西軍来襲 (1)
二十九日六ツ半(午前七時)、
供中口を守っていたのは、樽井弥五右衛門らの隊である。
西軍は阿武隈川を泳いで渡ってきた。折からの出水で、水の深さは肩まであり、溺れかけた者もあった。だが、西軍の兵は銃の台尻を川底に突っ込みながら辛うじて身を支え、浮かび上がっては発砲し、発砲しては又進むという具合であった。
だが、二個小隊を配置されていたにも関わらず、樽井隊はほとんど戦闘不能であった。農兵の指揮に当たっていたはずの三浦
そのときの三浦権太夫の心境は、どのようなものであったか。
元々、三浦権太夫は尊王思想であった。それだけではない。文久二年、公の参勤に従って江戸の藩邸にあった三浦は、執政の丹羽丹波を激しく非難し、二本松に戻され投獄された。その後、禁錮に刑が減じられて私塾を開いていたが、奥羽越列藩同盟の成立を聞くと、「東北には一人も義士がいないのか。我が藩がこのような有様になったのは、僅かな臣の罪である」と嘆息したという。よほど、丹波を始めとする老臣の専横が許せなかったのだろう。
だが、そんな三浦も藩の命令には逆らえない。連戦連敗による人材不足の折り三浦にも出征の命が下され、農兵を率いて供中口を守るよう命じられていたのである。
三浦は烏帽子直垂という古風な出立で、鏃が外された弓矢を携えて戦地に赴いた。
やがて、小浜方面より西軍が阿武隈川を渡って大挙して押し寄せてきた。
「藤蔵」
三浦は船夫の藤蔵を手招きし、西方の小丘を指した。
「ここがわが死に場所だ。他日、私の屍が見つかったら、幸いだと思え。鳥獣の餌とするな」
藤蔵は、何と答えてよいか分からない。三浦に戦意がないのは明らかだった。
「さあ、早う
三浦は藤蔵を追い立てると、腹を切ろうとした。その時、一発の銃弾が三浦に当たった。三浦はその場に斃れ、腹を切った。
後に、西軍の将がその屍を検分したところ、弓弦に辞世の句が結び付けられていた。
あす散るも色は変らじ山桜
藤蔵は約束を履行し、屍を持ってきてこれを観世寺に葬ったという。
***
供中方面が敗れたと聞くや、供中口後方の
「幾弥、敵が山裾まで来ている。応戦しろ」
八太夫の檄が飛ばされた。
「はいっ!」
今こそ、父上に買ってもらった自慢の七連銃が役立つ時が来た。
狙いを定め、幾弥は立て続けに引き金を引いた。山の崖に取り付いた西軍兵が、面白いように転げ落ちていく。
「やりました!」
幾弥は、八太夫の方を振り返った。だが、八太夫は厳しい顔のままである。
「浮かれている暇はない。次を撃て」
「はい」
幾弥は慌てて次の銃弾を込めて再度引き金に指をかけ、新たな敵に狙いを定めた。その時である。
一発の榴弾が飛来して、破裂した。その勢いで、八太夫も幾弥も吹き飛ばされた。体に、砲弾の破片が突き刺さる。幾弥の体に激痛が走った。
しばし痛みに息を止めた後、そろりと息を吐き出した。まだ、生きている。
(先生は?)
首をもたげると、八太夫の体も血塗れであった。幾弥より重傷である。
「……先生」
生きているだろうか。
「……幾弥。要釘を抜いて砲を使えなくするのだ」
八太夫が、虫の息で辛うじて指示を出した。西軍に砲を奪われ、新たな武器として使われるのを防ぐためである。
「はい……」
答える幾弥も、息は絶え絶えである。だが、歯を食いしばって指示に従い、師匠の体を担いだ。
「……それから、直治」
八太夫は、愛宕山で共に戦闘に参加していた農兵の一人に、力を振り絞って命じた。
「皆に金子を与えて、早くこの場から去れ……」
命じられた大内直治は、涙を流しながらこくこくとうなずき、言われた通りにして姿を消した。
敵はすぐにでもこの愛宕山に攻め込んでくるだろう。退却するしかない。
城へ行こう。城へ行けば、先生の手当もしてもらえる。
「先生、行きましょう」
体から新たに血が流れ出すのにも構わず、幾弥は足を引きずりながら、城下への道を辿り始めた。
***
供中口の砲声は、大壇口にもはっきりと聞こえていた。剛介らは、朝の分の握り飯を砲声を聞きながら、素早く腹に収めた。
「供中の方で始まったな」
緊張を隠しきれない声で、衛守が呟く。銃太郎の眼差しも、鋭い。
やがて、砲声が途絶えた。どうしたのだろう。
「きっと、二本松藩が優勢で敵襲を撃破したんだろう」
「こちらへ回ってくるかもしれん」
衛守が呟く。
「よし、それぞれ配置に付け」
「はいっ!」
剛介たちは、昨日のうちに築いた胸壁の内側に、身を隠した。銃に弾を込め、手に唾をつけて構える。
やがて、前方の
「いいか。敵が来たら体を小さくするのだぞ」
銃太郎の様子は、平素と何ら変わりがなかった。そこへ、また新たな飛び入りが来た。
「こっちはどうなっている」
息を切らせながら来たのは、
「午之助か」
銃太郎が駆け寄ってくる。
「高根隊のお前が来るということは……」
午之助は首を横に振った。高田口も破れたのだろう。銃太郎は唇を噛んだ。
「こちらなら皆もいるし、後ろには父上もいらっしゃいますから」
午之助は、きっぱりと言った。高田口から撤退してきたにも関わらず、その無念を仲間と共に大壇口で晴らそうという心積もりなのだろう。
「分かった。それでは空いているところで、皆と共に待機せよ」
「かしこまりました」
午之助も、素早く胸塁の影に身を隠した。
半刻ほども経っただろうか。どうやら西軍は、臼砲まで持ち出しているようだった。臼砲は発射角度が直射に近い四斤山砲と異なり、丘陵地帯の接近戦でも効果がある。
「父上……」
剛介の後方で、心配そうな呟きが聞こえた。小川安次郎は、平助の息子だった。だが、自分も父の心配をしているどころではない。
じりじりと、息の詰まるような時間が流れた。
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