Goサイン
「伊勢美」
泉は静かに、その名を呼ぶ。前を歩く少女──灯子は足を止め、振り返った。
その表情を見て、泉は思わず目を見開く。
「……泉さん、忍野さん」
灯子が2人の名前を呼び返す。そして……微笑んだ。
3人の間に、静寂が蔓延る。3人を包むのは、何とも言えない緊張感で。……頭上では、一番星が煌めていた。そして3人を見下ろしている。
泉は、何も言わない。それを隣で不思議に思ったのは、密香だ。
ビビってるのか? と思い、まあそんなことないか、とすぐに思い直して。……何にしろ、何かしら言わないと話が進まない。泉が何も言わないなら、と密香が口を開いた。
「……お前、Smileのところに行くつもりか?」
「……ええ、そうです」
「……やけに素直に答えるな」
「……隠す必要もないので」
この前取り乱した様子とは違い、Smileの話題を出されても、灯子は落ち着いた声で答えた。その顔に浮かべる笑みも自然なもので、誰も今からこの少女が戦いに行く──などと思わないだろう。
割り切った、ってところか。と密香は話しつつ分析を進める。さて、どうやってこの女を止めるか……と、すっかり横にいる泉をアテにするのをやめ、密香が考え始める。
「……お2人は、僕のことを止めに来たんですよね。それを理解したうえで言いますが……止めないでください」
すると灯子から先に、そんなことをきっぱりと言われた。その言葉に、迷いはない。落ち着いた声色だが、一方でテコでも動かせなそうな強情さがあった。
これは、説得に時間が掛かるぞ、なんて密香はため息を吐きたくなりながら思う。そもそも自分にはあまりやる気がないし、でも隣にいる男はアテにならないし。もう帰りてぇな。と密香は早々に諦め始めるが。
「いいよ」
ふと、隣にいる男が短く告げた。
密香は思わず泉を見つめる。……その横顔は、真剣だった。
一方、泉の視線の先にいる灯子も、驚いたように目を見開いている。当たり前だ、止められるとばかり思っていたのだから。
「……はっ?」
密香は思わず聞き返す。しかし泉は答えそうな様子が無かった。それどころか、密香を無視して灯子に話しかけ続ける。
「何か、譲れないことがあるんだろ? それは俺たちが一生懸命止めたところで、絶対に翻るものじゃない。……違うか?」
「ち……違わない、ですけど……」
「じゃあ、もう止める意味とかないだろ。無駄に体力削るだけなんだから」
そう言って泉はひらひらと手を振る。その様子で、本気で止める気がないということが分かってしまった。
灯子は驚きで目を白黒とさせている。許可を貰ったのならこの場から立ち去ってもいいのかもしれないが、生憎、混乱した頭ではすぐにGoサインが出せそうになかった。
驚きで言葉も行動のコマンドも失う灯子の代わりに、その驚きを露わにしてくれたのは密香で、密香は片手で泉の胸倉を掴むと、乱暴に揺さぶった。
「お前……さっきと言ってること違うじゃねぇか。手の平くるっくるなのか?」
「いやぁ~、俺もさっきまでは止める気だったんだけどねぇ~」
「語尾を伸ばすな鬱陶しい」
泉も泉で、もうその言葉を撤回する気はないと分かったのだろう。密香は乱暴な手つきで泉の胸倉から手を離す。泉は掴まれていた部分を軽く手で払い、それから整えると、灯子に向き直った。
「……別に俺は、止められなそうだから止めるのをやめた……とか、そういうのじゃないよ。そうじゃなくて……お前がそうやってすっきりしたような表情をしていて、もう何かの覚悟を決めたって……そう分かったから、俺は止めないことにしたんだ。お前が何をするのかは、知らない。でも……お前のこと、信じてるからな」
「……泉さん……」
「行ってこい。思うように、やってこい。……俺たちも、俺たちで出来ることを、やるよ」
「……はい」
