本当の自分
春松くんはじりじりと下がり続け、やがて……鉄の檻に、その背中が付いた。もう逃げ場はない。
だから僕は、これがとどめだと言わんばかりに、日本刀を振り上げ──。
そこで視界の端に、何かが横切った。
何か、黒い影だった。なんだ、と思って、自然と目がそれを追いかける。
それが失態だと気が付いたのは、息が詰まるのと同時だった。
前に視線を戻すと、春松くんが僕を見下ろしている。僕は地面に押し倒され、両手で首を絞められていた。
視界が涙で滲む。本当に、死ぬ。僕は足をバタつかせたが、春松くんに届く感触はない。
やがて、全身から力が抜けていき、意識が酩酊していく。それと同時、春松くんが僕の首から手を放して。
僕の首元に、溶けた刀を突き付けた。そしてそれだけでは飽き足らず、腹部を踏みつけられる。ご丁寧にも、最初に思いっきり膝蹴りを食らわせてきたところだ。痛みに痛みを重ね、こちらの戦意を奪ってくる。
「惜しかったな。俺は本当に姿を消しているわけではない。あくまで見えないだけであって、実体はあるから、その実体を追い詰める……そこまではとても良かった。だが……油断したな。人は、動くものを自然と目で追ってしまう性質がある。それを利用させてもらった。
黒い影は、俺が異能で生み出したもの。……まあその正体が何なのかはどうでもいいが、普段のお前なら、それを警戒しつつも目の前の俺から意識を逸らさなかったはずだ。……そこがお前の心の隙だよ。実地だったら、間違いなくもう死んでたな」
春松くんは淡々と、こちらにネタばらしをしてくる。こちらは必死に痛みに耐えているというのに、そうさせている側は非常に非情だ。
彼は、無表情のまま淡々と続ける。
「ほら、降参か?」
「……ッ、……」
横目で首元に突きつけられた刀を見つめる。炎で対処していたものの、溶けたのは全体ではない。まだ半分ほど、残っている。よく、斬れそうだ。
僕は大きく息を吸い、吐き、酸素を確保する。まだ視界は安定しない。踏みつけられているから動けないし、今の僕に、彼の足を退かすほどの体力はない。
「……こう、さ……ぼくの、まけ、です……ッ」
「そうか」
春松くんは返事をすると、すぐに足を退かした。そして魔法の杖を取り出すと、それで僕の頭を小突いて。
「〝痛いの痛いの飛んでいけ〟」
恐らく世界で一番使われているであろう魔法の言葉を、紡ぐ。
それと同時、僕の全身から痛みが引き、傷も治っていくから、やはり不思議な力だ。魔法というのは。
視界も呼吸も安定する。僕は地面に手を付いて、上半身を起こした。
「……ありがとうございます」
「ああ、どういたし──」
そこで不自然に、春松くんの言葉が途切れる。彼の全身から、唐突に力が抜けたのだ。見ていて分かるほど、脱力していて。……そのまま地面に無抵抗に倒れるところを、慌てて元気になった僕が受け止めた。
「……ごめん、伊勢美。指一本動かせねぇ……」
「な、え、どうしたんですか、これ」
「……魔力切れ」
どうやら、魔法を使いすぎるとこうなるらしい。喋ることは出来るし、体に何も異常はないのだが、ただ動けない。いわゆる金縛りのような状態になるみたいだ。
鉄の檻を消しておき、春松くんは僕の膝の上に寝かせた。なんとなく、地面にそのまま寝かすのは
「……悪いな、世話させて……少しすれば、動けるようになると思うから……」
「いや……まあ、それは別にいいんですけど……いつも、僕の方が世話になっていますし……」
「はは、それもそうだな」
いつも自分が世話をしていますとでも言いたげな笑い方だった。いや、間違っていないし僕自身もそう思っているけど。……そう笑われると、少しイラっとする。
「……お前は負けたけど、まあいいんじゃないかと思うよ。もうここに来なくて」
春松くんは、そう静かな声で切り出した。そこには少しの寂しさも滲んでいたように感じる。
対して僕は、彼から目を逸らした。
「……倒せと言われたんですし、そんな気遣われた感じで合格を貰うのも嫌です。ちゃんと倒します。僕が勝ちます」
「ちゃんと倒しますって、はははっ。まあそれでお前が満足するならいいけどさ。……お前って、案外負けず嫌いだよなぁ」
「……そんなことありません」
「いや、あるだろ」
「……頭地面に強打させますよ」
「すみませんでした」
春松くんに謝罪をさせたところで、僕は満足をして頷く。今、動けない春松くんを脅すのは簡単だ。
「……そっちが、本当のお前なのか?」
そこでふと、春松くんが切り出す。僕が首を傾げると、彼は小さく呟いた。
「その、僕、ってやつ」
「……ああ……」
指摘され、何のことか思い至る。すっかり失念していた。……私は思わず自分の口を抑え、彼から目を逸らす。
少し黙ってから、私は春松くんの方に視線を戻した。
「そう……言えるかも、しれません。し、今の私も……本当の私なんじゃないかな、と……」
「……そうか。まあ、どういうことか詳しくは聞かねぇよ」
そう言って春松くんは軽い調子で笑う。そうしてくれると、こちらとしてもありがたかった。
静か時間が流れる。そこから私も話さず、春松くんも話さない。いや、まあ、彼は何度も体を動かそうとしていたけれど、どうにもまだ上手くいかないようだ。
「……春松くん」
「ん?」
「私、ずっと、貴方に言われたことを考えていて」
今度はこちらから話を切り出すと、彼は訝しげな表情を浮かべる。それに気づいてはいたものの、私は気にせず喋り続けた。
「……過去に経験した苦しいことが、辛いことが、負った傷が……優しさが、温もりが、征く道を照らすと」
「……言ったな。そんなこと」
「はい。……正直、私は……まだ、そういう風には思えません」
苦しいこと、辛いこと、心に傷を負うこと。そうならなくていいなら、そうならない方がいいに決まっている。その考えは、まだ変わっていない。
でも。
「……でも、今まで貰った沢山のことが、今の僕を形作っていると……最近、そう思うようになりました」
誰かに優しくしたい時、誰かと友達になりたい時、誰かに勝ちたい時、誰かに負けるわけにはいかない時。
僕は、人と関係を築くことが、上手くない。それに僕は、恐ろしいほど、無知だ。明け星学園に来て、それを何度も痛感させられた。
僕はいつも、誰かに教えられてばかりで。
それは、僕が望んだことじゃない。いつだって、誰かに勝手に押し付けられたもので。僕がいくら拒もうとしても、皆、遠慮なく踏み込んでくる。
鬱陶しい、けれど、今はそれが良かったのかな、なんて、思ってしまうのだ。
苦しいことも、辛いことも、もう経験したくない。それは変わらない。でも、良いことなら、嫌なことを避けるために、選んでいきたい。足掻いていきたい。
そう、思う。
……こんな僕が、そう思う資格なんて、ないだろうけど。
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