第54話「湖は波を立てて」

まずは対話だ

「……ずみ、いずみ

「……んぅ~……?」


 自分を呼ぶ声が聞こえて、青柳あおやなぎいずみはゆっくりとその瞼を開く。辺りは暗くて、ほとんど何も見えない。……しかし数回瞬きをすると、ようやく景色がはっきりとしてきた。目の前に相棒である忍野おしの密香ひそかがいることも、よく理解できる。


「……うわっ、何?」

「何? じゃねぇよ」


 そう言って密香は泉の額にデコピンをする。いてっ、と泉は小さく悲鳴をあげた。

 だがそう言われても、すぐには現状を理解できない。……再び辺りを見回すと、自分が椅子の上に座って眠っていたということ、大智だいちは机に突っ伏して眠っていること、部屋の隅に置かれたベンチの上でカーラが横になって眠っていることが分かった。……分かったというか、実際に見えるだけなのだが。


 そして直近の記憶を辿る。……そうだ、俺たち「湖畔隊」は、伊勢美いせみ灯子とうこを止めること、誰かがやろうとしているとんでもない作戦を止めるために……計画を練り始めたのだ。徹夜を覚悟で始めたが……どうやら途中で、眠ってしまったらしい。


 密香は恐らく眠っていないのだろうな、と思った。彼は寝落ちなんてしないだろうから。自分以外に誰も動けない状態なら、特に。


「……ごめん、寝ちゃったね」

「別に、それはいいんだよ。休息を取らないとパフォーマンスも下がる」


 泉が謝ると、密香が首を横に振る。文句の1つでも言われるかと思ったのに、と泉は思わず驚いたが、それを口にするとそれこそ文句を言われそうなので、何も言わないことにした。

 それより、咎める意味で起こしたんじゃないんだと、じゃあどうして起こされたのだろう、と疑問に思う。首を傾げる泉に、密香は冷静な声で告げた。


「……伊勢美が来てる」

「……えっ?」


 思わず大きな声が出そうになったが、それはなんとか留める。念のため大智やカーラの方を仰いだが、2人が起きたような様子はなかった。


「……どこに?」

「警察内のデータベースが閲覧できる部屋だ。……何かを探しているらしい」

「……そっか……」


 何をしようとしているのかは、察しが付く。……灯子が復讐を行おうとしている相手、Smileの情報を集めているのだろう。確実にやり遂げるために、事前準備を入念に行おうと思うのは自然な流れである。

 灯子はデータベースを使ったことがあるわけだし、それを使って情報収集しようと思うのも自然だ。


「正直、今は隙だらけだ。……行くなら今だと思うが」

「……」


 密香の言葉に、泉は黙る。どうするべきか、考えていた。


 確かに、不意を突くのは……確実に止めるためには、有効的な方法だと思う。


 でも、思う。それでいいのか? と。

 向こうの話も聞かず、一方的に仕掛けるなど……出来ないと思った。それは、灯子の気持ちを無視することになるのだと思う。


 まずは、話が聞きたい。そう思い、泉は首を横に振った。


「いや……戦うことになるかもしれないのは、別にいいけど……まずは対話だ。話を聞きたい」

「……そうか。分かった」


 泉の言葉に、密香は頷く。相変わらず、馬鹿みたいなお人好しだな、と思いながら。


「……ところで、実際に伊勢美にエンカした……ってわけじゃ、ないよね?」

「ああ。一応、作戦を立て始めてからずっと伊勢美の所在を『Navigationナビゲーション』で追っていたんだが……さっき、ここに来たのを確認した。だからお前を起こしたわけだが……お前、全然起きねぇし」

「うっ、ご、ごめん」


 密香がジト目を向けると、泉は冷や汗を流しながら謝る。椅子に座りながらだが、随分と深い眠りについていたらしい。

 そんな泉に、密香はため息を吐いた。……5分、10分は目覚めなかった泉を思い出して。


 ……まあ、そんなことは今は良い。問題は灯子のことだ。


「で、いつ行くんだ? あいつが外に出たら?」

「そうだね……この中だと、何かが起こった時困るし」


 一応この海中要塞は頑丈な作りになっているので、この中で戦闘になったとしても問題はない。……ないが、灯子は全てを消せる異能力を持っている。頑丈な作り、というのもあまりアテにならない。

 リスクがあると考えられる以上、そうなるのは避けたかった。


 そう考えていると、密香がふと顔を上げる。どうした? と泉が聞く前に、密香が告げた。


「──動き始めた。外に出るみたいだぞ」

「……」


 自然と2人は、声と動きをひそめ始める。


 データベースを閲覧できる部屋から出入り口までは……泉たちがいるこの会議室の前を通る必要があるからだ。

 つまり灯子は、ここを通る。


 少しそうやって静寂を保つようにしていると、かつ、かつ、と微かに音が聞こえ始める。……足音だ。

 存在感を隠そうともしない、足音。


「……行ったか」


 音が遠ざかった頃、密香が呟く。泉は肩の力を抜き、頷いた。……いつの間にか、全身に力が入っていたらしい。緊張していたようだ。

 密香に手を差しだされ、泉はその手を握る。……そのまま引っ張られ、泉は立ち上がった。


「行こう」


 泉が微笑みながら告げる。密香はしっかりと、頷いた。

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