大壇口へ (2)

 三春城下に入った西軍は黒羽くろばね藩とおし藩を先鋒とし、本隊の土佐藩がそれに続いた。上之内じょうのうちを襲撃したのは、薩摩藩だった。これらの兵はそのまま近道を通って高松村裏手に回り込み、鉄砲を打ちかけた。

 この時、本宮を守備していたのは、大谷鳴海率いる八十名ほどだった。七月一日の白河での戦いに敗れた後、同地を引き払えとの命令により、安積あさか郡成田村、同じく安積郡小原田こはらだ村に転陣していたのだ。鳴海は二十六日の三春藩の裏切りを聞くや、その日の夜のうちに本宮宿まで引き揚げることを決めた。

 郡山に出張させていた黒田傳太から三春の情勢を聞くと、鳴海は本宮を守るべきとの判断を下し、須賀川の丹羽丹波にわたんば方へは事後報告の形で、本宮へ転陣することを伝えた。

 同じ頃、須賀川の本隊からは、成田助九郎、丹羽主膳の遊撃隊にも本宮急行を命じた。また、二本松からは上田清左衛門が急行した。

 鳴海らは二十七日午前二時ころ、本宮宿に到着した。

「夜分にすまぬ」

 北町本陣の鴫原しぎはら与惣右衛門よそうえもんにちらりと笑いかけると、与惣右衛門は首を激しく横に振った。

「何のことはありませぬ。聞けば、薩長が三春に入ったというではありませんか」

 鳴海は頷いた。

「世話になる」

 早暁には、大谷志摩おおやしま・成田弥左衛門ら三十名も援軍として本宮に到着し、合計一一〇名ほどで中船場・上船場を中心に守備に就いた。

 鳴海らは、軍服のまま仮眠した。だが夜明け頃、阿武隈川対岸の高木村から突然銃声が起こり、火災らしい煙が見えた。川向の高木村へ敵が来襲したらしく、火焔が天を焦がしているのが見えた。砲声も聴こえてくる。一同は驚いて直ちに舟を出して川向うを探索したが敵影はなく、やむなくそのまま本宮宿へ帰陣し、朝食を食べた。

 昼過ぎ、本宮宿から上方道筋の吹上坂まで進んだ。板垣らはすでに三春を出立し、敵が川向うの東禅寺へ集まっているとの知らせを受けて、東禅寺を砲撃しようというのである。

 そこへ、二本松口へ敵が押寄せたとの報告がもたらされたため、鳴海は黒田を二本松の偵察に出した。

 黒田が二本松の平穏を聞き、本宮に戻ってきた時には、鳴海隊は本陣を南町大内屋に移していた。丁度この時、既に西軍は川向にいて南町の宿へ向けて砲撃してきたので、一同は渡河して敵を掃討しようと話し合っている最中だった。

「無謀に舟で渡るのは得策ではございませぬ」と黒田傳太でんたは主張し、探索後に渡船する手筈となった。だが、血気に逸る兵は探索の結果が待ちきれず、遅れまいとして渡河し、高木村へ渡った。ここで一、二町も進んだときである。三春街道の向こうに、西軍の姿が見えて打ち合いになった。さらに、後続の軍がやってくる。

 さらに、高木寺にも西軍の兵が潜んでおり、さんざん発砲してくる。大砲も打ち掛けられ、少年兵である久保鉄次郎が吹き飛ばされた。二本松軍は隊伍も整わず、未だ船の中にいる者もいた。敵と比較するとわずかな人数であるから、到底勝算はない。地形からおいても不利であるのは否定できず、ひとまず阿武隈川の岸沿いに南上し、東禅寺の前まで到着した。

「鳴海様。舟場は生田うだ村にしかありませぬ」

 黒田が必死に訴えた。鬼生田村は三春藩領である。ここには三春藩が人数を繰り出して厳守しているだろうから、進退極まった状態であった。

 そこで、隊の中から水練に熟達している者を選抜したところ、清野正親、少年隊士である松井勘治ら三名が申し出て、渡河することになった。

「敵の姿は」

「見えませぬ」

 よし、とばかりに、鳴海は三人を西岸の仁井田村に渡らせた。そこで魚取り用の船を一艘漁夫に背負わせて、この船に三人ずつ乗せて、数十回に分けて無事全員を仁井田村に辿り着かせた。

