4、あがす市協賛 交流促進パーティー
どうにも落ち着かず、侃がおれんじからそらした視線の先にはパーティーの喧騒が広がっています。
ラウンジ三階の吹き抜けから見下ろす「シティホテルあがす」の景色は行きかう人々が全員でお祭りを作っているかのようでした。
「あがす市協賛・交流促進パーティー」の参加者が視界いっぱいに溢れ返り、ホテルの一般客らしき姿は一切見当たりません。
参加者の様子はバラバラで、総白髪の男性が話し相手を探してうろついているすぐ横では、どう見ても十代にしか見えない女性二人が楽しげに談笑していて、その向こう側には侃と同年代の男女がわいわいと同窓会めいて騒いでいます。
服装も自由で、普段着からビジネススーツ、パーティードレスと人それぞれ、中には仕事の合間に来ているのかそれとも仕事を主張しているのか作業着のツナギを着ている人もいるし、軍服の人間を見つけるに至っては仮装大会のようで思わず侃は笑ってしまいました。全年齢全職種対応の百人組手、といったところでしょうか。
そして様々に華やかで賑やかな人々の群れはどこもかしこも常に動いたままで、それぞれ自分の相手となるような誰かを捜し動き続けているのです。さながら、群衆が作り上げる大きな川の流れのようでした。
そんな中で侃とおれんじだけは、周囲の流れに反して先ほどからずっとテーブルに腰掛けたまま、一切動かず、互いから離れず、場の雰囲気に似つかわしくないしかめつらしい議論を続けているのでした。
「たとえば、今のわたしたち」
と、おれんじがさらに身を乗り出してぴしりと指をふるいます。侃はそれを不覚にも可愛らしいと思ってしまってから、慌ててその感想を否定します。
そんなはずはない。
そんなわけがないのに。
「わたしたちがこうして話しているのだって、”前世”のおかげじゃないですか」
「あ、いや、それは」
その通りでした。
「「それは」とは?」
「だから、僕はべつに……あなたが……渡良瀬さんが話しかけてきたので」
「そうでしたっけ」
「ええ、そうで……すよ」
人ごみの中のおれんじに、先に目を止めたのは侃の方だったということを彼自身覚えてはいましたが、言う必要もないことなので伏せておきます。おれんじはそれを覚えているのかいないのか、さほど気にもしていない様子で続けます。
「ではなおのこと、わたしが話しかけたのは、この会場内に敷かれたARシステムのおかげです」
「交パ用の、フィルタ……」
「そう、交流促進パーティー特別仕様のこのARシステムは従前生……”前世”から解析した簡易的な相性を色相で教えてくれます。相性が最高なら赤く、最低なら真っ黒に……。会話の中で変化していく相性も測定して、15分も雑談すればより確度の高い相性値が算出できる。だから参加者は無駄に話し込む必要もない。手短に話して、次の相手へ。実に効率的なお見合いの……」
と、そこでおれんじは言葉に詰まり、なにか奇妙な手ぶりをし始めます。
まるでオーケストラを指揮するように右手の指を顔の辺りで振るい、左手は毘盧遮那大仏さながらに掌を上にしてみぞおちに置き……そして表情は苦痛に歪んでいました。
発作かと思えるその唐突さの意図を、侃は不思議とすぐに悟って言葉を継ぎました。
「そば……ですか?」
「それの、ほらおかわりを次々に……」
「わんこそばですよね」
「ああそう、わんこそば!」
素晴らしい笑顔で、おれんじは手を叩きます。
侃は思わず目を背けました。直視できませんでした。失礼かもしれないとわかってはいても、体が耐えきれませんでした。
「つまりこの、お見合いわんこそばのような空間を実現させているのが、従前生システムであり、わたしたちそれぞれの前世の縁ですよね」
「お見合い、わんこそば」
「お見合いドライブスルーでもいいですよ」
「……ああ、通過しながらだから」
「お見合いトライアスロンとか」
けらけらと笑うおれんじ。侃はまたもや顔をそむけてしまいます。
