忍野密香~Rebirth~

 そこからは、どうにか1人で生きてきた。人を騙し、人から盗み、人に付け入り、上手く生きていった。

 あの家に比べれば、外はなんて自由で生きやすいのだと、名もなき少年はそう思った。


 でも、やはりその幸せに隠れ、地獄が存在しているのを知っていた。路地裏で行われるリンチ、弱者から金を巻き上げ、人が倒れ泣いていようとも、人は見向きもしない。正義感と無謀をはき違えた馬鹿は勝手に消えていく。


 でも、どうでも良かった。名もなき少年は、それを行う側の人間だったから。

 もう二度と、される側にはならない。


 さて、このまま暗闇で生きていくのもいいが、どうせなら表側でやる方が堂々と動きやすいし、都合がいい。そうなると、名義や肩書が必要だった。

 年齢的には、もうすぐ高校生。まずは学歴を作るべきだと感じた。


 小学校、中学校は適当に。自分の頭だったら、少し勉強すればどこへでも行けるだろう。将来にも繋がりやすい、そしてやりやすそうな高校は。


 そう思って選んだのが、明け星学園だった。世界で唯一の、異能力者のみしか存在しない、エリートの中のエリート高校。


 と、わざわざ経歴を偽装してまで入学にこじつけようと考えた少年だったが、いざ願書を提出しようとして、驚いた。何故なら、提出する書類があまりないからだった。

 名前を書き、持っている異能力を申告し、後はテストで基準値以上の点数を取り、異能力の実力を証明し、理事長との面接で軽く話せば入れるというではないか。

 これだったら、戸籍が無くても入学が容易い。セキュリティガバガバかよ、と心配になったが、これが間違いなく明け星学園の入試方法だった。もちろん、偽装するものが少なければそれはありがたいが。


 ただ問題は、名前だった。少年は名前を有していない。一応名字は……あの家のものだと思うが、今更あの家の名を口にしたくもないし、それを名乗ってあの家で起きた事故の関係者と疑われることもしたくない。あの件は、不幸な事故だということで片付いているのだから。


 だから、1から考える必要がある。あまり目立たなそうな、平凡な名前を。その方が変に目立たなくていい。

 少し考えたが、別にどうでもいいか。と思った。ぱっと浮かんだ名前で良い。その方が覚えやすいだろう。


 そして少年は、思いついた名前をそのまま、紙に記す。ぱっと思いついた名前には思わず笑ってしまったが、悪くない。


 これは俺があいつを踏み台に、地獄を生き抜いた証だ。


「忍野密香」。


 紙の上で、その字が躍っている。

 この日、名もなき少年は、忍野密香として生まれ変わった。





 その後、恙無つつがなく明け星学園への入学を果たした。作った名前を名乗り、異能力には毒の生成ではなく……家からの逃亡後に何故か手に入れていた、あの家に代々伝わる異能力、「Navigationナビゲーション」の方を申告し、テストでは好成績、異能力テストもそれなりにこなし……理事長との面接では、こいつは腹の中にとんでもない野望を隠しているやつだと思ったが、向こうは我関せずの様子だったので、こちらもそうした。


 そうして密香は、明け星学園であっという間に「上」の存在になった。


 誰にでも優しく、気さくに振舞い、悪を許さず、運動も勉強もできる文武両道な、完璧な人間。周囲からの評価は、そんなものだっただろうか。

 密香は、「良い人間」を演じた。その方が楽だったからだ。様々な人が自分を慕い、敬い、自分が言うことになんでも肯定の意を示す。少し愛想を良くするだけで、こうだ。世の中は楽だった。


 そんな密香は、学内でこう噂された。きっと、次の生徒会長は忍野密香だと。というのもこの学園では、生徒会長が次期生徒会長を指名する、というシステムが取り入れられている。基本的に次期生徒会長に指名されるのは、生徒会長に副会長に任命された生徒。そして副会長として生徒会長を横で献身的に支えた、優秀な生徒だ。

 明け星学園は、基本的に異能力中心社会だった。強いやつが偉い。密香の「Navigation」は戦闘向きの異能力ではなかったが、それでも体術だけで十分渡り合えるだけのポテンシャルを持っていたし、何より、統率力という面で、彼は誰よりも有力候補だった。


 それは良い話を聞いたと、密香は思った。学内で一番偉い存在になる。悪くはないと感じた。

 だからこそ、それを目指そうと思ったし。


「君……どうしたの? すごい怪我だね、大丈夫?」

「あ……? なんだよ、お前……」


 あの日、校舎裏で傷だらけになっていた青柳あおやなぎいずみに、手を差し伸べたのだった。

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