焼香

 翌朝、木村道場はいつものように門下生たちが集まっていた。予定では、今日も杉田村での演習に出かける予定だった。

 だが、道場に現れた銃太郎は沈鬱な面持ちだった。そんな先生の顔を見るのは、剛介も初めてだった。

「昨夜、内藤四郎兵衛様のご子息、内藤隼人様が亡くなられた。これから皆で内藤様のお屋敷にご挨拶に伺う」

 しーんと、道場が静まり返った。隼人は大城代内藤四郎右衛門の自慢の息子だった。

 北条谷から竹田門をくぐり、一ノ丁にある内藤家の屋敷に辿り着くまでの間、誰一人として口を開くものはいなかった。

 屋敷に到着すると、既に多くの人が弔問に訪れていた。布団に横たえられた隼人の顔は、苦痛が少なかったのか、綺麗だった。だが、そっと触れたその体の冷たさに、剛介はぶるりと体を震わせ、慌てて手を引っ込めた。死人に触れるのは、これが初めてだったのである。

 戦で死ぬというのは、こういうことか。

 遺体の脇には、父である四郎兵衛と隼人の妻の姿があった。二人とも、目を真っ赤に泣き腫らしながら、弔問客の対応に当っている。

「この度は、誠にご愁傷様でございます」

 銃太郎が、少年たちを代表して哀悼の意を述べた。

「いや、せがれは武士の本懐を遂げ申した」

 自分も真っ赤な目をしているにもかかわらず、四郎兵衛は気丈に答え、一枚の手紙を広げた。戦地から、妻に送られたという手紙である。

 そこには、「国家のため天晴、功名を逐げん」としたためられていた。

 武士たるもの、一度国家が決めた以上は、それに命を掛けて履行する。

 壮絶な決意の手紙であった。

 その文言は、少年たちにも強烈な印象を与えた。


 さすがにその日の訓練は中止され、再び皆で北条谷の道場へ向かうと、弾薬作りの作業に励んだ。

 身近な者の死が少年たちに与えた影響は、少なくなかった。今までの浮かれた雰囲気は何処へやら、黙々と作業に当っている。

「俺たちも、志願できないかな」

 ぽつりと虎治が呟いた。少年たちの中でも古株の虎治は、ある種、一同のリーダーのような存在だった。

「でも、二十歳以上の者と決められているじゃないか」

 慎重に、大島七郎が異議を唱える。

「だが、俺たち若先生に毎日鍛えられているし、もう銃だって撃てる。武士ならば殿のために戦うのが当たり前じゃないか。それとも臆病風に吹かれたか」

 虎治がフンと鼻を鳴らした。

「何だと?」

 七郎がいきり立つ。今は言い争いをしている場合ではない。止めなければ。

 剛介が仲裁しようと、おろおろと半分腰を浮かせた、その時だった。

「二人共、やめろ」

 静かな声が響いた。水野だった。

「今は、仲間で諍いを起こしている場合ではないだろう」

「水野の言うとおりだな」

 背後から、水のような銃太郎の声が聞こえてきた。そのまますとんと腰を下ろすと、静かに告げた。

「私にも、いずれ出陣の命が下されるかもしれない。明日かもしれないし、明後日かもしれない」

 確かに、二十二歳の銃太郎はとうに番入りを果たしており、本来のお役目は広間番である。銃太郎が出陣する可能性は十分にあった。

「でも先生」

 剛介は、泣きそうになった。銃太郎には、まだ戦地に行ってほしくなかった。銃太郎に学ばなければならないことは、まだまだある。

「剛介、そんな顔をするな」

 銃太郎が微かに笑った。 

「お前たちの世話を言いつけられているからな。それに父上も須賀川に行ってしまっている。私までいなくなったら、この道場はお終いじゃないか」

 先程までの重い空気を払うかのように、ひらひらと銃太郎が手を振った。

「さあ、残りの弾を仕上げてしまえ」

「はいっ」

 辰治や篤次郎が元気よく返事をした。

 ようやく、いつもの元気よく明るい声が響いた。


 ***

 

 だが、白河前線はそう単純にはいかなかった。

 隼人の弔い合戦とばかりに、白河にいた二本松兵は全軍を挙げて再び戦った。

 田島に宿陣していた二本松隊は、仙台、会津、棚倉の兵と合流し、十個小隊が進軍。会津兵が先鋒である。

 まず、鹿島の敵陣を攻め、関和久の二本松隊が、逢隈川を隔てて応戦した。だが、またしても二本松藩は西軍を破ることができなかった。

 西軍も、二十六日には土佐兵の先兵が白河城に送り込まれ、二十九日には司令官である板垣退助が本隊を率いて入場するなど、いよいよ兵力の増強にかかった。

 さらに、いわき三藩も西軍が浜街道を北上しつつあった。そのため、旧幕臣で安房に潜伏していた榎本釜次郎に使いをやり、援軍を要請した。榎本は密かに長崎丸を仙台に向かわせ、仙台藩士らを乗せて磐城の救援を手配した。

