第30話「一閃の気晴らし」

デートのお誘い

 私はゆっくり学校に向かい、惰性に授業を受けて、お昼を食べて、午後の授業も意識半ばに受けた。

 それはもはや作業だと言っても過言ではない。ただ席にいて、黒板に書かれたことをノートに記し、先生が少し零した大事そうな情報を書き取り、練習問題などがあれば指示に従ってやる。


 ただ、それだけの単純作業。


 授業は大事だ。私は教科書だけ読んでいればテストで100点を取れるような天才的な人間ではない。だからこそきちんと授業を受けて、そこで理解をして、自習して更にその理解を深めないといけない。まず理解をする、そのための授業だと思っている。


 ……だけど今日は、いつもより身が入らない。授業を受けるという行為が、ただの単純作業になってしまっている。

 よくないとは分かっていても、私の頭を占めるのは今朝のことで。



伊勢美いせみ、断言するよ。お前はこれから、とても深い悲しみと苦しみに襲われる。それで心が折れるかもしれない。二度と立ち上がれないと思うかもしれない。暗い闇の底で、1人だと感じるかもしれない』


『でも、もう1つ断言出来ることがある。……お前の持っている傷が、優しさが、周りの人から貰った温もりが、きっとお前の征く道を照らしてくれるよ、伊勢美』



 私を強くするため、特訓に付き合ってくれている……春松はるまつゆめくん。彼は私に、とても大きくて重い……そんな言葉を、残していった。


 心が受け付けない。そんなことがあるわけない。もう1人の私が、そんな風に叫んでいる。だったら無視をして、もう追い出してしまえばいい。そう分かってはいるけれど、完全に否定することも出来ない。追い出すまでには至れない。

 心に住み着いた言葉に、反感を抱いている。だけど、それを追い返すにはどうしても躊躇してしまう。


 だから一日中、そんな風に……モヤモヤしている。


 いつも通り、ココちゃんや持木もてぎくんは私に話しかけてくれる。だけどその応対も、今日の私は適当だった。流石に悪いな、と思う気持ちはあるが、気を取り直すことが出来ないのは事実で。

 2人もそんな私を見て何かを察しているのか、午後に向かうにつれ放っておいてくれるようになった。……余計に申し訳なく思えてくる。


「じゃあ灯子とうこちゃん、また週明けね」

「……ああ……はい、また」


 ココちゃんに声を掛けられ、私はワンテンポ遅れてそう返す。するとココちゃんは少しだけ困ったように眉をひそめてから、改めて微笑を浮かべた。だが今度こそこちらに手を振って、教室を出て行く。持木くんもそれに続いた。


 その後ろ姿を見守るが、すぐに見えなくなる。ずっと一点を見ていても、知らない人が行き交っていくだけだ。


 私も、帰るか。と腰を上げる。まあ帰るというか、春松くんのところに行かないといけないんだけど。……そう思うと、歩くための足が重い。


 別に、彼のことが嫌いで会いたくないわけではない。ただ今のこの状態のまま会って、大丈夫なのだろうか。私はあらぬことを口走ってしまうのではないか。

 ……今朝も、正直危なかった。


 どうするか、と考えつつ、廊下をゆっくりと歩く。少しでも行く時間が短くなるように。習い事に行きたくなくて渋る子供の様だった。別にそれと変わらなかった。


 曲がり角を通過する。しかし曲がったところで……誰かと正面衝突してしまった。思ったより痛くなかったから、顔と顔がぶつかったわけではないらしい。

 思わず尻もちをついてしまった私は、手で少し顔を抑えてから、ゆっくりと顔を上げる。……するとそこには、整った顔があって。


「ごめん! 大丈夫? ……って、あ、灯子ちゃん」

雷電らいでん先輩……」


 私に手を差し出しているのは、2年生の先輩である雷電らいでんせん先輩。どうやら私は、彼とぶつかってしまったらしかった。

 私たちはそれなりに身長差があるから、私は雷電先輩の胸元とかに顔がぶつかったのだろう。痛くないのもそのお陰で。


 私はおずおずと彼の手を取り、引っ張ってもらう。その拍子に抱き留められ、ふわりと少し良い香りが鼻をくすぐった。香水か何かだろうか。鼻に付かない、優しい香りだ。


「大丈夫? 怪我はない?」

「……はい、大丈夫です」


 そして抱きしめられたまま、髪やら背中やら、ボディチェックをされる。……果たしてその確認は、この姿勢でないといけない意味はあるのだろうか。

 最後に少し体を離して、頬に触られる。くすぐられるような、撫でられるような、少し……落ち着かない気持ちになる。


 すると先輩は一歩下がり、私と距離を取った。そして苦笑いを浮かべる。


「はは、灯子ちゃんって本当、俺が何しても顔色1つ変えないよね」

「……どう反応すればいいか、分からないだけです」

「反応って、自然と出てくるものだと思うけどな~」


 灯子ちゃんって面白い、と雷電先輩は楽しそうに笑っていた。……私には何が面白いのか、全くもって分からない。


「灯子ちゃんは、今から帰るところ?」

「ああ……はい。先輩も……?」

「うん、家事とかしないとだし。……」


 お互い帰るところらしい、と確認し合う。しかし先輩の顔から何故か、笑顔が消えた。……そのまま私のことを、ジッと見つめている。その瞳の色まで見えそうなくらい近くまでにじり寄ってきて。

 いや、先輩って糸目だから、瞳とか見えないけど。


「な、何ですか……」


 その沈黙と、先輩から発される何とも言えない圧に耐え切れず、私は声を絞り出す。……すると先輩は、パッと笑って顔を上げた。


 ……そして何故か、私の手を取る。


「灯子ちゃん」

「……はい」

「俺とデートしようよ」





※挿絵あり

https://kakuyomu.jp/users/rin_kariN2/news/16818093073611301999

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