15、欲張りなよ


 襷さんは、我が家の内にかつてのライブを再現していたドローンスピーカーとドローンプロジェクターを両手いっぱいに抱えながらしみじみ頷き、 



「だけどさ、そういう馬鹿で不器用なところがあたしは好きだよ、侃さん」



 そう言うと、襷さんは過去のかけらを振りまく機械たちをテーブルの上にばらばらと置いて、空っぽになった両腕で私を抱え、椅子に座らせます。そしてそのまま流れていない涙を拭うように私の両頬をそっとつかんで力を込め、座らせ、微笑みました。


 そうしてから侃を振り返り、なんでもないことのように襷さんは続けます。



「私さあ……前の旦那が死んでからずっと、頑なに、一人でいようとしてた時期があったのね」



 侃の戸惑いに構わず襷さんは話を続けます。

 いつも通りの、なんでもない夕飯の話題のように彼女はそれを続けるのです。

 そういう人なのです。



「旦那じゃない人と恋愛とか結婚とかしたら、旦那との日々が嘘みたいになっちゃうんじゃないかって思い込んでたの。私の気持ち……死んじゃった旦那に対して今の私が抱く気持ち、生きてた旦那と一緒にいた時に抱いてた気持ちが、嘘になるんじゃないかって」



 ぺすっ、と襷さんのやわらかい左手が私の頬を軽く触ります。どうやらそれは照れ隠しのようです。彼女の耳がじんわりと紅潮しているのがわかりました。



「だけどねえ、そうはならなかったのよ。私は盥ちゃんのこと好きだけど、旦那のことも愛してた。それって、全然まったく、矛盾しなかった。盥ちゃんと恋愛したけど、旦那への気持ちは嘘じゃないし、嘘じゃなかったよ。旦那と一緒に観てたミハエル・深海の“夜会”はいま観たって凄くテンション上がるし、盥ちゃんと一緒に観ても旦那と一緒に観た時とは違う風に楽しめるよ」



 侃は静かに首を振ります。ささやかな抵抗でした。まるで駄々をこねているかのようなその姿を見て襷さんは笑います。



「侃さん、大事なモノって、たった一つじゃないんだよ。なんだか、いくつあったっていいみたい。どれが一番とか二番とか、そういうことじゃなくてね。いくつあっても、その分だけ人は大事な気持ちを持てるのかもしれない」


「でも……その、一つ……たった……」


「うん、たった一つを?」


「それを手に入れるために、別の大事なものを手放さなければいけないことだってあるじゃないですか」



 う――――ん、と、考え込んで考え込んで、やっと襷さんは口を開きます。



「じゃあさぁ、両方一緒に、精一杯手を伸ばしてみればいいんじゃない。両方とも取ろうとしてもいいんだよ、欲張ってもいい」


「……その結果、両方とも手放すことになっても?」


「侃さんが手放したとしても、向こうが掴んでいてくれるかもしれない……ね? そういうことって、あると思わない?」



 どういうわけか、あると思えてしまう。

 根拠不明なのにそう思える不思議な説得力こそが襷さんの襷さんたるゆえんでした。



「侃さん、一度くらい、欲張りなよ」



 侃は、しばらくうなだれたままでいました。

 そうして呆けたようだった表情が次第にしゅるしゅると意思を持って行きます。


 仕方ないなあ、そんな風な声が聞こえてきそうな、本当に久しぶりに見る、侃の笑顔でした。



「欲張る……?」


「うん、きみにはそれをする権利がある。両手を目いっぱい、伸ばしなさい」


「どちらもつかめなかったら?」


「私と盥ちゃんが手をつないであげよう」


 ついに、侃は吹き出します。


 くつくつと笑い、降参します。


 いつか、まだ二人ともあの施設に暮らしていた頃、少女だった私が恋をしたのもその笑顔だったのを思い出しながら、私も一緒になって笑いました。


 襷さんも笑っていました。

 

 私と襷さんは、笑いながら侃の手を握ってあげました。

 少しひんやりとしたその手があたたかくなるまで、私たちはじっと、そうしていました。

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