第9話 第4題目「癒し」 異世界人ver


 結局のところ、銭湯の魅力を語る上で一番欠かすことができないのは、『雰囲気』なのだ。例えどれだけの美麗な芸術的湯舟を作ったとしても、使う側がそれを楽しめなければ意味がない。そして技術の素晴らしさをどれだけひけらかしても、勇也が楽しめなければ意味がないのだ。


(そう、この前のじゃんけんで勝てたのは______私の技術の使い方が、勇也にとって好ましいものだったから。変に高度な技術よりも、ああやってちょっとしたおふざけに使える程度がちょうどいいのかもしれない)


 そうしてサラは外見上の特徴は現代のままに、随所の機能を強化した銭湯を提供することに決めた。

 結果は上々。湯舟の浸かり心地においては、今のところ文句なしの評価を受けている。


「うわ、服着た時の感覚も違うな。肌が変化してるから、服の着心地も新鮮でいいな」

「さてさて、お風呂に入った後にすることといえば、なんでしょう?」


 もちろん、これだけで終わりではない。サラにはまだまだ切り札が残っている。

 それはもう既に勇也の視界にも写っているのだが。


「……マッサージ機、か?」

「デトックスは済んでいると思うけど、凝り固まった筋肉をほぐしたりするのは湯舟だけじゃ無理。ってことで、こちらへどうぞ~♪」


 連れていかれたマッサージ機はちょっと良さげなスーパー銭湯でみかける、ごく一般的なマッサージ機である。ボタンの操作方法などもそのままであり、サラによる魔改造が加えられているわけではなさそうだ。


「こういうところで便利にしたら、ちょっと古臭さのある『雰囲気』が壊れちゃうでしょ。そこらへん、ちゃんと勉強してきたから」

「すごいな。いつの間にかそんなところにまで気を遣えるようになっっっ」


 喋っている途中で、マッサージ機が起動。猛烈な振動と共に、体が一切動かせなくなった。


「あばばばばばばぶべべべべんぼぼぼぼぼぼぼばばば」

「まずは強力な振動で全身の筋肉の緊張をほぐして、固まった筋肉をほぐすわ。その後、ゆっくりと揉んで血流の改善を図る。そうすれば______」


 意識が飛ぶレベルの振動でフラッフラになった後、筋肉が多くついている大腿部や背中、肩がゆっくりと揉みほぐされていく。ほぐれることで筋肉の動きが柔軟になり、血流が改善。デトックスにより老廃物がなくなったことで綺麗になった血液が全身に送られ、細胞の老化を食い止めることに繋がる。

 そして気が付けば30分以上、俺はマッサージ機の上で眠っていた。


「……あれ、いつの間にか?」

「ふっふっふ、気持ち良すぎて寝ちゃってたのね。これはもう、私特製のマッサージ機を認めたも同然。体は正直なのだわ」

「なんか……体がすごいことになってるな。寝起きだってのに、目覚めがものすごくすっきりしてる。本当に気持ちいいな」

「さてさて、マッサージ機も終わったら、後は出るだけ、ついでのコーヒー牛乳もお忘れなく!」

「…………」


 俺は知っている。

 サラは天才であり、特定の物事に集中した時の頭の働きっぷりは凄まじいものだと。

 そして_____それ以外のことにはあまり考えが及んでおらず、それが残念なミスに繋がってしまうということを。

 俺は手渡されたコーヒー牛乳の瓶に触れた途端、それを飲むことがあまりよくないのではないかと少し思ったが、サラがニコニコと笑いかけてくるので、仕方なく飲んだ。

 結果として、このコーヒー牛乳は料理対決の時にも使われた、あの味覚最適化が実行された飲料で。

 めちゃくちゃに美味しかったが、感覚が異常を起こし、俺はぶっ倒れた。



 * * * * *


 

