8、前世の”縁”
「ああ、これ、こんなところにもあるんですね」
おれんじががらくたの麓から拾い上げたそれは、少し小さめのバレーボールのようにも見えました。
なぜそんなものを、と怪訝だった侃にも、彼女がほこりを払うとはっきりとその正体がわかりました。
「解析機……ですか」
「ええ、旧式ですけど」
プラスティック製の球体に平置きできる脚がついたそれは、侃も何度か扱ったことがあります。
従前生の、解析機です。
バイパス沿いのラーメンショップのテーブルや、市役所近くの古ぼけた喫茶店などでよく見かける、お互いの従前生の相性を診断して”縁”を発行する古ぼけた球体。
従前生情報を読み取り、お互いの従前生にどういうつながりがあるのか……というのを教えてくれる、ただそれだけの機械であり、ネットワークやAR技術を介して気軽に診断ができるようになった昨今ではあまり見かけなくなった代物でした。
これもまた、このVR空間に打ち棄てられた街並みの残骸の一つというわけです。
「わ、この解析機、本当に使えるみたい。凝った趣向ですねえ」
無邪気にそうはしゃぎ、おれんじは球体を手近なガラクタの上に置き、てっぺんに手を乗せます。
解析機はいかにもというほどにいかにもなカップル向けの代物なので、公の場で使うのにはちょっと勇気がいるものなのですが…………しかし、いま、このチャンネル空間には、侃とおれんじしかいません。
「……やりませんか?」
そう尋ねながら、相手はすでに侃が抗えないということも分かっているようでした。
侃はそのオレンジ色の瞳に敗北を認めます。
おれんじの手の上に、侃の手が重なりました。
薄い皮膚と、柔らかい肉の下の、小さな骨を感じました。
電位情報となって侃の官能に伝えられるその疑似信号は、直接作用するはずのない侃の心臓を揺らします。
そんな心臓の状態を真似たわけではないでしょうが、解析機がカタカタと振動をはじめました。その下に置かれた、頭部が炊飯釜の形状をした謎のキャラクタのオブジェも一緒に微振動します。その振動がおれんじの手を伝って、侃の手へ、体へ、そしてやっぱり、心臓へ。
二人は同じ振動の中で、じっと待ちます。
解析機が教えてくれ前世の”縁”は、二人の行く末を予想して発行されます。
どんなに気が合う相手だとしても、遺伝情報や社会的ステータス、成育環境などなど、総合的な相性や将来性も加味すると、その関係性は盤石とは言えません。
ある時、ある瞬間、ある観点においては相性が抜群でも、人生とはそれほど単純な尺度では測れない、ということなのでしょう。
そこで”縁”です。
前世と前世をつなぐエピソード、それがそのまま、現代での当人同士の行く末をも暗示してくれるというわけです。
例えば、
「前世では近所に暮らしていた幼馴染同士ではあったけど、晩年は土地の境界線トラブルで訴訟を起こしあった」
というような縁からは、「これまでの会話や趣味の相性は抜群だけれど、このさき生活リズムの不一致による破綻が訪れるかもしれない」ということが読み取れます。
どちらかがどちらかに殺されたとか、裏切られたとか、そんな縁が飛び出すこともあります。
あくまで解釈次第ではあるのですが、そうして発行された縁を気にしないでいるというのもまた、難しいのです。
侃にも、これまでの恋人や恋人未満だった人々との間で何度かそういった経験がありました。
前世ではお互いの稼業が販路を食い潰しあって揉め事を起こしたとか……。
前世で運転していた車のせいで、相手の前世でのペットが怪我をしただとか……。
相手の前世の仲の悪いご近所さんの親戚が前世の自分だったとか……。
そういった些細な、でもなんとなく居心地の悪くなる前世の縁が発行されると、当然二人の仲はぎこちなくなり、苦笑や遠慮や不条理な反感などがじわじわと相手の態度の端々に現れだします。
しかしそんな風に相手が尻込みするのに反して、侃はいつもムキになって関係を継続しようとするのが常でした。
そのアンバランスさが結局二人をぎこちなくさせ、かえって破局を早めてしまうのですが、それでも、だからこそ、侃はムキになる必要があったのです。
とにかく前世のこととなるとムキになるのが、森野坂侃なのです。