 

 六月十二日。東軍は再び白河城を攻撃しようとして、五道より進撃した。陣割は、以下の通りである。


 棚倉口伴澤より 純義隊(幕府脱走兵)、棚倉、相馬、二本松隊

 根田和田山より 仙台隊

 愛後山方面より 会津隊

 大谷地口より  会津隊(砲術隊)、仙台隊

 下羽太村より白坂口へ 会津隊、仙台隊、二本松隊


 田島宿陣の二本松隊は先に田島口に進軍し、双石山で待機して各隊の出陣を待った。ところが、どういうわけか、細倉陣営の仙台、会津隊より戦闘中止の知らせがあり、止むを得ず兵を退こうとした、そのときであった。

 砲声がしきりに聞こえる。二本松隊は引き返して合戦坂に進んで応戦した。隊を二分して、二個小隊は付近の高地より、一個小隊は搦目に進み、共に鹿島の敵陣を射撃した。さらに、細倉より仙台・会津が来て援護に入った。

 関和久の宿営にいた成田助九郎の隊は、会津兵二個小隊に合流して桜岡に進み、丹羽右近、奥野彦兵衛、澤崎金左衛門の諸隊は本沼を経て逢隈川の右傍より進撃・応戦。会津兵は桜岡を焼き、ますます前進しようとした。だが、西軍はこれをよく防いで、続けざまに二本松陣営を砲撃した。

 激戦は数刻に及び、丹羽右近の一隊は、会津の小櫃弥市の一個小隊と共に、逢隈川右岸の畷道を進んで鹿島敵陣の陣営を襲撃して、これを奪った。総軍は正に鹿島に入ろうとした。だが、西軍は搦目を襲撃し、棚倉隊は潰走した。東軍は前後を敵に挟まれ、苦戦する。総軍は遂に後退し、二本松軍は全軍殿しんがりとなって本営に帰った。



 この日、下羽太村より進撃した二本松隊(二個小隊、隊長大谷鳴海、青山伊右衛門)は、会津隊(隊長蜷川友次郎)に合流し、杉山に進軍。西軍も前進してきて堀川で激戦となった。二本松砲隊(指揮熊谷伝衛門)は敵陣を猛撃し、敵勢は動揺した。二本松隊は追撃して川を渡り、戦況はすこぶる東軍に有利だったが、敵兵約一個小隊が杉山の北面に現れ、二本松隊の側面から攻撃してきた。大谷隊はひどく苦戦する。そこへ青山隊が駆けつけ援護した。下新田を焼いて杉山の兵を挟撃しようとしたが、会津隊が敗走したので、二本松もまた進撃を中止せざるを得なかった。これが、申の中刻(午後五時)のことである。


 東軍は、再度の総攻撃も失敗に終わった。棚倉口がまず破れ、大谷地口は根田方面の頴勢に連れて後退し、本道口は会将(遠山伊右衛門)が戦死し、下羽太村口は一時有利だったが、敵の援軍に遭遇し、目的を果たさずに背進した。

 この日も、東軍は白河城を奪還できずに終わった。軍監である丹羽舎人の死亡や、同じく軍監である青山甚五右衛門の負傷など、貴重な人材も傷つけられる結果となった。二本松藩にとっては、大きな痛手である。

 さすがにこの頃になると、仙台藩の不甲斐なさが腹立しく感じる日もあったのだろう。一学らは仙台に於いて坂英力らと首脳会談を行っている。

「出陣年齢を引き下げるしかあるまい」

 軍事総督である丹羽丹波は、腹を括った。

「まずは鼓手・銃士らを選抜して出陣させよ」

 家臣たちは顔を見合わせた。鼓手や銃士は、その多くがまだ番入りを果たしていない少年たちであったからである。

「本気でございますか?」

 一人が恐る恐る訊ねた。

「当然だ。武士の子たるもの、殿の前に弓馬を並べる覚悟はできておろう」

 丹波は淡々と述べる。

「……」

「だが、その前に我々だ。白河を取られたままにしてはおけぬ。必ずや、西軍から取り戻して見せようぞ」

 丹波は空を睨んだ。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る