 仁井田村に上陸した大谷鳴海らは、名主遠藤源七郎宅へ身を寄せ、夕飯を馳走になった。ここで、八番組の丹羽右近隊が鳴海達よりも一足先に、本宮へ雪崩込んだが破れて、青田村・玉ノ井村方面に敗走して夕刻二本松に帰藩したと聞いた。

「官軍は追々、この地にもやってきましょう。遠回りになりますが、苗代田村より名倉山の裏手を通って、正法寺村へ抜ける方が安全です」

 蓑笠姿でやってきた、青田村の名主の倅である佐藤直蔵が道案内をしてくれるという。

 一同は薄暮過ぎに出発して夜四つ(一〇時頃)に苗代田に到着。ここで三番組の高根三右衛門と合流し、安達太良山麓を大きく迂回して二十八日払暁に、ようやく二本松に辿り着いた。


 ***


 一方、城内では重臣たちが集まって評定を開いていた。家老である丹羽掃部介、大城代である内藤四郎兵衛、小城代である服部久左衛門、同じく丹羽和左衛門、勘定奉行の安部井あべい又之丞またのじょうなどが、大書院に集まっていた。

「兵があまりにも少なすぎる」

 苛立って怒鳴ったのは、軍事奉行の成田弥格やかくであった。

「丹波殿は何をしておられるのだ」

 もっとも、丹波の遅参は必ずしも責められるものではなかった。

「実は」

 恐る恐る、という体で丹羽右近の配下である玉木實が、一通の書状を差し出した。

「大垣からの使者の文を預かっております」

「大垣から?」

 聞けば、百姓の体に変装した大垣藩の密使が、右近に会いに来たという。右近はすぐさまそれを回覧に付した。

 内容は、二本松藩に降伏の意志があるのであれば、大垣藩が間を取り持つというものである。あり得ないことではなかった。長国公の北の方である久子様は、大垣藩の出身だからである。

「いたずらに城下を灰燼に帰するのは、いかがなものか」

 和左衛門が述べた。

「ごもっとも。大垣からの申し出もある以上、降伏しても恥じることはございますまい」

 頷いたのは、和右衛門と同じように和議派の、梅原剛太左衛門である。

「大垣は、本当に悪いようにはせぬと申しておるのか」

 下座にいた安部井又之丞が鋭く訊ねる。大垣藩など、信じられるものかという口ぶりだ。

「いや、それは分からぬ。分からぬが……」

 脇の下を、冷や汗が流れる。

「信義にもとるのではございませぬか。何よりも、会津と死生をともにするのが、殿のご意思であったはず」

 日頃温厚な又之丞の迫力に、和左衛門はたじたじとなった。

 糠沢・本宮方面で二本松が散々に敗れたのは承知の上だが、大垣からの密書に心が揺れる者もあった。丹羽和左衛門はその筆頭であり、密かに本宮の西軍に接触し、和議について話を詰めようと考えていたのである。

 そこへ、白石より丹羽一学と丹羽新十郎が帰藩した。

「降伏など、もってのほか」

 一学は、じろりと一同を睨めつけて、どっかと腰をおろした。

「昨日、三春藩は信義に背いて西軍を城中に招き入れた。その所業は、神人共に怒るであろう。われらが今、三春藩と同じように振る舞ったならば、人々は何と言うであろうか」

 水を打ったように、座はしんと静まり返った。降伏したところで、あの、三春や守山のように裏切り者の汚名は、この先ずっとついてまわるだろう。西軍への忠義の証として、会津侵攻の尖兵とされるかもしれない。一学はさらに言葉を重ねた。

「もしも西軍に降り一時的に社稷しゃしょくを得たとしても、東北諸藩を皆敵に回すことになり、どうやって孤城を保てようか。降るも亡び、降らざるも亦亡ぶ。亡びるのは同じことである。むしろ死を以て信を踏まえるのが筋ではないか」

 こうなった以上は死を以て、奥羽列藩同盟への信義を証明しようではないか。

 さらに駄目押しの如く、一学が公の言葉を伝えた。

「病躯はもとより惜しむほどのものでもない。城を枕にして斃れるのみだ。殿はそう仰せである」

 公は、徹頭徹尾西軍に従うつもりはない。その言葉は、何よりも重かった。

 凄烈な一学の言により、藩論は決した。和左衛門ら和議派の声は、ほそぼそとして聞こえなくなっていった。

 だが、藩公の家族まで危険な目に合わせるわけには行かない。一学らは長国公の説得は後回しにして、夜半過ぎ、まずは用人横井喜右衛門、丹羽紋右衛門らをつけて、奥方たちを米沢方面に出立させた。 

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