第3話
ジュリエットの唇の感触にルンルン気分で、さらに森の奥へ進む。でも、2度目の戦闘を開始して間もなく、浮かれた心は完全に消し飛んだ。
キラービーの針に気をとられていた隙に、ゴブリンウォリアーの剣があっさりと俺の左腕を切り飛ばした。
「あぁっ!」
悲痛な声を上げたジュリエットは、真横の木にぶらさがっていた死体を躊躇無く引きずりおろす。
何しようとしてんの? ちらりと彼女に視線を送り、残った右手でハチの方を沈め、ゴブリンの大振りな太刀筋から身をかわし、再びジュリエットを振り返った。
ムシャアッと、腐敗した死体の肩の肉を食いちぎった彼女に、思わず絶叫する。
「ヴァアア!!」
初めて気持ちの通りに声が出た。
「死肉を食らうのだ」というジジイのネクロマンサーのボイスが耳に蘇り、ジュリエットは肩を震わせて、両手で口を押え、天を仰いでいる。
しかし、こらえきれずに彼女は後ろを向いて嘔吐した。
前に見た白い頬に散った血は、こうやってついたものだと理解した瞬間、頭が真っ白になった。
かなりガタのきていた木のこんぼうが、ゴブリンウォリアーの兜を叩き割る。
ゴッ、ゴッと続けさまに打ち下ろした右手の動きに合わせて、ゴブリンのHPバーが黄色、赤と削れて、やがて足元にくずおれた。
「はぁ……はぁ……ダメかと思ったけど、一匹でやれた……」
切り飛ばされた腕を、泥の上から拾い上げて、ホッとしている彼女の元まで持っていく。
「配下、修復」
ジュリエットが事務的に手をかざすと、腕がくっつき、キラービーの酸に溶かされた足が戻った。
彼女は、俺をゾンビ化した時の状態まで修復することができる。
そして比喩表現で無く、ネクロマンサーは死肉を食らうことで、その骸を配下に置くことが可能になるらしい。さっきの様子を見るに、最低でも飲み込むことが条件なんだろう。本当に「屍啜りのジュリエット」だったわけだ。
つまり俺の死体も、彼女は食らったことになるわけで、自分の一部がジュリエットの腹の中におさまったのだという事実は、本能的な忌避感と、非現実的な昂ぶりをもたらした。
「次はもう、ダメかもしれないわ。下僕を増やさなくちゃ……」
彼女にとって俺は、ただの下僕で、腕が飛ぼうが、骨がひしゃげようが気にするような存在では無い。壊れたら直して、直らなくなったら捨てていくだけなのだろう。
戦力的に不利と見れば、別の死体に噛みついて、いくらでも配下を増やし、どいつにもくちづけを与える。
そんなん……ダメだろ。
まだ血がこびりついたままの頬に手を伸ばすと、彼女はどこか呆然とした、硝子のような瞳で見上げてきた。涙の跡に、もう無いはずの胃が痛むような気がする。
こんなドロドロになって辛い思いしたって、ロミオはだいぶ前から別の女と浮気してんだぞ。あんたは一個も報われない。全部無駄になるんだ。
誰かの腐った肉の欠片を、俺の腐った指で頬からぬぐう。そして、強く思った。
――ジュリエットのゾンビは、俺ひとりだけでいい。
ゾンビは戦闘終了と同時に、パーティーから消えて、次のマップに持ち越されることは無い。
ただしこのハロウィンイベントには、「鳥葬の森」の入り口にいる衛兵を、ゾンビ化して最終マップまで連れて行けるというネクロマンサーの優遇措置があった。
俺はたぶんその枠で、消えずに彼女の配下でありつづけている。
ジュリエットはゲームで見るよりはるかに可愛く、はるかに弱い。戦力としてはカウントできんし、最大の強味である「配下を増やせる」という特徴は、俺がヤダからさせたくない。
つまりどうあってもこの森を、強化ゾンビ一匹で攻略したい。今から俺がやるのは、そういう縛りプレイだ。
ゾンビの特徴はただ一点。生前のキャラより力が上がる。これだけ。
サラリーマンからどのくらいの上昇量なのかは分からないが、とりあえずモンスターを殴り殺せるだけの腕力が備わっていた。
そして、痛覚がカットされているということが、現状俺の最大のアドバンテージだ。
実際殴り合うと、モンスターたちは痛みに怯むし、流れた血が目に入れば、視界が狭くなる。
同じだけダメージを受けてもこちらには怯みが生じず、蝋化した肉体からは血が流れない。
グズグズになるまで切られても、武器さえ握っていられれば、殴り続けることができる。
さらに嬉しいことに、戦闘を繰り返すうち、ジュリエットが俺の動きに合わせてくれるようになった。積極的に修復を入れたり、攻撃はこちらにまかせて、自分は防御に徹してくれたりする。
下僕から仲魔へ昇格したような感じがして嬉しい。知らん人はごめんね。
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