18、婚礼日和
晴れ渡る空の青、高らかに放たれるのはライスシャワーの白、無数の花びらは色とりどり。
日和も日和、婚礼日和でした。
あがす市を一望できる高台……から街とは逆方向にくだった斜面の上に、婚礼教会「フラネル」は静々と建っています。
展望はそれほど良くありません。
街を背に建てられた野外のチャペルやレストランから見えるのはうっそうと続く森、その背後に山、また、山。
唯一、空だけは格別です。
周囲こそ山に縁どられているものの、遮るものがない空の広さは「フラネル」の売りの一つであり、それを際立たせるために斜面に無理やりチャペルを作っているので花嫁も花婿も参列のお歴々も転ぶことおびただしく、一長数短のそんなつくりが数あるあがす市の婚礼施設の中でも今一つ人気の出ない教会ではありました。
しかし、今日のような秋の、晴れた日は別です。
今日挙げなければいつ挙げるといった風に豪華な婚礼がいくつもいくつも執り行われ、歓声と感動がそこかしこで花開き空へ打ちあがっていきます。
侃もそんな歓声をたっぷりと浴びながら、斜面の重力に負け、斜めに佇んでいました。
三度だ。
と、侃は斜めになりながら考えていました。
三度。
侃が今日おれんじに驚かされた回数です。会ってまだ30分で、既に三度も驚かされていました。
まずは、久しぶりにおれんじと会っただけで、この一か月悩んでいたもやもやが一瞬にして晴れてしまったこと。
会うまでは何を話そうどう話そうと悩み、悩みすぎて体調不良を引き起こしてすらいたのがまるで嘘のように、会ってしまえば自然とあいさつをし、自然と話し、自然となすがままにこの「フラネル」へと連れてこられてしまいました。
そして二度目に、連れてこられた場所が婚礼教会だったことにも驚きました。
さらにはそこへと誘った意図を教えず、「ちょっと待っててくださいね」とおれんじが勝手知ったる風に裏口らしきところから入っていたことに驚き……、
「大丈夫でした、さ、行きましょう」
と突然背後から声をかけられて、これで四度、おれんじに驚かされたことになります。
侃が斜めになったままその驚きを隠さずにいると、おれんじは傾斜の上方から侃と視線を同じくして言います。
「……わたしの前世は、オレゴン州のポートランドで1940年頃に生まれ、そのまま地元で育った男性です」
唐突でした。でもその言葉の向かおうとしている先が今日の目的なのだろうと侃にはわかっていました。
「職業は運送業。地元で出会ったよそ者の男と二人で運送会社を立ち上げて、手広く事業を成功させたみたいです。その後、相方は引退、わたし一人で事業を発展させ、60代で肝炎で死ぬまで元気に働きました。子供は5人、孫は8人。想像するだに幸せな人生だったのではと思います」
侃は、いつか夕凪ファインで読んだ従前生の解析結果のことを思い出していました。
侃の前世とおれんじの前世、二人が確かに一緒に働き生活していた日々のことです。
でもそれは、侃ともおれんじとも関係がないことのはずでした。
侃はそう思っていました。
少し前までは。
「ですからわたし、最初の仕事は物流関係を選びました。そうしたら適性テストで営業に回されて……倉庫整理のドローンの電話営業をする羽目になって……全然ダメでした。てき面に向いてなかったと思います。そんなはずはないのに、と思いながら、次の仕事も物流関係を選んで……ルートドライバーを2年ほどやりました。意外でしょう?」
うなずく侃の脳裏には、つなぎ姿のおれんじが腕まくりをして大型電気トラックをながしている光景が浮かびます。
もちろん、そんな風にステロタイプなドライバーではないのでしょうが、なかなかその仕事は彼女に似合っているように思えました。
「でもダメでした。そんなはずはないのに、と思いながら向いてない気がするのを無視して無理やり働きぬいた2年でした。先に体が音を上げました。ダメになりました。前世を参考に選んだ仕事のはずなのに。適性、あるはずなのに。そんな片鱗みじんも感じられなかったです。とにかくドライバーも辞めざるを得ませんでした。変だなーと思いながら、次は深く考えずに、とりあえず手元にあった求人に適当に応募しました。それが、今の仕事です」
「輸入植物の、ですよね」
「ええ、管理の仕事です。古き良き第三セクターのこじんまりとした子会社で、これはもう、今もですけど、天職だなって思ってます。前職とも前々職とも比べ物にならないほど毎日楽しくて、朝起きるのがつらくなくて……」
と、おれんじは自分の表情がほころんだのに気が付いて、慌ててそれをどうにか真面目に取り繕おうとしました。そのさまは、侃がひと月会わずに想像していた表情よりも何倍も何十倍も素敵なものでした。
「ええと……時間もないので手短に。つまりですね、わたしはあがす市で生まれて二十数年、自分の前世というものについてそれほど疑問を持ったことがありませんでした。前世を参考に選んだ二度の就職に失敗してすら、です。それは……あー……」
おれんじは少し言葉を探して空を見ます。青い秋晴れの空の下に、侃とおれんじは立っています。
いつかのアメリカの土地でもこんな風にして空の下に立つ二人がいたのかもしれない……と侃は普段ならば決して考えないようなことを考えます。
それは、周囲から次々に聞こえてくる祝福の声のせいかもしれません。
こんな風に幸せばかりの中心では、侃のひねくれた考えも少しまっすぐになってしまうようです。
「ええと、少し前までてんびん座は優柔不断な星座と言われていたらしいですが、即断即決なてんびん座がいたっておかしくない、とわたしは思っています。わたしたちの祖父母の世代まで大雑把な方の血液型はO型だと決めつけられていたとか。でもわたし、O型の人が毎日自分の食べたものを記録につけていても、そういう人もいるだろうと思えます。わたしの従前生についてもその程度だろうと考えていました……考えている、わけです。森野坂さんが初めに会ったときに話していたように。でも、森野坂さんは違うのだと……この間のことで理解しました。わたしにとっては些細な占いが、あなたにとっては大事な何かなのだと……うまく実感することはできないけれど、でも理解はできます。できると、思っています」
おれんじは白い腕を伸ばして傍らのドアを開きます。婚礼教会のどこへつながっているのかわからない、ドアを。
「どうぞ、森野坂さん」
「え」
「この先に、おそらくあなたにとって大事な何かを、あなたが望んでいない何かを、あなたの本意へと変えることができる人がいます。わたしにはそれが何なのかわからないし……やっぱりそれがすごく重大なこととはうまく考えられないけれど、それでも、あなたにとっては必死なことなんだってわかるから」
おれんじは自分で自分の言葉に首を振り、
「わかりたいから」
そう言い直し、ドアに伸ばした腕で促します。
侃の、行動を。
「それは、どういう……」
「進めばわかります、いってらっしゃい」
「あ、その、おれんじさん、は」
「ああ、そうでした……はいこれ」
とおれんじが手渡したのはきらりと光る半透明のカードでした。
「わたしの従前生証明書のホロカードです」
「これは……」
「森野坂さん、あのメッセージ、本当に嬉しかったんです。パーティー会場であなたと初めて話した時よりも、夕凪ファインで解析結果が出た時よりも、二人であの歌をうたったときよりも」
「あ、は、あ」
赤面するばかりの侃を満足そうに眺めておれんじは続けます。
「メッセージの返事です。わたしもあなた、好きです」
そしてそのまま侃の背中を強く押して中へ進ませ、向き直る暇もなく背後で扉は閉まりました。
侃はひとり、見知らぬ迷路に放り込まれました。
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