3、市民従前生制度
従前世……いわゆる「前世」の話を聞くと、あがす市以外の町から来た人たちは一様に怪訝な顔をします。
ああなんだか不思議な因習のはびこる地方都市に訪れてしまったみたいだぞ、と。
実際、因習には違いありません。
従前生制度のはじまりを何十年も何百年も辿っていけばおそらくはあがす市があがす市と名付けられるより以前、いくつかの戦争よりもっと前、まだ大部分が緑に覆われていた
前時代的に言えばそれは「スピリチュアルな」お告げに他なりませんし、あがす市が元々そういう土地で、かつてそういう因習があった、ということは事実です。
しかし惑星の表面をすっぽり覆う情報ネットワークがすっかりばっちりと完成された現代において、そんなオカルトが公然と市役所から発行されることはもちろんあり得ません。
あがす市における「市民従前生制度」とは、単に生まれてから前世が発行される年齢になるまでの――つまり成人選択可能年齢までの――自分の生活傾向と、そこから先の人生についての指針や遺伝的体質の特徴、そして何より、互いの相性診断、これらを全てひっくるめて過去の誰かの人生譚に自分の人生を半ば無理矢理当てはめたものに過ぎないのです。
…………という話を、侃はその日会ったばかりの目の前の女性に話しているところでした。
「――言うなれば、星座占いや血液型性格診断と同じレベルです。小学生がキラキラブックなんかに書きつけて騒ぐ程度の遊びみたいなものなんですよ」
「シティホテルあがす」のラウンジ三階までの吹き抜けを貫く立体噴水のしぶきを背に、侃は長々とした一連の語りの結びに入ろうとしていました。
侃の目の前の女性、数時間前に「はじめまして」の挨拶をすませたばかりのその彼女も侃の盛り上がりに興味津々といった具合でテーブルの上へと身を乗り出します。
「あのう、森野坂さん……」
「はい、
「あの…………キラキラブックって、なんですか?」
「え?」
思いもよらない質問に侃の調子がやや崩れます。相手はその崩れたところを狙うかのように思いもよらない質問を続けます。
「キラキラブック……聞き間違いだったらごめんなさい。いまそうおっしゃったように聞こえたものですから」
「……そう……僕が? 言ってました?」
「すいません、記憶力と聴力にいささか自信がありますのでやっぱり断言してしまいますが、そうおっしゃってました。ええ、キラキラブック……と」
侃は自分の耳と頬がじんわりと赤くなるのを感じながら、しかし調子を取り戻すべく平然と続けます。
「……ええと、小学校の頃、流行っていたんです」
「キラキラブック……が?」
「ええ、クラスのみんなが持っていたんです……キラキラブック。一切電子化された部分がないただの紙の手帳なんですが、なにせキラキラしていましたから、子供にはそこのところが大変……大変人気でした」
「キラキラしているなら……それはそうでしょうね」
「ええ、キラキラしていましたから。そのうえ巻末におまけで、血液型と星座占い、さらに心理テストのページがあって、僕なんかはそこのところが特に気に入っていました。心理テストが好きだったんですね。で、それはともかく……」
「あ、わたしもいくつか面白い心理テストを知っていますが」
「ああ、それは……今は置いておきましょうか」
「ええ、でも本当に面白いんですよ、まず森野坂さんが水田の中央で」
彼女の名前は、
くるくるよく動く瞳と、はっきりとした発声が特徴的な女性でした。
彼女はさきほどからその瞳でもって侃をとらえ、その発声でもって侃をつかみ、そのたびに侃は調子を乱され、話はとっ散らかり、端的なはずの結論にはなかなかたどり着けずにいるのでした。
二人はもうかれこれ小一時間この調子で話し続けています。
「渡良瀬さん、ともかく……いいですか、従前生の話です」
「ええ、もちろんです森野坂さん、従前生の話ですね」
「そう従前生です」
やっと本筋に戻ってこられた。侃は、ほうっと安堵の息をついてから、続けます。
「実際のところ、これはですね、相性診断とか就職の適性検査とか気を付けるべき疾患とか、そういうことをなんとなく判断するための、ただの記号にすぎないんですよ」
「記号、ですか、なんだか吐き捨てるようにおっしゃいますね」
「記号ですね。教訓を織り込んだどこかの誰かの人生を、
「あら、じゃあわたしも勘違いしてるんでしょうか」
「そもそもこの街では前提からあべこべなんです。市民従前世制度においては、前世が先で現世が後じゃない。現世から前世が生じてるんですよ。水辺で仕事をする人には、水難事故にあった人物を前世として与える……そうすれば水の事故に気を付けるでしょう。美食家なら逆に素食を旨とした修行僧なんかが割り当てられるかもしれません。その反動として美食家になったんだ、なんてね。従前生はあくまで自分の様々な傾向や性質から描かれる“あり得るかもしれない人生のモデルケース”もしくは“反面教師としての人生”なんです。ほら、考えてみてください、ね?」
おれんじはふんふんと頷きます。そのふんふんの過剰な力強さと純粋さが侃にとっては逆に話しづらく、反論もされていないのに言い訳がましく付け加えてしまいます。
「あ、いや確かに、確かにですよ。自分の人生の大部分は確かにその寓話と似たような形になるのかもしれない。あがす市きってのAIがシンギュラリティぎりぎりまで自己最適化して導き出した答えですからね。前世が自分の現状や行く末と似ることもあるかも、しれません」
「ええ、従前生と自分の進路が重なる率は73%と聞いています」
「……でも、いいですか、ここが重要なんですが、似ているだけで、そのものじゃない。相似形を描く部分があるとしても、ぴったり重なりはしない……しない、はずです」
ひとつひとつ、自分の言っていることが正しいかどうかを確かめるように侃は話します。彼はいつも何かを決めることに慎重なのです。慎重すぎるほどに。
そしてようやっと結論にたどり着こうとしたその時、
「ですから、ね、こういう交パの場でパートナーを見つける指針としては良いのかもしれないけど、それは星占い程度の信用度しか……」
「でも森野坂さん」
と、おれんじが相づちの勢いをそのままに話を遮ります。身構える侃もなんのその、おれんじの反論は易々と侃のペースを乱していきます。
「星占いで疾患の発病の危険度までわかりますか? 資産形成方法の向き不向きまでわかるものでしょうか?」
「それは……まあ、わからないかもしれませんね」
「職業の適合度だって」
「わからないのかな、どうでしょう。僕は占い師ではないので……」
「そういう意味では、わたしたちの前世は、星占いや血液型よりは信用できる”アドバイス”なんじゃないでしょうか。どちらかといえば天気予報や健康診断に近い性質のデータ解析だと思います」
おれんじの目はあくまで真剣で純粋で、そこに侃を責めようという意思や、困らせようという企みはありません。純粋に議論をしている、という風です。
侃は思わず彼女から目をそらします。
議論のせいだけではありませんでした。先ほどからなぜか、彼女を直視することができないのです。
体が、視線が、ぎこちなく彼女を避けようとしてしまうのでした。
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