「…………ぷはっ! はぁ、最高と最低が両立したコーヒー牛乳だった……」


 今更だが、美味し過ぎて気絶とはどういう原理なのだろうか。この身で体験して尚、原理がいまいち理解できない。


「ほれ、次だぞ勇也。まずはこの魔術を受けてもらう」

「あえ?」


 サラの風呂に対して考えをまとめるより先に、レイスが襲い掛かってきた。

 拒否する間もなく魔術をかけられ______サラの風呂に入ったことで改善した身体状況が、みるみる内に戻っていく。


「うげぇ……体が……怠い……」

「それでよい。とことん不調になってから私の風呂に来るがいい。存分に癒してやるぞ」


 ツヤツヤだった肌は瞬く間に年齢相応の弱弱しい肌に、そして明朗だったはずの気分は瞬く間に暗く沈んでいった。

 だが、これが二人の『勝負』を公平にするための策なので、嫌がりつつも渋々受け入れる。

 そして______そんなことよりも気になるのが、レイスの様子である。

 俺はレイスが持っているという『魔力』について何もしらないのだが、そんな俺でも分かる。今のレイスが纏う魔力は、想像を絶するほどに高められているのだ。

 いつの間にか俺の横にいたサラも、いつもなら喧嘩をふっかけていたところだが、今だけは大人しく成り行きを見守っている。恐らく、俺以上にレイスが纏う雰囲気が尋常ならざるものであることを理解しているのだろう。


「準備時間の間、私はずっと瞑想を続けていた。お陰で、私の魔力はかつてないほどに高められている。サラが卓越した技術を使った風呂を提供するなら、私は真逆のやり方を取らせてもらおう」


 そして、レイスが作った風呂へと扉が開いた。先にレイスがそこを通っていき、後から俺が通るように指示される。


「さぁ、来るがよい。世界の根源たる意思の力_____『魔力』の真髄を、その体に叩き込んでやろう」



 * * * * *

 


 レイスはいつも『魔力』とやらを使って魔術を使っているらしいが、実のところそれがどんなものなのか、よく理解できていない。ファンタジーものでよくある不思議な力、以上の理解はないのだ。

 なので、魔力の真髄を見せると言われて最初に連想したのは、疲れが取れる魔術でもかけられるんだろうな、ということだったが______


「…………」

「あまり動くなよ。私の集中力が乱れれば、下手すれば体が爆散する。気をつけろよ」

(それを言われた方が集中力乱れるんですけど?! なんでお風呂に来ただけなのに体が爆散するんだよ!)


 と、心の中で絶叫していたが、声に出すことは全くできない。

 何せ、レイスの雰囲気があまりにも真剣過ぎる。傍目で観察していたサラもごくりと生唾を飲んでいたので、相当な気迫だったのだろう。

 レイスといえばいつも精霊に頼っているイメージがあるが……本人にも、ここまでの迫力があったとは。


(……いや、普通にあったか。素手でマグロ獲るもんな)


 俺はきっと、普段の間抜けな姿に慣れ過ぎたんだろう。きっと本来のレイスは、もっと高潔な性格だったのかもしれない。


「今から始めるのは、『魔力マッサージ』と言ってな。私の世界においてはあらゆる万病に効くとされる、最高の医療処置だ」

「おお、すごいな」

「だが、相当に繊細な魔力の操作が必要だ。そして、使用する魔力が小さければ単なるマッサージで終わるが_____私の魔力を以てすれば、あらゆる病の元をかき消してやろう。下手すれば、寿命が2倍以上になるやもしれんな」

「寿命が……2倍?!」

「では、始めるぞ」


 そんな高潔なレイスに連れてこられたのは、風呂ではなくサウナ。俺はタオルを一枚巻いた状態で座らせられており、その周りを小さな妖精たちが大量に群れている。

 そしてレイスは後ろから俺の頭に手を翳し、何らかの儀式を始めた。正直なところ、いい年こいた成人男性が異世界から来た大魔導士とかいう少女と共にこんな状況に置かれているのは色々と違和感を覚えるのだが、そうも言ってられない。

 何せこの後_____サラの温泉をも上回る、強烈な感覚に襲われたからだ。


(俺は何を……死後? なんか自分が自分じゃない的な……いつぞやの幽体離脱か?)


