更にヤバい人

 だが私のそんな思考とは裏腹、言葉ちゃんはあっさり彼を抱きしめ返した。


「せんぱぁぁぁぁい……結婚しよ……」

「うん、しない」

「うん、僕もしない」


 笑顔ではあるが淡白な泉さんの返事に、言葉ちゃんも一気にいつもの調子を取り戻す。先程までの涙は一瞬でどこかへ行ったらしい。……2人の独特のノリに呆ける私を放っておいて、2人は素早く動き始めた。机の上にある物を二分化する。そして部屋の隅に置いてあった折り畳み式のパイプ椅子を持ってきて、豪勢な椅子の横に置いた。……2人分の作業スペースである。


「先輩、こっちの椅子座っていいよ」

「何言ってんだよ、今の生徒会長はお前なんだから、お前がこの椅子で偉そうにしとけ」

「偉そうになるから嫌なんだよ」


 言葉ちゃんはそう言って唇を尖らせる。しかし泉さんの言葉には弱いのか、大人しく豪勢な方の椅子に腰かけた。うん、いつもの言葉ちゃんだ。

 一方、泉さんはパイプ椅子の方に座る。そして机の上にある書類たちを手に取り、パララララララッ、と一気に捲った。50枚くらいあるのだが……。


「小鳥遊。上の4枚は急ぎだから先にやっておけ。あと作業効率を考えて、10枚目から15枚目は話を進めておいた方が良い。後は急ぎじゃないから大丈夫だな。……俺があの列を引き受けるから、お前は今のうちにやっておけ」

「流石、早いね……分かったよ先輩、ありがとう」

「こういうのは、慣れだな」


 そしてどうやら、その書類全てに目を通したらしい。それを全て理解した上で、言葉ちゃんにアドバイスまでしてしまった。その時点でかなり異常なのに、言葉ちゃんはまるで当たり前かのように受け止めていた。

 いや、苦笑いはしているけど。


「はー、面倒だけど、やるかぁ」

「やるぞー。……ってわけで伊勢美。外の貼紙剥がして、中に呼んでくれ」

「え、あ、はい……」


 すっかり蚊帳の外になっていた私だが、一応まだ認知はされていたらしい。泉さんに促され、私はゆっくり外に出た。……そこにはやはり、多くの人が。

 私は扉に貼ってあった紙を剥がす。


「……どうぞ」


 と、言う前に、もう人は中に入り始めていた。待ちくたびれていたのは分かるが、せめて聞いてくれ。





 私はすることもないので、部屋の隅で立ち尽くしていた。別に帰っても良かったけど、なんというか……帰るタイミングを逃してしまったというか……。


 すると横からどうも……視線のようなものを感じた。私がそちらを見ると……泉さんと目が合う。どうやら視線の送り主は彼であるようだ。

 彼はニコッ、といい笑顔を浮かべると、手招きしてきた。人に応対しながら。……器用な人だな……。


 私はそちらに近づく。すると彼は部屋の隅にまだあるパイプ椅子を指さした。……取ってこい、ということらしい。

 1つ持って戻ってくると、彼はようやく口を開いた。


「ここ、座りな」

「……はあ」


 言われた通り、私は椅子を組み立ててそこに座る。……すると何故か、私に1枚の書類を渡した。


「これ、やっといて」

「えっ、あ、えっ……? あ、あの、私……仕事のやり方とか、知らないんですけど……」

「大丈夫、教えるから。あと簡単に済ませられるものしか渡さないから」

「は、はぁ……」


 押しが強く、断るに断れなかった。私は言われるがまま、手元にある書類に目を落とす。……それは、夏休みの間に行われたらしい部活動の合宿の様子の報告書だった。誰が参加したか、どんな特出したことがあったか、お金はどれだけ使ったのか、この合宿でどのようなことが得られたのか……などなど……。

 ……えーっと、やるって、何を……。


「はい、これ持って行ったら許可取れると思いますよ。……最後のページに印鑑押すところあるだろ? ざっと見て良さそうだったら、そこにあるそれ押して。で、俺に渡して。ざっとで良いよ。ほんと、テキトーで」

「え、ええ、わ、分かりました……」


 目の前の人を相手していると思ったら、急にこちらを見てアドバイスをくれる。まるで私が読み終えるのを待っていたみたいだった。


 ……適当でいいと言われても、困ってしまうのだが。そう思いつつ私はもう一度中を見返すと、特に何も問題などはなさそうなことを確認する。……それを終えると、すぐ横に置いてあった印鑑を手に取った。そしてそれを、思い切って押す。……赤く四角い判子が、そこに押された。崩し字で分からないが、これは恐らく「明け星学園……」と書いてあるのだろう。後半が「……」なのは、流石にこの後は何て書いてあるのか分からないからである。


「えっと……これで、いいですか……」

「ん、サンキュー。じゃあ次これね」


 泉さんに差し出すと、間髪入れずに次の書類が来る。え、と戸惑う私に構わず、彼は笑って私の手にそれらを握らせた。

 あ、圧が強い……。


「それはここに書いてある結果とこの売上利益とかを算出したやつをこの電卓で計算し直して……」

「これは時間かかるやつだから後回し。そこ積んどいて……」

「文化祭実行委員の名簿は、このパソコンの生徒IDと見比べながらリスト作って。特に規定とか無いから、伊勢美が見やすいと思うものを作ってくれれば……」


 そして泉さんは様々な人を驚異のスピードで捌きつつも、私に的確な指示を飛ばした。その活躍には、私も目を見張るものがあり……。


 ……言葉ちゃん以上にヤバい人なんて絶対いないと思っていたが……これは、何と言うか……更にヤバい人だ。

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