忍野密香~分岐点~

 簡単な話だった。異能力中心社会で、「1日に1回自分の運を調整する」というだけの異能力を持っているだけの泉は、格好の的となっていたのだ。

 彼は、陰湿な暴力を受けていた。普通に殴られる蹴られるはもちろん、異能力の実力試しに使われたことも少なくない。


「可哀想」な存在。でも誰も助けない。だって、彼が弱いのが悪いんだから。


 そんな泉に、密香は目を付けた。そんな弱者に優しくすれば、周囲は自分のことを更に持て囃すだろう。あんな弱いやつを助けてあげるなんて、なんて優しいのだろう!! といった具合だ。そんな思いで、声を掛けた密香だったが。


「……うるさい。俺に構うな……。……可哀想な俺に優しくして、好感度でも稼ぐつもりか? 俺で自尊心満たすなよ……」


 彼はそんな風に笑うと、密香の手を振り払い、1人で立ち上がった。そして足を引きずりながらも、校舎裏から去っていく。……何も掴めなかった手はそのままに、密香はその背中を目で追った。

 取り巻きたちが、酷い、だとか、あんなやつに構う必要ないよ、だとか言ってくる。密香はそれを丁寧に否定しつつも、心の中では別のことを考えていた。


 ……適当なことを言っただけかもしれない。でも、同じだ。

 あの時、俺が弟にかけた言葉と、同じ。


 その時猛烈に、密香の中に沸き上がる欲求があった。あいつのことを篭絡したい。絶対に感謝させたい。ありがとうと言わせたい。


 執着にも似た、激しい感情が沸き上がる。密香は迷いなく、泉に構うことにした。……それが最終的に、大きな失敗に繋がるのだと、知らずに。



 辛抱強く、しつこく、時には相手のことを無視してまで構うと、だんだんと泉は密香に心を開いていった。密香がいることで、力をとにかく人に振るいたいと考える馬鹿たちが近づかなくなったのも、大きな理由だろう。

 泉は密香に笑顔を向けることが増えたし、同級生だということもあって、授業を一緒に受けることも増えた。親友、と言っても過言ではない程の距離感で接し、密香は満足していた。これで、周囲からの信頼もより厚くなっただろう、と。


 しかし、泉と距離が近いからこそ、密香は誰よりも早く知ってしまった。


「密香、あのさ……相談があるんだけど」

「珍しいな、お前が相談事なんて。……なんだ、言ってみろよ」


 自信がなさそうに、気恥ずかしそうに、躊躇うように相談を持ち掛けた泉を、密香が笑う。その笑顔に泉は少なからず安堵した様に笑い返してから。


 告げた。


「……実は俺、生徒会長から副会長にならないかって、しつこく勧誘を受けてて……助けてほしいんだ」


 は????


 思わず密香は、心の中でそう叫んでいた。実際に声に出さなかったのを、褒めてほしいくらいだった。


 その時どう答えたかは覚えていない。まあ無難に、もちろんだろとか返した気がするが。……それにしても頭の中では、「どうして」という単語が、ぐるぐると回っていた。


 どうして俺じゃないんだ。俺は人に優しくしてきたし、優秀な生徒の部類に入ると思うし、誰からも慕われている。どうしてこいつなんだ。こいつはマシな異能力も持っていなくて、喧嘩も勝てないほど、俺に助けられないといけないほど弱いし、周囲のことを敵だと思っているのか、態度が刺々しいので、人に好かれている印象もない。……どうして!!


 それだけで気が狂いそうだったが、幸いと言うべきか、泉は副会長になることに乗り気ではなさそうだった。こんな俺が副会長なんて、という言葉には、心の中で全面的に同意したし。じゃあ俺のこと推薦してくれよ、と言うと、やだよ会いたくないんだから、と返された。だよな、と返しつつも、内心では舌打ちをしていた。


 だから、泉と生徒会長が会わないよう、密香は様々な工夫を凝らした。とりあえず何よりも、あまり泉から離れないこと。そうすれば、「Navigation」で生徒会長の位置が分かるから、近づく気配があればすぐに逃げられる。

 また、泉に断る練習をさせた。泉にしつこく接し、それで篭絡したからこそ分かることだが、泉は押しに弱い。強く押されると、勢いに任せて頷いてしまうタイプだった。それで面倒な仕事を押し付けられたり、手伝いに駆り出されたことも少なくないらしい。篭絡させるにあたり、前はそれがありがたいと感じたが、今はそれだと困る。もし彼と生徒会長が顔を合わせてしまえば……彼女の圧に押され、彼が首を縦に振ってしまうことは火を見るより明らかだ。

 そうだというのに。


「そんなんで生徒会長が納得すると思うのか!? ていうかお前、断る理由くらいまともなの用意しとけよ……」

「だ、だって、やりたくない以外ないし……密香のスパルタ!!」


 と、そんな喧嘩をしたことも1度や2度ではない。あまり改善は見られなかった。


 一番困ったのが、生徒会長が思った以上に泉に執着をしていることだった。隙があれば泉に近づくし、突拍子もなく声を掛けてくる。時には、なんでそんなルートから!? と言いたくなるようなところから来ることもあり、常に彼女の行動を監視する密香は、精神的に疲弊した。そんな変なやつに追われ続ける泉に、少しばかり同情してしまう。


 だけど怯むわけにはいかない。よりにもよって泉を、自分を差し置いて副会長にするなんて。そんなの、プライドが許さなかった。


 しかし、密香の努力は実を結ばなかった。密香が少し、ほんの少しだけ気を緩ませてしまった、その時。生徒会長と泉の接触を、許してしまった。

 その後、生徒会長は全く泉を追ってこなくなった。代わりに、泉が真剣な顔で何かを考え込むことが増えた。何を言われたかは、知らない。しかし泉の選択が揺らぎ始めたことだけは、ひしひしと伝わって来た。


 日常は静かになり、密香の漠然とした、焦燥感だけが取り残される。このままだと、マズい。でも、どうする──。


「密香、俺、生徒会に入ろうと思う」


 そして、その日が来てしまった。


 その時、密香と泉の間の距離は、永遠に開いてしまった。密香は、悟ってしまった。否、今まで気づかないふりをしていたことに、遂に対面させられてしまった。


 自分は、永遠に二番手の存在なのだと。

 俺が欲しいと思うものは、いつも目の前のやつに、いとも簡単に奪われてしまうのだ。


 そして、もう1つのことに気が付いた。その時ようやく、泉の顔をしっかりと見つめた気がした。違う、逆だ。泉が顔を上げたのだ。今まで俯いてばかりいた彼が、前を見据えるようになったから、顔がしっかりと見えるようになったのだ。


 泉の纏う雰囲気は、あの日殺した弟に似ているのだ。心の底から、人を愛している。慈しみと優しさに溢れ、打算など一切なく、人を信用し、人に手を差し伸べることができる。彼が歩む方向へ、自然と人が付いて行く。


 全て、俺が苦労しないと、手に入れられないもの。それを、呼吸をしているだけで得られる者だ。

 そして本人は、その恵みに気づいていない。



 ああ、だから、こんなにも。……こいつを見ているだけで、ムカつくんだ。

 殺さないと。



 思ったら、早かった。密香は、生徒会室へ向かおうと自分へ背を向けた泉に向け……異能力を振りかざした。とびっきりの、間違いなく人を殺すことができる毒を。

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