 全身の感覚が奪われ、体の動きと意識が離された感覚。だというのに、意識は維持されたままであり、体が自分以外の何者かに乗っ取られたかのようである。


「むぅ……やはり魔力への態勢はまだまだ弱いな。だが……少しずつなら、慣らしていける……!」


 レイスが続けている作業は、勇也の体に見合う分の魔力を少しずつ注ぎ込んでいるところである。『魔力マッサージ』を魔力に見合う体の持ち主に施す際にはこんな繊細な作業が必要ないのだが、勇也は魔力の無い世界で生まれ育った一般人。下手に魔力を注げば、拒絶反応を起こしてしまう。それがひどいものとなった場合、最悪体が自発的に分裂を始めてしまうことになりかねないのだ。これを防ぐためにも、まずは少しずつ魔力に体を慣れさせ、魔力の道を作らなければならない。

 これは勇也も、そしてサラすらも気づいていないことだが_____実は勇也は、既に常人よりも非常に高い水準で魔力への耐性を有している。普段から強烈な魔力を発しているレイスとしばらく一緒にいたからなのか、はたまた元から勇也が何らかの素質を持っていたのか_____それは定かではないが、他の現代一般人に比べれば、勇也は非常にやりやすい相手だったといえよう。


「よし、魔力が貯蓄量ギリギリまで溜まったな。あとは、これを体の中で回すだけ……!」


 イメージする。

 今原勇也という人間の体内組織。人体は固まっているように見えて、その70%は水分でできているという。血は常に巡り、細胞も壊れて、そして生まれてを繰り返している。あらゆるものが流れ続ける人体の流れを魔力で感知し_____その流れの中から正常ではない流れを発見し、魔力によって流れを書き換えていく。

 濁った水を網ですくうように、そしてあり得ないはずの流れをせき止め元の場所に還すかのように、ゆっくりと慎重に魔力の流れを操作していく。

 勇也の体の各所がギチギチと音を立てる。やや過剰になった魔力の負荷に、筋肉が傷をつけられている状態だ。


(もっと慎重に、だ。老廃物と栄養の流れを強め、栄養が過剰な部位から栄養の足りない部位に流しつつ、臓器と骨格への影響を最小限に……!)


 魔力とは意思で操る心の力。そこには瞑想によって研ぎ澄まされたレイスの意思が乗っており、勇也の体を健康にするための強い使命感を強く体現できるように変質している。

 そして、その意思が非常に強烈であるが故に_____勇也は、まるでレイスに体を乗っ取られたかのような感覚に陥っていた。

 意識も開いている以上、勇也は強制的に流れこんできた魔力の片鱗に意識で触れることになり______



 * * * * *



 そこは、人里からずっとずっと、ずー---っと遠く離れた山の上。

 正に世界の果てだと呼ぶべき、伝説の地であった。


「はぁ……はぁ……」


 息が苦しい。雪すら降らぬこの場所は気温も低く、吐いた息が目の前で氷と化していく。靴には霜が降り、肌を刺す冷たさは本当の針のよう。薄い空気のせいで呼吸は荒く、段々と眩暈めまいもしてきた。

 辛くて苦しい。今すぐにでも後ろを振り返って、温かな地に戻りたい。でも、引き返すことすら怖くて、臆病にもただ前に進む。


「はぁ……あはは、何やってるんだ、私は。これで何もなかったら、ただの馬鹿ではないか」


 自嘲気味に笑いながらも、笑みを消して再び歩く。この繰り返しを、何度繰り返しただろう。もうすぐ沈む太陽は嫌気が差すくらいに差してくるが、温かさはこれっぽっちも寄越してくれない。

 歩く、歩く、歩く。

 足を挫きながらも、転びながらも、喉から血を吐きながらも、凍傷で腐った指を縛り付けてでも、飢えで霞む視界になっても、まだ歩く。

 もしかすると、心のどこかで、これが徒労に終わる未来を期待していたのかもしれない。登り切っても何もなくて、やっぱり自分は愚かでした______そんな結末になれば、もう背負うものなんて一つもなくなる。何もかもを笑い飛ばして、綺麗さっぱりこの命にケリをつけられる。


