××××~地獄へ~

 浴びるように酒を飲み、美味しい料理を食べ、話に夢中になっていた家の者たちは、しばらくその異変に気付かなかった。だが気づいた時には、もう遅かった。


 なんだか、焦げ臭い香りがする。確かに日中には小火騒ぎがあったはずだが、それはもう終わったはずだ。


 宴会場から外の様子を窺った者は、目を見開く。

 何故なら、家全体が燃えていたから。


 どうして今まで気づかなかったのだ。慌てて全員に声を掛けるが、開いた扉から炎が入り込む。まるで意思を持っているかのように。……それを見た者たちが、慌てふためく。あっという間にパニックとなった。

 家の者たちは外に出ようと、扉に手を掛けるが……開かない。鍵がかかっているのかと開けようと思ったが……鍵が使い物にならなくなっていることに気が付いた。これでは、外に出られない。


 その間にも炎は人へと乗り移り、火達磨たちが出来上がっていく。目の前で次々と人が死んでいく。それに伴ってまた恐怖心が膨れ上がる。悲鳴と、怒号と、絶叫が響き渡る。


 名もなき少年は1人、悠々とそれを眺めていた。自分には耐火性のある毒を纏わせている。炎の上を躊躇いもなく歩き、死んでいく人間を見ては足蹴りにしていった。

 わざわざオリジナルの物質まで生み出し、家から出ることなく残っていたのには、訳があった。


「……ひそか」

「っ!?」


 名もなき少年は、1人の少年に声を掛けた。もう長らく会っていない、「ひそか」だった。彼はまだギリギリ火が迫っていない宴会場の隅っこに蹲っていた。

 当たり前だ。彼が座る席の場所をあらかじめ調べ、もしパニックになった際、彼がどのような行動を取るのかシミュレーションし、一番最適解の場所に耐火性の物質を塗っておいたのだから。そこに逃げ込むことは目に見えている。


 計画通りにいったことに名もなき少年は喜びつつ、「ひそか」に手を伸ばした。


「大丈夫? 早く、逃げよう」


 成長したものの、まだ人を疑うということを知らないらしい。「ひそか」はほっとしたように息を吐くと、躊躇いなくその手を取った。





 まだ火の手が回っていないところと、鍵が開いているところを見つけていた。でも「ひそか」が心配で戻って来た。走りながらそう告げると、「ひそか」は涙ながらに喜んでいた。……これから自分がどうなるかも知らずに。


 2人が辿り着いたのは、「ひそか」の自室だった。確かにここは名もなき少年が言う通り、火の手が回っていなかった。焦げ臭い香りがするし、熱気に当てられて汗は止まらない。だが先程の場所よりはマシだ。

 思わず「ひそか」は安堵する。これで、生き延びられると。


 しかし、それは幻想に終わる。……名もなき少年が、「ひそか」の後頭部を殴り飛ばしたのだ。


 しかも拳ではない。「ひそか」が野球部で使用している、金属バットだった。「ひそか」は床に倒れ、震えながらなんとか起き上り、流れ落ちる血に視界を塞がれながらも、なんとか目の前の光景を捉えた。


 笑っていた。名もなき少年が、満面の笑みを浮かべながら、金属バットを振り上げていた。


 ガッ!! と鈍い音がし、「ひそか」の視界が激しく揺れる。床に無抵抗に倒れ、もう起き上がれそうになかった。当たり前だった。


「……な、に、を……?」

「なぁ、痛いか?」

「……え……?」

「痛いかって聞いてるんだよ」


 そう言って名もなき少年は、「ひそか」を足蹴りにする。「ひそか」は小さく呻き、そしてなんとか頷いた。……その反応に、名もなき少年は微かに笑う。


「そうか、それは良かった。お前には苦しんでもらわないと、俺の気が済まないからなぁ」

「……?」

「まっ、まだ全然足りねぇけど」


 名もなき少年は軽い調子でそう言うと、再び金属バットを振り下ろす。今度は腹部に。これ以上頭を殴って、死なれるわけにはいかないから。

 まだ、苦しんでもらわねば。


 ……その後、全身を一通り殴った。そろそろ家のあちこちから聞こえていた声たちも聞こえなくなってきて、こんな規模の火事だからだろう。消防車の音も聞こえ始めていた。

 そろそろ、タイムリミットか、と名もなき少年は判断する。


「ひそか」にはまだ、辛うじて息があった。血まみれになり、骨も何本も折れ、きっと死んだ方がマシだと思っているだろう。……そう考えるだけで、名もなき少年は今までに感じたことのないほどの高揚感に襲われた。

 ああ、生きていて、こんなにも嬉しいことがあるだなんて!!


