しっぺい (1)

 銃太郎こと若先生の授業は、間もなく始まることになっていた。だが、剛介は砲術の新しい知識を学びたくて仕方がない。 

 今のところは、まだ砲を撃たせてはもらえない。もっとも、ただぼんやりと見ているのも癪なので、剛介達は小銃で使う弾の火薬作りなどを手伝わせてもらっていた。貫治先生は怖いとの評判を恐れてか、門弟はそれほど多くなかったが、その兄弟子達のための弾作りを手伝っていたのである。

 剛介たちが手習所からまっすぐ木村道場へ向かうと、木村道場の片隅には、火薬や鉛弾が届けられていることが多い。剛介らは若先生に砲術を習っているが、貫治先生の門弟も、時折銃太郎の指導を受けることがあった。火薬は供中の殿の鳥撃ちの御料地に殿のための茶屋があり、その建物が充てられていた。現在の藩公である長国公は病弱であったため、鳥撃ちをする機会も滅多になく、建物の有効活用がされていた。鉛弾は御鍛冶屋が藩命により、製造を任されている。

 弾作りには、専用の棒があった。親指大で五寸くらいの長さで、棒の端が凹んでいた。これに紙を巻き棒を外した後、火薬と玉を詰めて出来上がる。もっとも、この弾の出来があまり良くないと飛距離が出ないので、粗悪な弾に当たったときは運が悪かったとしか言いようがない。


 その日の午後、青山という先輩が顔を真っ赤にして道場をぐるりと見渡した。彼は銃太郎ではなく、貫治先生の門弟である。

「誰だ、この弾を作った者は」

 剛介は、ゴリゴリと転がしていた薬研の手を止めた。銃太郎に「後学のために」と命じられて、硝石や硫黄、木炭を擂り潰していたのである。

 青山の手には、一発の弾が握られていた。青山は、年下の門弟たちに、それを順番に見せていた。どれどれと剛介が手にすると、若干紙の巻き方がゆるいように感じられた。だが、それを指摘しようとは思わなかった。弾は何十発もあるし、誰がどの弾を作ったかなんて分かりっこないのである。丁度居合わせた上田孫三郎、大島七郎、そして虎治らと顔を見合わせた。

「名乗り出る者はいないのか。武士の風上にも置けぬ」

 青山はまだ怒鳴っている。鉄砲の弾の作り方で武士道が問われるとは、聞いたこともない。

「恐れながら」

 虎治が恐る恐るという体で、切り出した。

「何だ」

「青山様がお撃ちになった弾には、作った者の名前が記されていたのでしょうか」

「何?」

 青山が目を細めた。当然、そんな真似をしているはずがない。虎治は、年下の孫次郎や七郎を庇おうとしたのだろう。

「お主らは、目上の者を敬おうという気はないのか」

 青山はますますいきり立った。そして、傍らに転がっていた篠竹の棒を手にした。

「黙っている者も卑怯だ。皆、合わせて責任を取れ」

 しっぺいをするつもりだ。少年たちは身を固くした。

 しっぺいは、年長者による一種のしつけである。年長者に出会っても礼をしなかったり、屋外で物を食べたりしたときには、座らされて手の甲を激しく叩かれる。普通は人差し指と中指の二本の指で叩くものだが、時には、本物の竹篦しっぺいや文鎮などが使われることもあった。

「そこに直れ」

 一同は渋々、道場の片隅に正座した。右から順に、虎治、剛介、孫三郎、七郎の順である。余りにも理不尽であるが、二周りも体の大きい青山に逆らおうという者はいなかった。年長者である青山に口答えしたのは、紛れもない事実である。

 勢いをつけるためであろうか。青山がヒュッと篠竹をしならせた、その時だった。

「何をしている」

 振り返ると、道場の入り口のところに銃太郎が腕組みをして睨んでいた。明らかに怒っている。

「銃太郎」

 剛介らは、黙って銃太郎に頭を下げた。どうやら、かねてより気安い仲らしい。そのためか、日頃から、銃太郎に対してもあけすけな物言いをした。ただ一人、青山は銃太郎を見据えている。青山も上背があり、大人二人の対峙は、有無を言わせない迫力があった。

