若先生 (1)

 銃太郎の塾は、正月明けから始まることになっていた。

 その日は、七の日の講釈日に当っていた。七の日の講釈の日は、番入り前の惣領無足の十五から十九歳までの者が出席する。

 敬学館に通うにはまだ年齢が足りない剛介は、この日も手習所に足を運んだ。

 手習所の者たちは毎日正午から二時間の授業で、主に四書五経を中心に学術を学ぶ。が、この日は様相が異なっていた。

 いつもだったら儒者の先生や書道の先生が登場することが多いのだが、この日は大柄な人物が、片隅に控えていた。

「皆、それぞれお父上から話があったと思うが」

 師範である渡邊新助が、おもむろに口を開いた。

「いよいよわが藩でも、本格的に子弟に砲術を学ばせることに相成った。砲術については、木村貫治殿がご子息、ここにおられる銃太郎殿がそなたたちに伝授して下さる」

 新助は片隅に控えていた銃太郎に向かって頷き、それに答えるかのように、銃太郎はずりずりと前に出た。

「木村銃太郎である。皆、よろしく頼む」

 それだけ言うと、後は再び隅に控えた。

 銃太郎の顔はよく日に焼けて黒く、筋骨もたくましい。勉強熱心で色白な兄の達とは正反対だな。

 剛介は、ちらりとそう思った。

 やれやれというように、新助は苦笑いを浮かべた。どうやら、銃太郎は寡黙な性質のようである。

 続いて、新助より説明があった。

 現在通っている各種道場に加えて、砲術の修学を鍛錬すべし。ただし、砲術という性質上、遠く青田ヶ原あおたがはら仏ヶ原ほとけがはらでの演習も予定している。そのときは手弁当持参で本宮方面まで出かけることもある。また、火薬を扱うので、軽挙な振る舞いは許されない。入門希望者は、必ず父兄から許しを得て入門すること。

 剛介は、胸が高鳴った。

 砲術という学問があるのは父や兄から聞きかじっていたが、どのようなものかはとんと見たことがなかったのである。兄が話していたように、どうやら銃の扱い方も教えてくれるとのことだった。

 剛介は剣術が好きだったが、小柄なため、年上の剣士にはなかなか勝てなかったのである。銃ならば、万が一敵と対峙しても体格差が問題となることはないだろう。そう考えると、胸が高鳴った。


「父上。木村様の道場に通ってもよろしいでしょうか?」

 夕刻、日夏道場で再び剣の稽古に汗を流した後、剛介は城から帰宅した父を捕まえて、訊ねた。

「剛介。お前、新しい砲術を習えるからと言って、浮かれるな」

 父より一足先に下城してきた達が、剛介をたしなめた。兄は、好奇心の旺盛な剛介の背性格をよくわかっている。

 半左衛門は、しばし黙っていた。

 どうやら倅は、新助の説明を中途半端にしか聞いてこなかったようである。砲の扱いは難しく、正確な知識がないと撃てないものであった。また、事故に遭う確率も低くはない。この頃、二本松でも兵制を改革して士分は銃士となることが定められていた。

 仮に二本松藩が「入れ年制度」を取って二歳鯖を読んでの入隊が認められたとしても、当面は、剛介が戦場に立つというのはあり得ないだろう。

 もっとも、我が子は自分の子であると同時に、藩の御子でもある。武士の子として戦場に立つのは、誉れでもあるのだ。剛介に、それができるだろうか。

「よし、赦す」

 長時間考えた末に、半左衛門は決断を下した。

「その代わり、剣の修行も疎かにするでないぞ」

「はい!」

 半左衛門は、自分の息子が足軽のように、鉄砲を持って駆けずり回ってほしくなかった。銃器の教育が藩の方針とはいえ、飛び道具に頼ることなく、越前にいた先祖からの武士としての誇りを捨ててはならぬと考えていたのである。 

