響いた。

 慌てて言われた通りに竹林に避難すると、銃弾がそこかしこで竹幹に当たり、跳ね回っている。跳弾はガラガラと音を立て、危険極まりない。剛介は動くに動けない状態になった。

 できるだけ姿勢を低くして再度飛び出して応戦しようとした、その時だった。

「隊長が撃たれた!」

 篤次郎の悲鳴が上がった。

 剛介はぎょっとして、一瞬銃撃が切れた合間を利用して、砲車を目指して一心不乱に駆け寄った。

 大きな丸太を盾代わりにし、その陰に銃太郎は腰を下ろしていた。命に別状はなかったらしい。だが、左腕を撃たれたらしく、銃創からは血が流れ出ていた。

「すまぬ。不覚を取った」

 少年たちを安心させるかのように、銃太郎は落ち着き払って説明を始めた。

「このような時は、まず局部を切り取る」

 その言葉通り、銃創を前歯で噛みちぎった。銃創は放っておくと、破傷風の原因になりやすい。

「それから、血止めをする」

 素早く患部に包帯を巻いていく。どうしてこんな時に落ち着いていられるんだろうと、剛介はその胆力に驚いた。

「衛守殿。状況が悪くなってきたようです。引き揚げましょう」

 銃太郎が決断を下した。その言葉に、飛弾を警戒しながら後方を振り返ると、既に右近隊は撤収していた。残っていたのは、木村隊だけだったらしい。

「そうだな」

 衛守も頷いた。

「私は子供たちを集めます。衛守殿は砲の火門に釘を差していただけますか」

 敵に、新たな武器として使われないようにするためである。続けて、銃太郎は自ら太鼓をトントン、と叩いた。「全員集合」の合図である。もっとも、銃太郎の身を案じて皆が集まっていたのであるが。

「皆、いるな」

 銃太郎はぐるりと一同を見渡した。そして、立ち上がって何か言いかけた、その瞬間―。

 一発の銃弾が、銃太郎の腰を貫いた。

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