××××~手段と計画~

「ひそか」の部屋で見つけた本の中で、こんな本があった。


 皆から嫌われている子がいた。彼は他の子と関わり合いたくて、つい意地悪をしてしまう。でもその意図が分からず、どの子も離れていった。

 ひとりぼっちで寂しいと泣く嫌われ者に、1人の子が話しかけた。

 どうか泣かないで、僕とともだちになろうと。

 その子と友達になると、自然と嫌われ者の周りには人が集まって来た。やがて嫌われ者は人との関わり合い方を知り、幸せに暮らしていった。


 名もなき少年は鼻で笑った。所詮は、フィクションの出来事だと。





 どうにかしなければ、とは思いつつも、打開策は見当たらなかった。まず第1に体力がないこと。まともな食事が与えられていないこと。成長するにつれ、地下室から出る術も冷蔵庫をバレない程度に探ることも出来るようになったため、昔よりは栄養が取れていると思うが、それでも貧弱なことに変わりはなかった。

 第2に、ここから出てどうするのか、ということだった。名もなき少年は、この家の中のことしか知らない。外の世界がどうなっているのか、少年は知らなかった。教科書などを読むが、そこでは当たり障りないことしか教えてくれない。地図を読もうにも、具体的なことは分からない。どんな建物があり、どんな人がいて、どんな危険があるのか。それを知りたかったのに。


 生きるためには、衣食住が必要だ。服や食べ物は、盗めばいいだろう。しかし住居は? 野ざらしというのは現実的じゃない。ホームレス、というものがいるのは知っているが、彼らに対して世間からは風当たりが強い。それが子供ともなれば、目立ってしまうだろう。それは避けたい。どうされるか分からないから。

 金を稼ぐのが早いかもしれない。しかし、子供が働くのは禁止されているらしい。余計なことを、と舌打ちしたくなった。


 血を吐く。ここ最近、体調が芳しくなかった。思考をしようと思っても、気づいたらぼーっとしてしまうことが多い。眩暈がして、気づいたら地面に倒れていることも少なくない。起きている時間より、意識を失っている時間の方が長くなってきた。


 時間がない。ひしひしとそう感じていた。危機感に追われ、焦燥感に駆られていた。

 恐らく俺は、もうそこまで長くない。





 しかしそんなことに家の者は構うことなどない。容赦なく開発した毒を摂取させ、その作用に名もなき少年は苦しませられた。


 高熱を出し、少年は三日三晩呻き続けた。全身が熱く、溶けてしまうのではないかと本気で思った。もはや起き上ることも、思考をすることもままならない。もう何度目になるかも分からないが、死を覚悟した。

 名もなき少年は、ふと思った。いつしか、寒くて寒くてたまらなくなり、必死に壁に皮膚をこすりつけ、摩擦熱で暖を取ろうとしていた時があったと。あの時の毒を与えられたら、この熱と相殺されるのではないかと。


 ──そしてそれが結果的に、功を奏した。


 気づけば名もなき少年を苦しめる熱が引いていた。体は軽く、思考が妨げられることもない。一体何が起こったのかと、少年は不思議に思った。


 しかし少年は勘が鋭かった。試しに、「右腕に皮膚が爛れる毒を」と、想像してみた。1度、使われたことのある毒だ。

 すると段々、少年の体に変化が起きた。みるみるうちに、右腕が爛れていったのだ。鈍い痛みが襲う反面、少年は歓喜に振るえた。毒が扱えるようになったのだと、悟ったのである。

 今度はそれを打ち消すものをと想像すると、みるみるうちに治っていった。微妙に痛みは残ったが、それでも十分だった。


 もう、苦しまなくていい。少年はその事実を噛み締めた。


 少年は、現状を打破する手段を手に入れたのだ。



 だが、すぐに何かを行うことはやめておいた。慎重に、事を進める必要がある。失敗したら、きっと2度目はない。もっと酷い目にあうだろう。それだけは避けたかった。

 計画を練り、好機を狙う。それまでは耐えた。この苦しみももうすぐ終わる。そう思えば、もう痛みなど気にならなかった。


 そして遂に、待ちに待っていた「その時」は訪れた。その日は親族が集まる日であり、今この家にはこの家に関わる全員がいるらしい。もちろん名もなき少年は呼ばれるはずもなかったが、苦しむ自分の前で勝手に色々集まる際の打ち合わせをしたりしてくれるので、情報入手は容易かった。


 当日になり、こっそり地下室を抜けると、面白い話も聞けた。どうやら使用人の不始末で、軽い小火ぼや騒ぎが起きたらしい。既に鎮火された後のようだが、都合が良いので、それも使わせてもらうことにした。


 名もなき少年は、宴会場に全員が集まっていることを確認した。使用人は台所と行き来しているが、それはまあいい。人間がほぼそこら辺にいればいいのだから。

 確認を終えると、名もなき少年は出入り口を巡った。そしてその鍵を、塞ぐ。この数日間で、名もなき少年は毒を体外に出すことも出来るようになっていた。訓練の賜物である。今回は触れるだけで物体が溶ける毒を生成し、それをかける。次に素早く、冷却の効果がある毒を生成。それで固め、ちょうど鍵のところだけを使えなくした。少し見ただけでは、鍵が使い物にならなくなったと気づかれることはないだろう。これで発見は遅らせられるに違いない。

 なんだか体内で何かが燃えるような熱さと氷を詰められたような寒さを感じたが、そんなことも気にならなかった。


 これで最後だ、と鍵に手をかけた時……背後から、物音がした。

 振り返ると、そこには1人の使用人が立っていた。青ざめ、こちらを見つめている。


 そしてその口が開くのを見た時、名もなき少年はすぐさま動いた。鍵に使おうとしていた毒をそのまま、使用人に投げつける。そのコントロール力は凄まじく、しっかりと使用人の口を塞ぐ。……その熱さにもだえ苦しんでいたようだが、なんせ口を塞がれたもので、声は出ない。しかしその苦しみは、表情から読み取れた。


 だが名もなき少年は、それを見ても何も思わなかった。

 否、正確に言うと、感じてはいた。──悶えている時、物音でも立てられたら、気づかれてしまうと。だから名もなき少年は更に同じ毒を生成し、それを使用人の全身へと掛けていく。……やがて使用人は溶けて、消えてしまった。もう目の前には何も残っていない。いい感じに対象は指定できるのだな、と名もなき少年は思った。


 そして名もなき少年は1人、笑う。


「なんだ、簡単だな」


 名もなき少年は鍵の処理など、全ての準備を終えると、仏壇から取って来たマッチを擦る。そして火が点いたそれを、床に捨てた。



 さあ、お前らにも地獄を見せてやるよ。

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