新春(3)
父から木村道場の若先生の話を聞かされた翌朝、剛介は
「おはよう、虎治」
二本松藩の子どもたちは、年齢に関係なく呼び捨てにする仲であることが多い。
「ああ、剛介か」
虎治が剣先をおろした。その額には、真冬にもかかわらず、既に薄っすらと汗が浮いていた。
「木村先生の砲術の話、聞いたか?」
剛介の質問に対して、虎治は軽く頷いた。
「ああ、俺も父上から聞いた。なんでも、上からのお達しで我々若輩の者に砲術を学ばせるのが、藩の新しい方針らしい」
そこへ、水野進もやってきた。
「何でも、木村先生のご子息の銃太郎様は、五尺七寸もある大きなお方だそうだ。その上、算術にも秀でているそうな」
「ふうむ」
なるほど、砲術とはただ闇雲に撃てば良いというものではないらしい。
「お父上の血をたどれば
訳知り顔にうなずく水野の話に、剛介も興味を惹かれた。渡邉東岳は、二本松における和算の大家である。また、砲術の研究にも熱心だった。
二本松では、
剛介も父が勘定奉行をしていることもあり、多少の算術は嗜んでいた。だが、銃太郎が教えてくれるのは勘定とは別の、算術らしい。
その知識を身につければ、他の道場で習う者たちよりも、一歩先んじて武功を立てられるだろうか。
「問題は、弘道先生の授業を続けながらどうやって木村道場に通うか、ということだな」
虎治は、本気で悩んでいる様子だった。それもそのはずで、二本松の武士の子は、習い事をいくつも掛け持ちしていることが多い。
剣術師範の日夏弘道は、小野派一刀流の達人である。怒らせると怖いが、からりとした気骨のある人物で、剛介は弘道の剣術を疎かにするのは勿体ないと感じた。藩からの命令であるから砲術を習うのは当然として、何処にしよう。それに、銃太郎はともかく、その父の貫治は恐ろしいので有名である。どうしよう。
「こらあ、お主ら。さっさと支度をせんかあ!」
道場に、雷のような一喝が響いた。道場主の、日夏弘道の怒声である。
三人は、慌てて道着を整えた。
***
一方、大人たちは難しい話をしていた。
「どうもきな臭い」
銃太郎の父、貫治は難しい顔をしていた。
「京都の鳥羽・伏見で、幕府の軍が負けたというのは、まことでござるか」
半左衛門はそっと訊ねた。
「まことらしい。それだけではない。大樹公(慶喜公)と、容保公は兵を置いて早々と大阪から江戸に戻られたそうな。いずれ、薩長は会津討伐を言い出すかもしれぬ」
「会津は辛抱できるでしょうか」
会津に薩長が攻めてくるとなれば、その隣にある二本松藩が巻き込まれるのは必定であった。
「ここだけの話だがな。暮に、密かに会津より鈴木丹下様と土屋鉄之助様がいらしていて、
「一学様に……」
丹羽一学は、先年家老になったばかりである。だが丹羽一門の中でも重きを置かれる系譜であるため、その発言力は決して侮れない。
「会津は薩長と断固として戦う、と伝えられたそうな」
貫治は溜息をついた。
「一学様は、まだお若いですからな」
既に半左衛門や寛治は老齢の域に入ってきているが、一学はまだ若かった。その上、剛毅果断といえば聞こえが良いが、老齢の彼等から見ると、いささか気が逸っているようにも見える。
「
貫治は苦虫を噛み潰したような顔をした、
「五郎君は、まだ御年十三ではござらぬか」
「左様。それで帝の信任を得ようというのだが、絵空事と一笑に付されたわ」
勤王は大切であるが、二本松にとってもっと大切なのは、徳川家であった。二本松藩は、二代目長重公が時の将軍徳川秀忠公の恩寵を受けて以来、幕府に忠誠を誓っている。だが、二百五十年余りも泰平の世が続き、陸奥の地に戦火がもたらせられるのは、できれば避けたかった。
「すると、ご子息が二本松に戻られて、剛介らが砲術を習うというのは」
「夷狄だけでなく、薩長の動きも見越してのことであろう。会津が朝敵だとは、論外。だが、薩長の者共は会津に対して恨みを持っているからの。会津の動き次第では、我々も戦に備えなければならぬ」
貫治は、ぬるくなった茶を一口啜った。
「仮に薩長が来るとして、我々は間に合うでしょうか」
半左衛門は、勘定奉行を兼ねていることもあり、藩の財政状況も多少なりとは把握していた。息子たちが砲術を習うのは良いが、その砲も決して安いものではない。火縄銃はともかく、ミニエー銃は一丁十五から十八両もするのだ。銃身だけでは無用の長物であるから、弾もいる。もちろんその他にも、大砲などを購入しなければならぬ。また、中島
「薩長は、金だけはたんまり持っているからな」
貫治が皮肉な口調でつぶやいた。
有り体に言うと、二本松藩の財政は決して豊かではない。例えば、元治元年(一八六四年)の水戸藩領内で起きた天狗党の乱には、二本松藩も幕府より討伐の命令を受けた。その際に、侍大将を務めた
この度の「砲術道場にて、子弟に砲術を教授する」というのは良いのだが、そのための銃の費用をまたやりくりせねばならない。
それに対して、貫治の言うように薩長は、金はたんまり持っている。「武士の気概」だけで戦ができる時代は、既に過去の話となっているのを、半左衛門はぼんやりと感じていた。
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