 そう思っていたのに。


「……へ?」


 そこに、本当にいたのだ。

 童話の竜は。


『……人、か。ここに辿り着いたのは初めてだな』

「……竜? 絵本で見たのと同じ姿……本物だ……」


 巨大な翼を折りたたみ、硬い鱗で覆われた体で寝そべった、偉大な姿。

 見た者全てを畏怖させる強い目を見ただけで、私の目は奪われた。

 なんと美しく、凛々しい目だろうか、と。


『我を見つけた。それが、お前の得た全てだ。この世の夢を喰らい人から離れた我に近づくことは、お前が境界線を跨いだことを意味する』

「境界線……どういう意味だ?」

『人は夢を抱き、それに向かって走る。そして、お前は夢との境界線を跨いだのだ。己すら否定した夢を信じ突き進んだ者への祝福だ』

「……そうか。私は……」


 私は、そこで倒れた。

 山の斜面は急だ。倒れでもすれば、そこから止まることなく転げ落ちていく。

 足場を失い、掴まるものすらなく断崖絶壁を落ちていく私。だが、恐怖はなかった。

 あったのは束の間の満足感と、ほんの一握りの希望だった。


 『夢は叶う』。


 誰もが知っていて、そして全ての大人が忘れていることだ。

 それを人生最後の一瞬で思い出すことができて、覚えていた時の幸せを思い出すことができた。それが、私へのプレゼントなのだと知って_____自分が報われた現実に、ほっとしたのだ。

 でも、それが人生最高の一瞬にはならなかった。


『たくさんの人に教えてあげなさい。たくさんの人に、思い出させてあげなさい』


 その声が聞こえたと思った時には、私は穏やかな草むらの中で寝ていた。温かな日差しが差し、涼しい風が肌を撫でてくれる。ボロボロだった体も治っているので、絶対にあの竜が何かしたのだろう。


「……まだ、最高の瞬間じゃないってことか。面倒な命だな……」


 夢を叶えてもなお生きる理由があるなんて、本当にとんでもない世界だと思う。でも、あの竜のおかげで、生きることは嫌じゃなくなった。

 立ち上がり、前に向かって歩き出す。対して爽やかでもなく美しくもない大地の元で、私はこう誓った。


「夢を叶える人がもう少しくらいいて……それで、少しだけ世界が良くなるように生きていこう。それくらいしか、もうやることがないしな」



 * * * * *



「…………あれ?」


 気づけば俺は、さっきのサウナに座っていた。


「お、目が覚めたか。意識が飛んでいたようだが……私が分かるか?」

「えーっと……レイス? なんか、さっき_____竜を見たような……この前のダンジョンのやつに似てる……」

「…………竜?」

「あれ、俺寝てたのか? 『魔力マッサージ』は……終わったのか?」

「処置は完了している。どうだ? 体組織の代謝がかなり進んだはずだが、疲労感などはないか?」

「うーん、疲労感とかは特……に?」


 手を握り、足を延ばしてみた瞬間、とてつもない違和感がした。

 まるで自分ではないかのように、体の動きが滑らかだ。筋肉、関節、骨格が連動して動いているのが肌で感じられる。心臓の鼓動、呼吸を続ける肺、動き続ける臓器の動きが滑らかになっていることも、まるで手に取るかのように理解できる。

 頭の動きについても、本当に異常だと感じるほどだ。本来なら途中で止まるであろう思考が、今はまるで嘘かのようによく回る。


「やばい……本当に俺の体か? さては顔もイケメンになってたりするのか……?!」

「魔力によって体内の乱れを修正したからな。しばらくは良くなり過ぎた体の調子にお前の意識がついてくるまで待つ必要があるな。急に健康になった分、しばらくは規則正しい生活を続けて体を慣らすことだな」


 急いで鏡を覗き込むと_____そこにはいつもと変わらない顔面が。ただし、肌荒れやしわはほとんど改善されているので、健康的な顔面にはなれている。イケメンかどうかは微妙だが……最低条件である『清潔感』は大分クリアされたと言えるだろう。


