立てるよな
そんな泉を、密香は思わず息を呑んで見つめていた。
それなりに、自負があった。俺はあの男のことを、よく知っている。少なくとも、この上迫という女よりは。だから堂々と、泉は来ないだろう、と予想した。
しかし泉は、来た。
どこか緊張感を持ったように、それでも微笑んでいる。何か、憑き物でも落ちたような顔だ。……自分が見ていなかった間に、一体何があったというのだろう。
なんとなく、予想が外れたことに衝撃を受ける密香を他所に、2人は口を開いて話し始めた。特に花温は泉と顔を合わせられたのが嬉しいのか、勢い良く立ち上がる。
「本当に久しぶり!! 元気だった?」
「まあ……何度か死にかけたけどね」
「えっ、やっぱ警察って大変だね……」
「それは本当、身を以って実感してる。……上迫はなんというか、変わったね」
「あ、分かる? 眼鏡やめてコンタクトにして、服とかにもこだわるようになって……」
「そうじゃなくて。……上迫は、こんなことするやつじゃなかっただろ」
何故かこの状況に似合わず、世間話が始まったが……早々にやめたのは、泉だった。微笑んでいたのが真顔になり、花温を真っ直ぐに見つめている。
花温はそれを見つめ返した。同じく、真っ直ぐに。笑みは崩さないまま。
「……そうだね。私、青柳くんに嫌われたくなかったから。……だから我慢してたんだよ。こんなに、忍野密香のことが憎かったけど、私、我慢してた」
そう言うと花温は……密香の頭を、思いっきり踏みつけた。痛みに顔をしかめ、呻く密香。そして青ざめて息を呑む泉。……その光景に、花温は思わず恍惚とした表情を浮かべる。
今、この場を支配しているのは、まさしく自分。その感覚に、全身が震えた。
「でも、間違えてた。青柳くんのことを本当に思うなら、倫理観なんて早々に捨てるべきだった。……こんな犯罪者に、正攻法で挑もうとするのが馬鹿だったのかも。手段なんて選ばないべきだった」
花温は足を動かし、ぐりぐりと地面に密香を押し付ける。痛いんだろうなぁ、と思った。何故なら自分は今、異能力を使っているから。……普通の数倍以上の痛みを感じているだろう。
ああ、こんな醜態を晒させられて、可哀想に。
「上迫」
そこで泉が静かに、彼女の名を呼ぶ。それだけで、花温の背中が震えた。鼓膜が、脳が、喜んでいるのが分かる。彼に認識されるだけで、こんなにも。
顔を上げると、そこには泉の冷たい瞳があった。……その奥では、怒りの炎が燃えているのが分かる。ああ、敵だと認知された。でも、良かった。それすら、嬉しかった。
君に怒られたって、恨まれたって、君の目を覚まさせてみせる。
「おかしいよね? 青柳くんは警察でしょ? だから、異能犯罪者は全員裁くべきだよね? ……それなのにどうして、青柳くんは忍野くんを生かすの? 自由にさせているの? ……ああ、でも、青柳くんは優しいもんね。もし出来ないのなら、私が代わりにやるよ。君の為なら、罪を犯したって構わないから。それで君に裁かれるなら、そんなに嬉しいことはないから」
「……俺は……」
花温に問いかけられ、泉は小さく口を開く。
今まで、何度も聞かれたことだ。それでも、周囲の反対を押し切ってでも、そうしていたのは──。
そこで泉はふと、花温から視線を逸らした。そのことに、花温は眉をひそめる。……なんとなく、こんな感覚がした。追い出された、と。
そのことに、花温はやり場のない焦燥感を抱く。好きな人に興味を無くされた、感覚。こちらに向かせないと。そう思い花温は、更に密香を踏みつける力を、強める。それに伴って、密香は更に呻いた。
どうだ、と思う。……しかしそれでも泉は、花温を見なかった。
「密香」
泉は今度は、彼の名前を呼んだ。何よりも信頼を置いている部下の、唯一無二の親友の、相棒の名前を。
静かに、波紋の広がるような……そんな落ち着いた声で。
別に、大声で呼ばれたわけではない。しかし密香は、彼の声しか聞こえなくなるような、そんな感覚に陥った。今だけは、花温から与えられる過度な痛みも、気にならない。……体が、彼から与えられる言葉を、待っている。
「お前、俺のこと殺すって言ったよね? ……なのに、こんなやつに、こんなとこで負けるのか」
泉は、笑う。
「なあ、立てるよな。密香」
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