じかん堂のどら焼き

 その目まぐるしいまでの仕事が終わったのは、そこから実に2時間後の事だった。


 ようやく生徒会室の前から人がいなくなり、私たち3人は同時にとても大きなため息を吐き出す。言葉ちゃんは大胆にも床に寝転び、私は机に突っ伏し、泉さんは部屋の隅で缶コーヒーを片手に苦笑いを浮かべていた。


「2人とも、お疲れ」

「僕もう二度と仕事しない……」

「私ももう二度と生徒会長の仕事を手伝いません……」

「はっはっは、お前ら甘いぞー。そう易々と生徒会長を逃がしてくれないのがこの明け星学園だ」

「ブラックにもほどがない!?!? ブラックコーヒーくらい、いや、ブラックコーヒーより真っ黒じゃん!!!!」


 そう言うと勢いよく起き上り、泉さんの持つ缶コーヒーを指差す言葉ちゃん。彼の持つそれには、確かに「超・ブラック」なんて書かれているけど。


「いや、これもなかなかに苦いぞー。目が覚める」

「僕苦いの苦手だから遠慮しておく……とーこちゃんは?」

「……別に、好きでも嫌いでもありませんけど……紅茶の方が好きです」

「カフェイン、っていう点では一緒だな」


 泉さんはそう言って笑うと、パーカーのポケットに手を入れた。そして……3つ、どら焼きを取り出す。え、今、どこから出したのだろう。いや、ポケットから出したんだけど、明らかにあのポケットにあんな大きなどら焼きが入るとは到底……。


 そこで何とも言えぬデジャブが起こり、私はすぐにその正体に気づく。……ポケットから大量のお菓子を出す言葉ちゃんだ……。


「俺から2人にご褒美だ。……なんと、『じかん堂』のどら焼きだぞ!!!!」

「えっ!? その反応……ま、まさかっ……泉先輩、その手に持っているどら焼きはまさか……ッ、1日50個しか販売されないという……伝説の……!? それを譲ってくれるなんて……!!」


 ……どうしよう。目の前の2人には一般教養らしいが、私はもちろん知らない。


 泉さんはどら焼きを高々と突き上げて高笑いしているし、言葉ちゃんはひれ伏している。たぶん疲れているのだろう、この2人。そして私にも残念ながらツッコミを入れる気力はない。


 とにかく、とそれを1人1個手に入れ、袋を開封する。……するとすぐに小豆のいい香りが漂って来て……たまらず、きゅう、とお腹が小さくなった。なるほど、数量限定という話だけあって、美味しそうだ。


 一口食べる。厚くてほんのり塩味のする皮。すぐに口の中に飛び込んでくる甘い餡子。見下ろすと、大量の餡子がこちらを覗いている。……こんなに沢山あるとは、最後の最後まで飽きなそうだ。何より、疲れた頭にこの糖分は助かる。

 続いてもう一口……と口を開いたところで、私は視線に気が付いた。


 ……生徒会長と元生徒会長が、仲良くこちらを観察している。


「……なんですか」

「いや、どうかなーって」


 そう尋ねる泉さんの瞳はとても輝いている。どうかな、と聞く割に、「美味しいでしょ!? ねぇ美味しいでしょ!?」とその顔が言っていた。質問が意味を成していない。

 私はため息を吐く。そして実際に美味しいと思っているし、嘘を吐く意味もないので。


「……美味しいです。とても」

「……ふっふっふ……また1人、『じかん堂』の信者を増やしてしまったな……」

「勝手に信者にしないでください……」


 念のため、何かの宗教か? と思って調べてみたら、出てきたのは東京の西部にある甘味喫茶店だった。勝手に宗教にされるのは、店側もなんと迷惑なことだろう。そして疑ってしまって申し訳ない。


 そしてそのまま3人で食べ進め、あっという間に完食。後味もくどくなくさっぱりしている。とても良いどら焼きだった。信者にはなっていないが、今度1人で行ってみよう。ホームページをそのままブックマークしておいた。


「で……小鳥遊。どうする? 当初の目的とはだいぶ変わったけど、このまま夕飯食いに行くか? 奢るよ」

「えっ、マジで!? やったー高い肉!!!!」

「勝手に高い肉奢らせようとするな!!!!」


 ただでさえさっき痛い出費食らったのに……と私に視線を送りつつ言う泉さん。もちろん私のせいではないので、無視したが。


「とーこちゃんも来る? 高いお肉あるよ?」

「小鳥遊、高くしないで」


 すっかり泉さんは困り顔になっていた。私は熟考した上で、口を開く。


「……では、ご一緒します」

「えっ」


 泉さんは泣きそうな声をあげ、それからおもむろに財布を取り出し、中身を数え始める。……その様子を見つつ、私はため息を吐いて。


「ただ……高い肉とかは、別にいいですよ……普通のにしましょう」

「……伊勢美しん

「……崇められても、迷惑です」


 こちらに手を合わせてくる泉さんを横目に、私は言葉ちゃんを見る。……すると彼女は、満面の笑みを浮かべて。


「……やだなぁ、僕だって、本気で先輩に奢らせようなんて思ってないよぉ」


 ……絶対奢らせようとしてただろう。相手は先輩だというのに。笑顔でそれを言うなんて、恐ろしい人だ。

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