「おおすっげ……魔力万歳だな。温泉全然関係ないけど」

「ああ、温泉もしっかり用意しているぞ。お前の体には、まだ私の魔力が残っている。精霊たちが作ったその特製温泉に入って魔力を抜かんと、数日後に魔力が暴走して全身がねじ切られるぞ」

「はーい、いますぐ入りまーす」

 

 風呂に飛び込むと、そこには熱々のお湯の天国があった。なんでも、精霊たちがこしらえた至高の天然温泉らしく、現実世界の天然温泉からわざわざ運んできたとのこと。水には若干の魔術加工が施され、入った者の魔力を吸い取っていくらしい。

 そんなわけで、俺は2回目となる強烈な脱力感を感じていた。さっきまで体に充満していたものが抜けていくのだから、文字通り『脱力』なのである。


「う~ん……この抜けていく感じも……悪くなばぼぼぼぼぼぼ」


 この後、気絶して沈んだ俺を精霊たちが一生懸命救出してくれたので、後で精霊たちにはプレゼントとしてスナック菓子をたくさんプレゼントした。


「…………竜、と言ったな」


 精密な魔力制御によって体力をほぼ使い果たしたレイスは、勇也の言っていた言葉を思い返していた。


「なるほど、さては魔力伝手に私の思念を読んだな」

「ふぅん、魔力ってそんなことできるんだ」

「……お前も私の温泉に入っていくか? 体で骨抜きにしてやってもいいぞ」

「結構。そういうのに頼る気はないわ」


 レイス同様、疲労困憊状態のサラ。二人とも、この対決のためにかなりの労力を使ったため、本当ならすぐにでも寝なければならないほどである。

 だが、相手が同じ空間にいる以上、気を抜くことはできない。こうして二人が戦わずにいるのは、あくまでも勇也の顔を立ててのことだ。


「……サラよ、一つきいていいか?」

「面倒じゃなければいいわよ」


 だが、お互いのことが嫌いなわけではない。こうして世間話ができる程度には、既に打ち解けている。


「お前は……夢は叶うものだと思うか?」

「そういう哲学の話?」

「いや、子供でも分かる初歩的な話だ」

「夢、ねぇ……」


 サラは精霊たちに助けてもらいながらワイワイとはしゃぐ勇也を見ながら、軽めに笑った。


「叶わいことが多いけど、叶ったら素敵ね」

「……そうだな。いい考えだ」


 その後、二人は転がるようにベッドに入り、お互いを蹴飛ばしあいながら爆睡した。



 * * * * *



 そして、翌日。

 二人の『勝負』が終わり、いよいよ勇也が勝敗の審判をつける日。

 勇也は寝起きで疲れ切った様子の二人を連れて、めずらしく自分から出かけることにした。


「で、どこに行くのよ。私、もうちょっとゲームの練習したいんだけど」

「私もだ。もう少しでランクがプラチナまで上がるところなのだが……」

「休みながらじゃないとゲームは楽しめないぞ。ちゃんと自分の体力と相談してプレイ時間を決めないと、本当に死ぬからな」

「え、ゲームで人って死ぬの?」

「死ぬぞ。ゲームを何十時間か連続でプレイして、過労になって死んだ人が実際にいるらしい。何事も、やり過ぎは厳禁だ」

「……勇也がこんなまともなことを言うとはな。随分と頼もしくなったではないか」

「そうか?」

「最初に比べて、随分と活力が出てきているような気がするぞ。今の勇也なら、何かすごいことができるかもしれないな」

「……そう、か」


 ちょっとだけ、びっくりした。

 二人と過ごした時間のおかげで、派遣先をクビにされた時よりも随分と明るくなったのは自覚していたし、ちょっとだけ生きていく活力のようなものが芽生えてきたのも分かる。

 だが_____『何かすごいことができるかもしれない』という言葉をもらったのは、本当に初めてだった。誰かに、ここまで真っすぐな賞賛をもらうほどだとは、思っていなかった。


(何かできる……本当にそうなのか?)