 こうして、木村銃太郎の砲術塾に入門したのは十三歳の者七名、十四歳の者九名だった。


 上田 孫三郎   十三歳

 高橋 辰治    十三歳

 遊佐  辰弥   十三歳

 徳田 鉄吉    十三歳

 大島 七郎    十三歳

 岡山 篤次郎  十三歳

 後藤 釥太    十三歳

 成田 虎治    十四歳

 武谷 剛介    十四歳

 全田 熊吉    十四歳

 宗形 幸吉    十四歳

 成田 才次郎  十四歳

 馬場 定治    十四歳

 水野  進    十四歳

 木村 丈太郎   十四歳

 渡辺 駒之助   十四歳


 ***


 数日後、剛介は早速父に連れられて、木村道場へ足を運んだ。

 元々、二本松城は山の上に作られた。畠山氏がこの地に根付いて以来、防御のために小高い山の上に城を築き、それを無数の小山が取り囲んでいる。ただ、江戸の始めに新たに霞ヶ城かすみがじょうを築いた際に、「民に近いところに住まわなければ、民の心が分からない」という藩祖光重公の教えに従い、殿の居城は、昔の三の丸のところにあった。箕輪門みのわもんをくぐって左に折れると、御殿である。

 その周りには家臣たちの武家屋敷が作られ、郭内の町を彩っている。その郭内から幾つもの小山の列を越えると、下の町があった。下の町には両社山があり、二本松神社はこの地の総鎮守として、身分を問わずに信仰を集めている。

 つまり、郭内の外に出るには、大小なりとも坂を上り下りしなければならないのだ。

 親子は、新丁の自宅から松坂門をくぐって郭内に入り、武家屋敷の並ぶ一ノ丁を通り過ぎる。そこから左手に箕輪門を見て通い慣れた敬学感の前を通り、二ノ丁を左に曲がって北条谷に向かった。

 木村道場は北条谷にあり、背後には鬱蒼とした竹藪が広がっていた。木村貫治先生の裏山を切り開いて作られている。

 その裏山を切り開いた一角には、真新しい藁人形が据え付けられていた。どの人形も、剛介と同じくらいか一回り大きなものである。貫治先生の門弟であろうか。兄の達とそれほど変わらない年頃の青年たちが幾人か、火縄を手にし、目をすがめて狙いを付けていた。

「こら、何をぼさっとしておる」

 父に叱られ、剛介は我に返った。

 剛介親子は客間に通された。四半刻も待たされただろうか。

「よく来たな」

 まず、第一声を発したのは貫治先生だった。噂通り、いかめしい顔つきをしており、ニコリとも笑わない。

「剛介、と申したな」

側に控えていた銃太郎が、ようやっと口を開いた。

「歳は」

「十四でございます」

「そうか」

 銃太郎はそう言うと、白い歯を見せて笑った。先日、手習所で見かけたときとは異なり、今日の若先生は親しみを感じさせる。笑うとその口元には笑窪ができ、鍾馗様が笑ったかのような印象である。

「何卒、よろしくお願い申し上げます」

 剛介は、銃太郎に深々と頭を垂れた。

 うむ、と銃太郎が頷く。

「よし、道場に案内致そう。既に幾人か参っておる。進や虎治は知っているな」

「はい」

 父に向かって軽く頭を下げると、剛介は銃太郎の後を追って道場へ向かった。道場は間口が三間、奥行きが六間ほどである。お世辞にも広いとは言えないが、板の間には何人もの少年が集っていた。先生の視線の先には、銃太郎の言葉通り、水野や虎治の姿がある。手習所の同級の仲間に加えて、年下の高橋辰治や岡山とく次郎じろうの姿もあった。皆、各種道場や手習所で見知った顔である。

「へへ。俺は一番だったぞ」

 篤次郎が、心持ち胸を反らせた。篤次郎は剛介より一つ下だが、手習所でしばしば顔を合わせた。字はあまり上手くないが、それ以外はまずまず出来るらしい。可愛らしい顔をしている反面、利かん気のところがあり、年上の者にも時には張り合うことがある。篤次郎は若先生の話を聞くや、いの一番最初に弟子入りを志願したと言う。

「ちえ、先を越されたか」

 口ではそう言ってみたものの、篤次郎に張り合うのも大人気ない。そう思い直した。

 こらこら、と若先生が笑う。

「よし。今日はまずまずの日和だ。まずお城の箕輪の門までひとっ走り行って来い」

 少年たちは顔を見合わせた。まだ一月である。道場までの道端には、ついこの前降ったばかりの雪が積もって残っていた。

「どうした。通い慣れた道であろう?」

 銃太郎は涼しい顔をして、笑みを浮かべている。自分たちが子供だから、そんな真似はできないとでも思っているのだろうか。

 よし、驚かせてやろう。

「行こう」

 同じようなことを考えていたのであろう。虎治の合図をきっかけに、少年たちは草鞋をつっかけ、道場から脱兎のごとく走り出した。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る