辺り一面の夕暮れ色の中、ゴミの山のふもとの二人は球体と共に揺れています。
段々とその揺れが小さくなり、やがて止まって、機械音声が「キカイカラテヲハナシテカマイマセン」と告げても、二人はまだ手を置いたままでした。
しばらくの沈黙、それから大仰な音楽と共に手触りの良い紙が球体から吐き出されました。
そこでやっと、二人は手を放します。
するすると吐き出されていく長い紙をおれんじの細い指が丁寧に巻き取っていき、解析機からぴっと切りはなしたそれを侃に差し出します。
一瞬、お互い顔を見合い、そして一緒に紙へと視線を戻しました。
おれんじの手に巻き付いた紙を侃がほどきながら、二人は文字を追います。
どこかの誰かだった過去の自分たちが、どのようにして出会い、どのように過ごしたのかを読み進めていきます。
その過去こそがすなわち、当世最新鋭の市営AIがはじき出した二人のこの先の未来であり、いまの二人のおさまりどころなのですから。
侃は凄まじい速さで一度目を読み終え、どの辺りまで読んだかわからないおれんじが相変わらず紙を注視していたので、もう一度ゆっくりと読み直してから目を離しましたが、すでに読み終えたであろう彼女がやはり何も言わないので、さらに三度目を読んでしばらく自分も考えているふりをしました。
なんと言っていいのかわかりませんでした。
その過去は……。
いえ、その未来は……。
「……森野坂さん」
「は、はい」
「どうですか……感想は」
やっと口を開いたおれんじは、しかしうつむいたままこちらを見ようとはしません。
やはり、なんと言えばいいのかわからず、ただ頷くしかできません。
侃は必死に返事を考えます。
考えようとするそばから、別の考えがそれを邪魔して考えさせまいとします。
なにを言うべきなんだろう。
彼女のことなど気にする必要はないはずだ。
しかし何か言わなければ。
彼女にどう思われようと関係はない。
だけど、しかし……。
「あ、う、わ! 悪くは! ……ないんじゃないかと思います」
そう絞り出すのが精いっぱいでした。
「そうですか……」
おれんじの返答は思いのほかぶっきらぼうで、抑揚を欠いていました。侃は、彼女らしからぬその様子に動揺します。
「悪くはない……ですか」
「と、思いますけど、でもあの」
「同じ時代の」
「あのですね、そもそもこれは僕たちには何も関係ない、」
「同じ土地の」
「えー、関係ない、関係ない大昔の誰かの関係性であって、僕たちの関係性とは関係が」
「同じ会、社、で……働いていた……」
「関係がないわけですからそれがどう関係して……あの、渡良瀬さん」
おれんじの不愛想な声は侃の狼狽と比例して段々と震えていき、かすれはじめ、侃は一瞬彼女が泣いているのかと思ってしまいましたが、すぐにそれは誤りだとわかりました。
そのうち彼女の肩がふるふると波打ち、その波が完全な笑い声となって口の端からもれたからです。
「渡……良瀬、さん……?」
「すいません、あの、なんだかわたし……」
おれんじが顔をあげます。
「想像以上に、森野坂さんとちゃんと縁があったことが嬉しいみたいです」
そう言って、おれんじは満開の笑顔を見せ、チャンネル空間を隔てて遠く離れた侃は自室で一人よろめきながら、ばくばくと脈打つ心臓を握り締めながら、自分の表情をVR機器にスキャンさせまいと必死に頭を振りながら、解析機をつかったことを後悔するのでした。
ああこれは、もう。
これでは、もう……。
もう、すっかりだめじゃないか。
照れながらもはしゃぐおれんじにひとしきり打ちのめされ、次のデートの約束まですませて、侃は夕暮れの幻から自室へとネットワークを伝って帰ってきます。
そうしてから、しばらく存分におれんじの笑顔を反芻して呆けたのち、侃は静かに敗北を認めました。
事態は思ったよりも深刻で、すでに侃ひとりの手には負えなくなっているのは確実でした。
侃はそのままウェアコンを操作して、ある人物に連絡をとります。
そうです。
ここでやっと、侃の唯一の友人にして、こうしてお話を語っている私、
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