第1話 根城が奪われた

「…聞いてないんだけど」


「まぁ、あんたには言ってないからね」


 やけに片付いたリビングで母は呑気に言う。最近母が部屋を片付ける姿はよく目にしていた。模様替えでもしているのだろうとずっと思っていたけど。


「まぁそんなわけで、おばあちゃんのとこ行くんだから。あんたもその陰気臭い服、いい加減やめなさいよ。見てて暑苦しいんだから。」


「待って、私は行くなんて言ってないから」


 母の中で話が完結してしまいそうだったので慌てて止めると、母は嫌そうな感情を隠しもせずにため息をついた。


「あんたねぇ、いつまでも反抗期の中学生じゃないんだし、ずっとこのままでいる訳にも行かないでしょう?誰も知らないところに行くなら問題ないじゃない。それに家には居られないのにどうするつもり?」


 こういう時、子供は実に無力である。私のような人間は特に。この家以外に帰る場所もなく、友達もいないのであてもなく。親戚はみんな両親の実家がある田舎にしか居ない。同郷で生まれた両親は、田舎で唯一上京してきた二人なのだ。


「…でも、父さんの仕事は?兄ちゃんの大学だって、いくら夏休みだからってずっと向こうにいる訳には行かないでしょ?」


「お父さんはちょうどリモート中心に変わるタイミングだからって言ってたわ。春輝はるきももう四年生だから大丈夫よ。そもそも、そういう風になったからこのことが決まったんじゃない。今しかないんだから、もう今さら無しには出来ないのよ」


 母の世界は、父と兄を中心に回っている。今回の件だって、私が頷くしかないことを知っていて話をしなかったに違いない。


「それにしたってリフォームって…たったひと月で終わるの?」


「終わらせてもらえるプランにしたのよ。ほら、暇なんでしょ?早く自分の部屋の荷物まとめなさい」


 こうして、抗議する暇もなく田舎行きが決定した訳だ。永遠の住処と思われたたった六畳の根城は、肉親たちの手によって奪われていった。

 最重要警戒対象のはずだった夏の日差しは、分厚いカーテンを開けた瞬間、嬉々としてフローリングに反射した。

 部屋を舞うホコリがキラキラと煌めいて、憎たらしいほど眩しかった。


 8月1日

 実に2年ぶりに感じた外の空気は、暑く、苦しく、毒のように爽やかだった。

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