「俺はなぁ、お前が憎かったよ」

「……」

「お前には異能力がある。俺はない。それだけで、こんなに扱いが変わるとはなぁ。……お前、気づいてただろ。俺が非道な実験のモルモットにさせられてたこと」

「……」

「でも、気づかないフリしてたよな? まあ、賢いと思うぞ。無闇に首突っ込まない方がお前も安泰だしなぁ。俺も逆の立場だったらそうするかもな」

「……」

「でも……お前は、甘すぎる。お前のその幸せが、近しい誰かの不幸の上で成り立っているものだと知っているのなら、そいつに不用意に噛みつかれねぇよう、対策しとかないと」


「ひそか」は、喋らない。否、喋れない。もうそんな体力も残されていなかった。


「ああ、お前は甘やかされて育ったもんな。脳内がお花畑だから、そんな危険すら見えないんだよな。ははっ、そのせいで死ぬんだから世話ないよなぁ!!」

「……」

「……でも、お前はこんな俺に優しくしてくれたよな。遊んでくれたし、お前だけが、俺に気さくに話しかけてきた」


 名もなき少年が、どこか哀愁漂う声で、そう告げる。……しかし次の瞬間には、満面の笑みになって。


「俺にはそれが、吐き気がするほど鬱陶しかったぞ」

「……」

「最初こそ純粋な気持ちだったかもしれねぇけど、段々生まれてきた感情が見え透けてるんだよなぁ。こんなやつに優しくしてやってる自分、偉いよなっていう。気持ち悪ぃんだよ。人のこと踏み台にしといて自尊心満たしてんじゃねぇよクソが」

「……」

「まあ……そういうわけだ。恨むなら、この家を恨むんだな。でなきゃ、こんな怪物は生まれなかった」


 名もなき少年は、再び金属バットを振り上げる。「ひそか」の、頭部を狙って。


 さあ、お別れの時間だ。

 俺を生み出した、全てとの。


「俺に知識を与えてくれた。それだけは、感謝してる。……じゃあな。地獄に落ちろ」


 そして、振り下ろす。金属バットが「ひそか」の頭を割る、その一瞬前に。


「お前も、地獄に落ちるだろうよ」


 そんな声が、確かに名もなき少年の耳に届いた。


 頭蓋骨が砕かれる。先程までいた人間はどこにもいない。今あるのは、先程まで人間だった肉塊と骨だ。


 名もなき少年はそれを見下ろし、再び毒を生成する。証拠隠滅に、その死体を跡形もなく、溶かして。


「……こっちは元々、地獄で生きてるんだよ」


 そして、これからも。


 どこまで行こうと、この先に待っているのは、終わらない地獄だ。分かっている。でも、生きていかないといけないと、思った。


 地獄に目に物を見せてやる。俺はここにいるのだと。俺は踏み台にされたのだから、今度は俺が、全ての人間を踏み台にしてやる。


 名もなき少年は、「ひそか」のクローゼットを漁る。幸いと言うべきか、彼とはあまり体格も身長も変わらず、ボロボロの布切れのような服を脱ぎ棄て、服に袖を通すと、それはあまりにも体に馴染んだ。


 ふと、クローゼットに取り付けられた鏡が目に入る。そこに映っている顔は、「ひそか」にそっくりで。

 ……やはり、腹違いでも、腐ってでも、俺たちは兄弟なのだと、思い知らされた。


 まあそんなことも、もうどうでもいいが。


 名もなき少年は、「ひそか」の部屋に取り付けられた窓を開ける。そしてそこから飛び出した。


 初めて、家の外へ。

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