簡単に切れない糸

「……灯子ちゃん」


 遠慮したように、でも確かに、名前を呼ばれる。……は、振り返った。

 そこにはココちゃんが立っていて。その顔は笑っていたが……どこか緊張感のようなものも、含まれていたと思う。


 分からない。別に……どうだっていいし。


「……何?」

「今日の放課後、どうかなって。ほら、昨日は忙しいみたいだったから」


 ああ、と僕は呟く。そういえば、そうだ。昨日ココちゃんに、スイーツ同好会で作ったお菓子の試食をしてくれないかと……そう頼まれていたんだ。


 どうでも良くて、忘れてた。


 僕は笑いながら、告げる。


「もう暇じゃないので。今後、誘わないでもらえますか?」

「……え?」


 僕の言葉に、ココちゃんが大きく目を見開く。……僕、そんなに驚くようなこと、言ったかな。


「え……っと、これからまた、忙しくなる……ってこと?」

「まあ、そうですね。忙しくなります。……でも、それとは別に貴方とはもう関わりません」

「なっ……ど、どういうこと? ちゃんと説明してほしいんだけど」


 余程驚いているのか、ココちゃんは語気を荒くしながらそう問いかけてくる。気づけば周囲の人たちはこちらの様子を窺うように見て来ていて。

 ああ、全部、鬱陶しいな。


「説明も何も、そのままの意味ですが。……もう関わる必要がないので、関わらないだけです」

「何……それ。意味分かんないよ。ていうか今日、灯子ちゃんなんか変だし!! ……一体何がどうしたの……!?」

「……変……」


 言われた言葉を、そのまま繰り返す。そして僕は、笑った。


「……違う。今までが変だったんだ」

「……え?」

「僕は、僕の普通に戻っただけです」


 ココちゃんは何も言い返してこない。


 固まっているもかもしれないけれど、何も言ってこないのなら都合がいい。僕からココちゃんに対して用事はないので、僕は立ち去るために踵を返した。


「おい、伊勢美!!」


 しかし、僕の行く先に立ちふさがる影が、1つ。……ココちゃんの義兄の、持木もてぎ帆紫ほむらくんで。

 彼は僕のことを、鋭く睨みつけて来ていた。


「……なんですか」

「なんですか、じゃないだろ。……どういうことだよ。心音こころねと関わる必要がないって……!!」

「……持木くんとももう、関わる意味はありませんが」

「ッ……そういうことじゃねぇよ!! なんで急に、そんな……!!」

「……そうですね。確かに急です。それは、素直に申し訳ないとは思います。……でももう、貴方たちと僕には、何も関係がない。だから、気にしなくていいですよ」

「……僕……? って、何お前、生徒会長みたいな……」

「……どいてください。それとも、ですか」


 僕のその言葉に、持木くんが少し青ざめるのが分かる。……でも、それを見たところで、やはり何も思わない。

 僕は持木くんの横を通り抜ける。止められることは、なかった。


 だけど、別の人に止められる。……迷うことなく、腕を掴まれたのだ。次から次へと……と苛つきを覚えつつ、顔を上げると。


「──伊勢美灯子」


 静かに、名前を呼ばれる。


 僕の腕を掴んだ墓前先輩は、ただ僕のことを、真っ直ぐに見つめていた。

 反射的に、目を逸らしたくなる。だってこの人は……全てを知っている。全てを見透かされる。……そんな恐怖が、自然と心の底から沸き上がってくるから。


「分かってるだろ。一度繋いだ縁は、そんな簡単に切れるものじゃない。……そんな言葉1つで切れるものだと、本気で思ってるのか?」

「……貴方にももう、関係ありません」

「悪いな。俺は関係ないだなんて思えない」

「……離してください」

「嫌だ」

「離して!!!!」


 怖い、と思う。ようやく、ようやく決心がつけられたと思ったのに。だからココちゃんのことも、持木くんのことも突き放した。突き放せた。


 どうでもいい。もう全部どうでもいい。今まで築き上げたものも、大切だと思ったものも、もう全部どうでもいい。

 ──だって僕は、幸せになったらいけないから。


『そうだよ、君は許されない存在』

『君は誰にも大事に思われることなんてない。誰も君のことを好きになんてならない』

『君が関わると、全てがおかしくなる』

『僕が死んだのは──全部、君のせいでしょう?』


 頭の中に、声が響き渡る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る