泉の言葉を受けて、灯子は胸の前で両手を握る。……そして、神妙な面付きで、しっかりと頷いた。
灯子は泉と密香に向け、深く一礼をする。そのまま立ち去ろうとする灯子に、密香は深々とため息を吐いた。……完全に俺は蚊帳の外じゃねぇか。そんなことを思いながら、おい、と声を投げた。
灯子は顔を上げ、密香の方を見る。その真っ直ぐな瞳に少しばかり既視感を覚えつつも、密香は告げた。
「……一度しか言わないから、よく聞いとけよ」
「……はい」
「……俺たちは皆、お前のことが好きだ。そして、お前の身を案じている。お前みたいな自分勝手な女のために、沢山のやつが思いを割いてるんだ。……それを忘れんな。無駄にするなよ」
灯子はまた驚いたように目を見開き、密香を見つめる。ガラにもないことを言ったな、とは思ったものの、密香はその言葉を撤回する気はなかった。
……泉や他のやつらとは、この気持ちの名前は違うとは思う。でも、それなりに伊勢美灯子のことは、気にしているのだから。
驚いていた灯子だが、やがて笑う。その言葉も、きちんと噛み締めて。
「ええ。……もう、知ってます。……と言っても、さっきちゃんと気づいたばっかなんですけどね」
「……そうかよ。だったらもういい。好きにしろ」
「……ありがとうございます」
灯子は今度こそ、踵を返す。情報は集まった。話も終わった。
あとは──やるだけだ。
そう思ったが、灯子は2人の方に視線を戻す。まだこちらを見ている2人に、思わず灯子は笑って。
「そういえば、泉さんはちゃんと報連相をするようにした方がいいですよ」
僕は知らなかったことばっかだったし。そう笑うと、泉が気まずそうに目を逸らして。それがまたおかしくて、灯子は笑った。
灯子が立ち去ったのを見送ってから、密香は泉を一瞥する。泉は、満足そうに笑っていて。
……それがどうしようもなくムカついて、密香は泉の脛を思いっきり蹴飛ばした。いってぇ!? と泉は情けない声を上げ、患部を抑えるとその場に伏せる。それを密香はまるでゴミクズでも相手にしているような瞳で見下していた。
「な、何!?」
「いや、ムカついたから」
「理不尽なこと極まりない!!!!」
涙目で訴えていた泉だったが、小さくため息を吐くと微笑む。そしてどこか気遣うような声色で、尋ねた。
「……怒ってる? 突然、伊勢美に行く許可出しちゃって」
「……別に怒ってはない。ただ、戸惑っただけだ。勝手に最初と言ってること変えんな」
「はは……確かに俺、報連相ちゃんとしてないのかもね。……でも、あそこで作戦会議始めるのも不自然だったしさぁ」
よっと、と声を出し、泉が立ち上がる。それから同じ目線で密香を見つめると。
「お前だって、分かっただろ。伊勢美の意志。……あんな目見たら、もう止める気なんて失せちゃうよ」
「……」
泉が笑い、密香は黙る。
確かに、あの彼女の瞳は凛々しく、強く……輝いていた。
そう、まるで。
「……お前みたいにな」
「え?」
高校生の時、
どこまでも「自分」を持っていて、その「自分」が輝いている。どんな闇が覆い隠そうとも、消えない光。そんな光に、人々は恋焦がれる。
……あいつも、こいつと同じだったんだな、と密香は思った。
灯子は自分と似ていると思っていた。光は
でも、違ったんだ。
「……それを言ったら、密香みたいでもあるんじゃない?」
「……は?」
そこでふと思考に割り込んだ泉の言葉を、密香は聞き返す。泉は微笑みながら続けた。
「あんなに
密香は思わず目を見開く。そして、1つの可能性を考えてしまった。
光は、消えたわけではないのかもしれない。
そしてすぐに、馬鹿馬鹿しい、と思う。……思いながら、笑って。
「……かもしれないな」
頷く。その瞳には、夜空で輝く星が微かに映り、輝いていた。
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