 本当に何かできるかは、『何か』をしてみなければ分からない。だから、今の俺にできるかどうかは判断できない。

 これから、今原勇也はどうしていくのか。

 どのようにして_____クソなこの時代と、そこに染まったクソな自分と折り合いをつけられるだろう。


「お、着いたよ目的地。ここにすごいのがあるんでしょ?」

「……ああ、駅から歩いてすぐだ」


 考える間を中断され、駅を降りる。目的地は、駅から歩いて3分のところにある、目立たない地下のお店。

 愛想の悪い店長が不機嫌そうに座る、怪しげなマッサージ店である。


「……らっしゃい」

「お久しぶりです、今原です」

「……おう。今日は……客連れか」

「はい、知り合いが二人」


 サラとレイスのことは『仕事で知り合った知人』という設定で紹介しているので、普段よりもう少し大人な女性に見えるようなコーディネートにしてもらっている。美少女というだけあって大人な見た目も似合うのは本当に反則だと思ってしまった。


「嬢ちゃん二人か……そこに座りな。飲み物を用意してやる。何がいい?」

「えーっと……コーラで!」

「私はジンジャーエールだ」

「おう」


 1年ぶりに訪れたこの店は、元々先輩が気に入っていた店で、連れてこられた後に俺もついでに常連になったのである。店長とは随分前からの知り合いで、疲れがたまった時に色々とお世話になっていた。ただマッサージをしてもらうだけでなく、辛いことや悩み事の相談もさせてもらっていた。

 無愛想だが、誰よりも人の弱さに優しい。この店長の良さを知っていることは、俺の中で一つの誇りですらある。


「おめぇは要らないのか?」

「はい。俺は温泉に行ってすっきりしたばかりなんで」

「ふん。嬢ちゃんを連れ込むとはな、いい出会いでもあったか?」

「やめてくださいよ」


 そして、店長のマッサージが始まる。最初は簡単な肩と首のマッサージ、その後足つぼを押してから、手、背中のつぼ押しを順番にやっていくスタイルらしい。古いお店ではあるので、オイルやクリームを使うことはなく、ただ素手のみでサービスを実行している。


(さて、勇也がおすすめできるマッサージ店だから来たけど……どんなものかしら?)

(魔力もない人間のマッサージか。さて、魔力マッサージに勝てるのか?)


 サラとレイスの二人は効果に疑問を抱いている様子。勇也も初めて店に来た時の自分を思い出し、微笑ましい気分になる。

 どうせ二人とも_____最初の一揉みで、分からせられるのだから。


「あぅ……」

「ぴぅ……」


 情けない声を上げながら、美少女二人の表情から意識が飛んだ。

 何十年間にも渡る研鑽と努力の結晶。それが詰まった指先が二人の肩をほぐした瞬間、流れた来た情報の多さに二人の意識がとびかけた。


(な……に? たった一回押されただけで……なんだか、心が……)

(優しい……力強い指先からは想像もできない、圧倒的な包容力……)


 そして首の筋肉がほぐされ、最後に肩たたきが始まる。傍から見れば力強くバシバシと叩いているようにしか見えないが、その力加減の絶妙さを、二人は味わっているだろう。


(伝わる振動がもう気持ちいい……筋肉がほぐれていく様が分かるようだわ……)

(凄まじい……これだけの力加減を身に着けるのに、一体どれほどの修練を……?)


 続いて始まった足つぼマッサージ。最初は激痛を覚悟したが、一度揉まれてからは痛みよりもコリが取れる快感が勝るのだ。


(おぉう……人体ってすごいわ。全然関係ない部分が押されただけで、体の各所が本当に良くなっていくわ)

(ぐおぉ……線のように伝わる力強い押し込み……魔術もなしにこれだけの芸当とは……化け物か?)