「お前、しっぺいをしようとしていただろう」

 銃太郎がじろりと青山を睨みつける。怖い。詰られているのは青山だが、剛介は自分も叱られているような気がした。

「私はしっぺいが嫌いだ」

 銃太郎がはっきりと言った。

「口で言えば分かるではないか」

 そうだそうだと、剛介は内心快哉を叫んだ。そもそも、虎治の言うように誰が作った弾であるかなんて分からないのだし、青山の言い分は余りにも理不尽だった。

「だが銃太郎。きちんとした弾でなければ、敵を斃すことはできないだろう。こいつらははそれを理解しなければならない。遊び半分で弾を作られては困るのは、我々だ」

 青山は、あくまでも自分の言い分は正論であると言いた気であった。

 やれやれと、銃太郎が肩を竦めた。

「よし、わかった。では、青山。実際に手本を見せてやれ」

「え?」

 青山がうろたえた。まさか、皆の前で模範を示せと言われるとは思わなかったのだろう。

「青山様、ぜひお手本を見せてくださいませ」

 虎治が、銃太郎の言に飛びついた。気が強い虎治のことだ。青山が凹まされる所を見たいに違いない。

「よし、皆表に出よ」

 青山の心中を知ってか知らないでか、銃太郎は少年たちに表に出るように命じた。こうなっては、青山も逃げられない。


 ***


 一同揃って表に出ると、どこからともなく、ふわりと梅の花の香りが漂ってきた。

「青山。手本を見せてやれ」

 怖い顔つきのまま、銃太郎は青山に命じた。青山は軽く頭を下げ、銃弾を手にし、ミニエー銃の先に入れ、棒でちょんちょんと押し込めた。

「待った」

 銃太郎が鋭く制止した。

「弾の押し込めが甘い」

 はっと、青山は顔を歪めた。

「引き金のところまでしっかり押し込めないと、口金の火花が弾の火薬に届かない。それでは弾がヘロヘロになるのも当然だ。」

 黙った青山は、平身低頭した。何のことはない、青山の撃ち方の基礎がなっていなかったのである。

 それに、と銃太郎は続けた。

「弾込めに時間がかかり過ぎている。もっと素早くしろ。今平時だからといってその速さでいたのでは、戦のときにできるわけがなかろう。弾を込めている間に、敵がもっと速く撃ってきたらどうする」

 青山はすっかり項垂れている。先程まで剛介らを叱っていたときの傲岸不遜な態度は、何処へ行ったのだろう。もはや、青山の面目は丸潰れだった。

 いい気味だ、と剛介は思った。

 そんな剛介の思惑を見透かしたように、銃太郎がちらりと横目でこちらを見た。

「だが、先程が言ったことにも理がある」

 銃太郎は、怒気を和らげた口調で言葉を続けた。

「良い弾であれば、遠くへ飛ぶことができる。それだけ、敵を斃すこともできよう。父や兄の武功のためと思えば、いい加減な真似は出来まい。よいな?」

「はい!」

 一同は元気よく返事をした。

 そんな剛介たちを、銃太郎はぐるりと見渡すと、にこりと白い歯を見せて、笑窪を作った。だがそれも一瞬のことで、今度は青山に向き直って真面目な顔を作った。

「どうした。いつものお前らしくない。いつものお前ならば、年少の者にしっぺいをして当たるような真似はしないだろう」

 年少の門弟の手前もあり青山を叱ってはみたものの、本音では青山を心配していたらしい。その口調も先程の先生とは異なり、砕けた口ぶりだった。

 しばらく青山はためらっていたが、ぼそりと呟いた。

「年少の者に当って済まない」

 どうも青山は、何か鬱憤が溜まっていたようだった。そういえば、父の半左衛門もこのところ帰りが遅い。先日会津追討令が出されたということだが、その事について、大人たちは大わらわなのだろうか。

 この青山も、いつもであれば剛介らの手本となるような、正確無比の射撃の腕前を見せてくれるのに。

「今日は心ここに有らずだったろう。いい加減な真似をしたら、子供たちに怪我をさせる。父上の名にかけて、二度とこのような真似はしないでくれ」

 叱責というよりも友人に対する説諭という体で、銃太郎は青山に述べた。

 みんな、ごめんな。

 青山が、無理やり笑顔を浮かべた。


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