17、SO-SO
どこかの片田舎を、侃は旧式のガソリン車で走っています。
時折止まり、積み荷を降ろし、また乗り込んで間延びした風景を走り続けていきます。
やがて、道の向こうから手を振る誰かに気がつき、侃は車の速度を落とし始めます。
その相手は、彼は、何かを高らかに歌いながら手を振り続けています。
相手が誰なのか、その歌がなんなのか、侃は確かめようとしますが、車と人影との距離は縮まっているにもかかわらず、いっこうによくわかりません。
段々と緩やかに減速していく車、そしてやがて、手を振る彼の前で静かに止まります。
窓を下げると、その彼が歌っている曲がはっきりと侃にも聞こえてきました。
―――ナモシラヌ――ナガレヨル――ヤシノミヒトツ。
鳴り響く着信音で目が覚めました。
夢で聞いていた歌とは違う、機械的なアラーム音でした。
夢の外はまだ夜でした。暗闇の中、ウェアコンを探して枕元を撫で続け、やっとのことで侃は着信に出ます。
ぼうっとした頭に、ぼうっと声が流れ込んできました。
――ご無沙汰ですね、森野坂さん。夜分にすいません。
ぼうっと、侃は何も言えないでいました。
――寝てましたね? ごめんなさい。こんな時間に。誰かわかります?
どんな時間かはまだわかっていない侃でしたが、声の主が誰なのかはちゃんと、はっきり、わかっていました。
わかるに決まっていました。
侃がここ一か月ほど聞きたいと願っていた声そのものなのですから。
「……お元気にされていましたか」
ちょっとズレている気がすると侃自身首をかしげながら、散々悩みに悩んだ一か月の結実としての第一声は、それでした。
しかしその時やっと、侃は自分が一番気になっていたことにきがついたのです。
彼はずっと、おれんじが元気でいるかどうか気になっていたのです。
――うーんソウソウです。
「早々……ですか?」
――SO-SOです。
「そう……あ、そうですか」
電話口で、二人の笑い声がまじりあいました。胸の内側がゆっくりと温かいもので満たされていくのがわかるようでした。
――あのう、メッセージ、ありがとうございました。
それを蓼原家から帰る道中で酔いながら送ったのか、夢へと入り込む前に眠気の中で送ったのか、侃にはうまく思い出せませんでしたが、彼女にメッセージを送ったことが、送れたことが、夢や幻ではないとわかって侃は安心します、
「送れる立場じゃないとは……思ったんですが」
――それを言うなら私だって。
「いえ、あれは……本当に、すい」
すいませんでした、と言おうとするところをおれんじの声が遮りました。
――謝ろうとしてますか? それは、ダメです。謝るとすれば、たぶんわたしでした。あまりにも不用意でした。ずけずけと、近づきすぎた気がします。
「僕もです。僕も不用意に渡良瀬さんを置き去りにしました」
――それは、わたしは当然の罰だと思いました。
「と、と、」
とんでもない!という自分の大きな声で、やっとはっきりと侃は眠気がはれて覚醒したのを自覚しました。
デジタル時計が深夜の3時過ぎを示しているのが視界にはっきりと認識でき、おれんじがこの時間までどう煩悶した末に自分に連絡してきたのかを考えると、少し胸が痛みました。
しかし彼女の声は気丈にいつも通りで、それがまた、侃の後悔をあおりました。
「罰を受けるなら……僕の方です。謝るのも」
――ええと……わたしが言うのもなんですけど、これって、堂々巡りしそうじゃありませんか?
「そうかもしれない、ですね」
二人の笑みが気まずげに重なります。
――じゃあ、ひとまずどっちが謝るのかは置いておいても?
「はい」
侃が安堵するのと同時に、ほっ、と回線の向こうのおれんじも息をついたのがわかりました。
「あの、それで、メッセージ、読んでくれたということは」
――はい、私も、森野坂さんにお会いして話したいと思っていました。
「じゃあ」
――なので……。
と、おれんじは一呼吸おいて、次の言葉までの間をあけます。
――改めて、森野坂さんをデートに誘ってもいいですか?
「デート、ですか、あの、でもそれは」
――森野坂さんにちょっとしたプレゼントをしたいんです。
暗い部屋の中、目の前にはいないおれんじの悪戯めいた笑みがはっきりと見えた気がしました。
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