 二人は完全に目を閉じて、マッサージの世界に誘われている。一言も発することなく淡々と客をリラックスさせる様は、まさに神業。こんなお店に留まっているのが不思議なレベルだと、常々思う。

 そして手のマッサージ。普段、作業等で手を使うことが多い二人にとっては、相当な効き目があるだろう。実際_____


「うわああああああああ!」

「うぎゃあああああああ!」


 凝り固まっていたことが原因で、店長としてもやや苦戦したマッサージになったようだ。これで疲れも取れたので、明日からはまた二人が全力でゲームに取り組む様が目に浮かぶようだ。

 そして最後に背中のマッサージだ。これは臓器の疲れを癒すためのものらしく、店長最大の腕のみせどころである。うつ伏せになった二人の背中に店長の力強い手が添えられ_____


((__________!))


 この後、二人は一言も発することなく眠りについた。



 * * * * *



「というわけで、俺イチオシのマッサージ店だったわけだが……どうだったかな?」


 こうしてサラとレイス、そして俺の『癒し』対決の全項目が終了した。二人も温泉作りのためにかなり体力を使っていたので、マッサージ店を経て疲れが取れたのなら重畳だ。

 さて、反応はいかに。


「……ねぇ勇也、一つ聞かせて」

「なんだ?」

「……あの店長、さては宇宙人だったりしないわよね? 私の科学力でも、レイスの魔術でも勝てないなんて、第3の勢力としか考えられないわよ?」

「その通りだ。あの店長は何らかの強大な力を持っているに違いない。あのようにして姿を隠しているのも、きっと深い理由があってのことだろう。さてはこの世界の支配者なのではあるまいな……」

「あれは単に人見知りなだけらしいぞ」


 今回、二人には温泉を通し、どちらがより心地のいい癒しを提供できるかで勝負をしてもらった。お互い、最高クラスの成果を出してくれたし、実際俺の健康状態は非常に良くなっている。

 だが_____どうせなら、俺が知る限り最高の癒しも伝えるべきだと思ったので、あの店に連れて行ったのだが……どうやら、思わぬ反応になってしまったようだ。


「あの店が心地いいのは……マッサージが気持ちいいってだけじゃない。この人になら自分の弱みを話してもいいって思える、圧倒的な安心感があるからなんだ。この人に体を預けていれば、きっとなんとなるって、そう思わせてくれる」

「安心感……か」

「なるほど……どんな魔術でも、それはできないだろうな」


 家族や友人とはまた別の、心が許せる存在。

 あらゆる前提を無視して話すことができる相手というのは、誰ともつながることができ、そして誰もが孤独な現代においては、本当に貴重な存在だ。そんな存在を得ることもできなくて苦しんでいる人がいることに比べれば、俺は本当に幸運だと認めざるを得ない。


(……そうだ、俺は幸せ者じゃないか。俺を心配してくれる先輩も、なんでも相談できる同級生も、いつも真剣にアドバイスしてくれる恩人も……そして、嫌でも俺を孤独にさせてくれない訳分からんやつが二人もいるじゃないか)


 いつからだっただろう。自分のことを『不幸』だと思い込み始めたのは。

 我ながら、なんとももったいないことをしたものだ。


「……で、『勝負』の勝敗なんだけど……」

「ああ、それはもう言わなくてもいい。結果は決まってるから」

「そうだな。言わなくても良い」

「……そう、か?」

「あの店長を見せつけられて、それでも尚自分の世界に連れて行こうとするなど、ただの誘拐行為ではないか。私たちは、この世界の素晴らしきものを乗り越えて初めて、自分たちの世界を誇れるのだからな。前提が崩れている」

「そうね。私はレイスはともかく、この時代には完敗したわ。過去に勝ててないのに、『未来の方がいい』だなんで口が裂けても言えないわ」


 と、そんなわけで_____この勝負は両者敗北という形で終わった。

 未来の超科学と異世界の魔術に打ち勝ったのは、とある男の魂であったのだ。


「やっぱすごいんだな、店長」


 俺は、退店時に言われたことを思い出した。二人が寝ている間、少しだけ最近の悩みを話したのだ。

 返された答えは_____至ってシンプルだった。


『バカタレ。夢ってのは、一度目指したら引き返せねぇのさ』


(その通りだ。俺はもう_____引き返せそうにない)


 俺は癒されて伸び伸びとゲームに明け暮れる二人を眺めながら_____長い間閉じていた小さな棚を開いた。

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