2、森野坂侃
とは言っても、実際にあがす市役所の窓口へ生身の体を連れていくのは遅めにとる昼休みの時だけで、あとは仕事に向かう途中、朝の通勤バス内でVR窓口を利用して、これが休日になると朝食後と昼食後にそれぞれAI窓口と通話してみるというものに変わりはしますが、とにかくどんなときでも朝と昼、必ず二度。これだけは揺らぎません。
毎日欠かさず、
彼はこの習慣について、
「ストレッチのようなものだから」
と、説明します。
「やらないと気持ち悪くて」
そう言っていつも話を切り上げます。この習慣についてあまり人と話したくないのです。付き合いの長い私とでも、それは変わらないようです。
生身でも、ヴァーチャルでも、AIに尋ねるときでも、侃の質問は変わりません。
“僕の「前世」について何か間違いはありませんか?”
そして役所の返答も変わりません。
“間違いはありません。あなたの「前世」は、1930年頃に生まれたアメリカの、オレゴン州の、男性です”
相手の返答が同じということはすでに侃も承知で、わかってはいるけれど、毎日自分に割り当てられた前世の誤りについて尋ねます。
この一連の行為はすでに本来の目的を超え、天気予報や占いと同じようなものになりつつあるようです。
例えば返答までの間が短かったから今日は運がいいとか、自動音声にややひずみがかかったから良くないことが起きるとか、彼は本来の目的とはまた別のところにその意義を見いだしてすらいます。
8年です。
侃は16歳の時に前世が発行されてからかれこれ8年もそんなルーティンを続けているのです。
8年のうち、彼が市役所にいつものルーティンを尋ねなかったのは私が知る限りたった二度だけです。
一度目は彼の父が死んだ日。
二度目は中央局への『凡庸でゆるやかなテロリズム運動』の影響で「あがす住民ネット」のシステムがゆるやかにダウンした日。
それ以外は、雨が降っても嵐が襲っても、熱が出ても骨が折れても、彼は市役所への問い合わせをやめたことはありませんでした。
そんな具合に、つまり、森野坂侃という私の友人は……。
私の一番古い友人であり、
血のつながらない姉弟であり、
かつての淡い恋人であり、
人生という道行きのゆるい戦友であり、
互いの前世とそして現世の戸籍においてはまったくの赤の他人である彼は……、
そう、おおむね変人なのです。
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