そんなお見合いドライブスルーの会場で、二人はもうすでに1時間40分も話し込んでいるということを侃は気が付いていましたが、あえて口にはしませんでした。
「わたしには森野坂さんの色相は真っ赤に見えているんですけど……森野坂さんにはどうですか?」
そんなおれんじの言葉にも、侃はあえて答えません。
目の前のおれんじが鮮やかな赤をまとって微笑んでいる姿を直視できないことなど、あえて答える必要などないのです。
なぜなら、”前世”の縁などによって結び付けられた目の前の女性が、自分とうまくいくわけなどないのですから。
渡良瀬おれんじの笑顔をうまく直視できないのも、彼女の物言いが自分に届くたびに心拍数が上がるのも、ただ単にこの会場の熱気にあてられているだけに違いないのだから。
そんな侃におかまいなく、つまりですねえ、とおれんじは両手を合わせ、侃を結論へと導きます。
「そう……つまり一端になる、というところでどうでしょう?」
「どうでしょう、というと……」
「落としどころ、わたしたちの」
「はあ」
「森野坂さんがおっしゃるとおり、従前生は単なるライフプランのモデルケースなのかもしれない。けれども、高度に発達したAIが導き出したモデルケースなら、判断の一端には、なり得る」
大げさに身振りをつけながらそう話す彼女はやはり可愛らしい、と侃は不覚にも感じてしまいます。そんな自分に自分が反発し、また少し眉間に皺が寄ります。
「”前世”なんかを信じて人生をまかせるわけですか?」
「天気予報に運命はまかせられなくても、その結果は判断の一端……いや一助として活用できます。それと一緒じゃないですか。雨が降ると知らされているのに傘を持たずに家を出ることはないでしょう?」
「……さあ、雨に濡れるのが好きな人もいるんじゃないですかね」
「でしたらもちろん存分に濡れていただいて結構です。森野坂さんは雨に濡れるのがお好きなんですか?」
「……真夏で、手ぶらで、予定がなければやぶさかではないです」
「あら、でしたら」
おれんじが歓声をあげたので、侃は自分がしくじったことを悟ります。
「わたしもです。是非今度ご一緒させてくださいね」
大輪の花のよう……というのはこういうことかなるほど慣用句というものも中々物事の本質をついているんだなあなどと必死でどうでもいいことを考えようとしますが、無理です。目の前のおれんじにすでに侃の意識はくぎ付けでした。逃れられません。完全なる敗北でした。
「というわけで、わたしたちのマッチングは完了、ということでいかがでしょう?」
「そういうことに……なりますか」
侃の歯切れの悪さを少し悪戯っぼく笑うそのさまも……ああなんということでしょう、侃にはこの上なく素敵に見えるのです。
そんなこと、あってはいけないのに。
「わたしはもうしばらく食事がてらぶらぶらしようかなと思ってますが、森野坂さんはどうされますか」
「僕は、あー、そろそろ帰ろうかと」
「それでは、次にお会いする日取りなどはまた、チャンネル通信などで」
「あ、はい……そうですね」
立ち上がり、一刻も早くその場を立ち去ろうとする侃に、おれんじは手を振ります。
その指の一本一本の動きですら、侃の目には見とれるほどに映っています。
こんなはずではない。こんなことではいけないはずなのに。
頭の中で必死に唱えながら侃は手を振り返し遠ざかります。
侃が心中のモヤモヤを断ちきろうとするのに反して、ARフィルタ上でお互いを取り巻く赤い色相は細い糸となって結び合い、マッチング完了を示しています。
赤い糸は、侃が会場を出るまで細く細く、まるで永遠に続いていくのではないかと思うほど、伸び続けました。
そうして侃が、もう見えないおれんじの姿をまばたきのたびに反芻するようになったところでやっと、糸はふわりと消えてしまうのでした。
森野坂侃の、めくるめく悲劇のはじまりは、こんな様子でした。
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