馬場にて (1)

 もっとも、剛介たちはそんな複雑な政治事情は分からない。今は銃太郎先生に習う砲術が面白くてたまらない。

 先の渡邉新助の言葉通り、木村道場の砲術の授業が公式の授業に組み込まれた。砲術の指南役は木村先生の他にも、小沢幾弥の通う朝河あさかわ八太夫はちたゆうなどがいた。砲術の授業の場所は、城の北側にある馬場の片隅が割り当てられていた。北条谷からは目と鼻の先である。

 その日は、丁度手習所での授業日に当たっていたため、剛介は自宅のある新丁坂の一之丁から、十丁あまり(約一km)の道のりを、てくてくと歩いて馬場へ向かった。どこからか、ひばりの啼く声が聞こえてくる。束の間、剛介はひばりのさえずりに耳を傾けていた。はっと、気がつくと前方に成田才次郎さいじろうの背中が見えた。

「才次郎」

「やあ、剛介」

 二人は並んで歩いた。

「今日こそ、鉄砲を撃たせてくれるというのは本当かな」

 才次郎は興奮気味に言った。

「うん、先日先生が言っていたじゃないか」

 剛介は、この日を楽しみにしていた。砲術の基礎理論は教えてもらっていたものの、撃ち方は初めてである。これまでは、道場で先輩の撃つ姿を見学するばかりだったのだ。

「新しい銃は、火縄銃より軽くていいよな」

 才次郎の言葉に、剛介もうなずいた。

「うん、あれなら俺たちでも持てる」

 本当はずっしりと重いのだが、剛介は見栄を張った。

「でも、父上はあまり銃を好まれないらしい」

 ハハハ、と才次郎が笑う。

「半左衛門様は、弓馬の方がお得意だと聞いているけれど。最近は、武谷先生も書に向かわれる時間が少ないのではないか?」

「どうやら、算盤そろばんを弾くので忙しいみたいだ」

 剛介は肩を竦めた。それもそのはずで、今、二本松城下には仙台兵や相馬兵が大挙して逗留している。会津との国境への出兵に当たり、二本松城下が最前線基地となっているためだ。それらの兵士のための宿割で、勘定方は大忙しなのである。

 そのようなことをとりとめもなく話しながら歩を進めていくと、やがて馬場に到着した。

 馬場に到着すると、どうやら剛介と才次郎が一番最後だったらしい。

「よし、これで全員だな」 

 ぐるりと銃太郎が見渡した。

「それでは、剛介。前へ」

 遅れてきたからなのか、剛介は一番最初に銃の撃ち方に指名された。

「今まで、見てきた通りに構えてみろ」

 銃太郎からずしりと重みのある銃を受け取ると、銃床を右の肩に乗せて、両手で構えた。

「そうじゃない。もっと肘を張って」

 銃太郎は、剛介の両腕を掴むと、ぐっと横に張らせた。されるがままに、剛介はその姿勢を保持する。すると、安定して銃がぐらつかなくなった。

「よし。その感触を忘れるなよ」

 一つ頷くと、次に銃太郎は、弾丸を剛介に渡してくれた。

「さあ、次にどうする?」

 頭の中で、今まで見てきた先輩の手順をさらってみた。まず、撃鉄を半分ほど起こした。続けて銃太郎から弾を受け取ると銃を地面に立てて、弾の紙部分をちぎって、中の火薬をさらさらと注ぎ入れる。椎の実のような鉛玉が上に来るように注意しながら、銃身にストンと落とす。そして、銃に付属している搠杖さくじょうを引き抜き、いつぞやの青山のように、銃口からぐいぐいと弾を押し込んだ。

「よし。だが、そのままでは弾が銃の中で遊んでしまうだろう?もう少し、しっかり詰めろ」

 剛介は、言われた通りにさらにしっかり奥まで押し込んだ。

 そして、雷汞らいこうに雷管をかぶせ、撃鉄を完全に起こした。

 銃の先端にある照星から的に狙いを定め、引き金を引く。

 ダアンッと鋭い銃声が響き、その反動で剛介はもんどり打った。

 同時に、ケーンという断末魔が聞こえた。

 束の間、剛介は呆然とした。耳がじんじんする。鼓膜が破れたのではないだろうか。

「何だ、いまの声は?」

 俺、見てくると鉄吉が駆け出す。

「剛介、大丈夫か?」 

 銃太郎が、心配そうに剛介を見つめた。

「大丈夫です」

 剛介は、銃を置くと、立ち上がってパンパンと尻についた土を払った。

「怖いか」

 銃太郎が微かに笑っていた。

「いいえ」

 初めて何かを撃ったことに、驚いただけだった。

 向こうから、「おーい」と鉄吉が何かをぶら下げて駆け戻ってきた。見ると、立派な雄の雉である。馬場の向こうの藪に潜んでいたのだろう。

「へえ、見事な雉だな」

 羨ましそうに、三浦おのきちが言った。斧吉は木村門下生ではないものの、小沢幾弥に鼓法を習っている関係で、時折木村道場にも顔を出すことがあった。

「だが、狙いは外したな。まあ、最初は誰でもそんなものだ」

 あっけらかんと銃太郎は言った。

 そう言われると、弾は的をかすめてもいなかった。浮かれてた気分が、しゅうっとしぼむ。悔しい。

「そんな顔をするなよ。いい土産が出来たじゃないか」

 がっくりと肩を落とした剛介の背を、銃太郎がぽんぽんと叩いてくれた。

「いいか。今、剛介が撃ち方を見せてくれただろう。その通りにすれば良いんだ」

 銃太郎が、説明に入った。続けて、門下を四つのグループに分け、それぞれ交代で銃を持たせた。一列に並べると、一人ひとりの構えを手ずから正してやったり、手順がうろ覚えな者には、丁寧に説明している。

 鼓手役の斧吉がトンと太鼓を叩くと、それを合図に一斉に銃が轟音を響かせた。

 次こそ当ててやるぞ。

 再び剛介の順番が回ってくると、剛介は気を鎮めて、引き金を引いた。

 「見事!」

 銃太郎が手を叩いてくれた。遠目にも、今度は的に黒い弾痕が開いているのがくっきりと見えた。

 それから一刻ほど、馬場にはタアン、タアンと小気味良い銃声が響き渡った。

 せっかく仕留めたのだからと、銃太郎は、あの雉を剛介に持たせてくれた。目を瞑った雉は哀れだったが、今晩の食膳のおかずが一品増えるかもしれない。質素な二本松藩の武士の家庭らしく、武谷家でも一汁一菜が基本だったが、お疲れの父上に精をつけてもらえればいいな。剛介は、そう思った。




 

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