××××~学習~
実験ばかりの少年の日常は、ある時変化した。いつも大人しか来ない地下室に、子供が来たのだ。
「君、だぁれ?」
「……」
名もなき少年は戸惑った。第1に、人と会話をしたことがないから。第2に、自分は名前を有していなかったから。
何も喋らない少年に、あどけない子供は首を傾げる。しかしすぐにそんなことはどうでも良くなったらしく、子供は名もなき少年の手を握った。
「ねぇ、一緒に遊ぼ。ヒマでしょ?」
「……ぇっ……」
手を引かれるまま、名もなき少年は立ち上がる。まともに歩いたこともないので、震える足で、なかば引きずられるように子供の後に付いて行った。
子供は、1人でよく喋った。勉強続きが嫌で逃げ出してきたこと。いつもは閉まっている扉が少しだけ開いていたから入ってみたら、君を見つけたということ。あ、僕はひそか、と自己紹介。
連れていかれたのは、その子供──「ひそか」の自室。机の上にはノートや鉛筆が散乱していたが、「ひそか」はそんなこともお構いなしにおもちゃ箱へ飛びつくと、何かを取り出した。
「これ! カルタやろ~」
そう言って「ひそか」は床の上に乱雑に札をぶちまけ、それが重ならないよう手で調整する。……名もなき少年は、ただそれをぼぅっと見ていた。
取り札を並べ終え、読み札を持つ「ひそか」は、そのままそれを名もなき少年に渡した。
「君が読んで! 僕が取るから!」
「……」
差し出されるまま、受け取る。数枚、手にとってはじっくりと、裏表と眺めて。
「ひそか」は待っていた。札が読まれるのを。……しかしいつまで経っても、札に書かれた文字が読まれることはなかった。目の前の少年を見つめると、彼は札を見て、自分を見て、どこか困っているようだった。
てっきり、自分と同い年だと思っていたが。「ひそか」は思わず、感じた疑問を吐き出す。
「……もしかして……読めない?」
その問いかけに、名もなき少年は答えない。ただ、ぼぅっと「ひそか」を眺めるだけだった。
名もなき少年は、「ひそか」から文字を習うことになった。場所は、家の中ならどこでも。時には「ひそか」の自室、時には居間、時には庭、トイレで勉強することもあった。
というのも、「ひそか」が突然立ち上がったかと思うと、名もなき少年の手を取って逃げ出すことが多々あったからだ。どうやら、人が来るということが分かるらしい。いつも見られてて、居心地が悪いんだと、彼はそう語っていた。
名もなき少年は、「ひそか」から教えてもらったことを、どんどんと吸収していった。話すということを覚え、字も2日でひらがなとカタカナをコンプリート。3日目からは勝手に「ひそか」の漢字ドリルを読んで書き出すようになった。
言い知れぬ危機感を覚えた「ひそか」は、量があればこなせなくなるだろうと思い、国語だけでなく算数、理科、英語、社会と、家から与えられたドリルを全て名もなき少年に貸してみた。……すると名もなき少年は2週間でそれを制覇。気づくと、「ひそか」の学力を上回っていた。
いよいよ危機感が現実のものになり、「ひそか」も勉強に励んだ。お陰で成績は伸び、家の者から褒められる機会が増え、監視の目は少々薄くなった。
名もなき少年と「ひそか」は、こっそり互いを高め合う存在となっていた。
だがそれでも、互いの立場は変わらない。名もなき少年は相変わらず毒の実験体にさせられていたし、「ひそか」は順風満帆な人生を送っている。
知識を手に入れた名もなき少年は、現状に疑問を抱くようになった。昔は、この苦しみから逃れたい、早く死にたいとばかり考えていたが、今は違う。どうして自分だけがこんなに苦しい思いをしないといけないんだ。どうして「ひそか」はそんな思いをしていないのか。それを考えるようになっていた。
「ひそか」が腹違いの弟だと、名もなき少年は気づいていた。
どうして。血が半分違うだけだ。それくらいしか違いがない。自分には異能力が出なかったから出来損ないだと言われたっけ。じゃあ「ひそか」には異能力があるということだろう。どうしてあいつは。どうして自分は。そう考えるようになっていた。
いつしか、名もなき少年と「ひそか」は会わなくなっていた。名もなき少年は相変わらず毎日苦しめられ、「ひそか」は学業だったり学友と遊んだりと、忙しくしているようだった。
そして「ひそか」と会わなくなるほど、彼への憎悪は膨らんでいった。否、彼だけではない。この家に関わる者全員、名もなき少年の敵だった。
自分をこんな生き地獄に産み落とした母、出来損ないだというレッテルを貼った父、自分を実験体にする家の者、なんとなくでも事情は知ってるだろうに、何もしない腹違いの弟。
味方なんていない。
1人で、どうにかしなければ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます