序章:アケナ脱走編
彼は一組の人間から赤ん坊として生まれて、はいはいをする過程で潰し壊したものは……片親の硬い靴だった。
――やっぱオボえてねえなー
拙く二足で立ち上がって、すぐに壊したのは……家の天井だった。 なにか嬉しくて、飛び上がってアッパーカットだったそうだよ。
――なんかそんなことあったキぃする
異常な我が子に恐れをなした両親は、養護施設に金を払って捨てていった。
――そうだよ、どこいったアイツら? もっとアソびたかったんに
その次の日には、養護施設は廃墟になっていた。
――もっとコワしたくてすっげーアバれたなー
毎日毎日……近くにある何もかもを、恐れて殺しにかかる者達を壊して育っていった野獣は……小学生年齢の頃に、あることを教わってから、その衝動を抑える術を覚えた。
――ヨエえヤツぁナグらねえだけだ
それから……十年後。
その野獣は、刑務所の一番奥。 10mの部屋の、鋼壁の内側で、『退屈』に嬲られていた。
「おおお――い。 ダせや――……」
黒っぽいミノムシが、周囲から何本もの長い鉄串に刺し晒されている。
「ハラァヘってんだぞー……なんかモらしたキがするぞー……」
いや、ミノムシではなく。 全身を鎖で覆われた、何者か。
「おーいアバれさせろやー……」
檻の外には、二人の刑務官が立っている。
若い青年と、隣の壮年の着ている青い制服には、隆々な筋肉が隠れている。
「……そもそもSSS級なんて初めて聞きました。
この中のヤツ、千人も殺したんですか?」
「赤ん坊の頃から二桁は殺してるな」
「は……え? 正式なカウントは?」
「目下調査中だが、SSS級の場合は適当に済まされる」
「? どういうことです? 大量殺人か文化遺産破壊でS級、戦争犯罪ですらSS級。
それより上とは一体……」
「何もしてなくても入れられる房なのさ……このSSS級は。
中、もっかい覗いてみな」
青年刑務官は檻の窓を見る。 鎖を刺し貫く刃から流れる血は、床中を埋め尽くし、池のように溜まっている。
「……とっくに致死量じゃないですか。 これもう死んで……?」
流れる血の色が、瑞々しい赤のまま。 そもそももう死んでるのなら、血色は赤黒い方向に変化するはず……。
「おーい、メシくわせろー……」
その声が、鎖の塊から発されたことに気づいた青年刑務官は、半歩ほど後ずさると、少し青い顔で壮年の先輩に怒鳴った。
「……どういうことですか!?
あんなに串刺しにされて、そもそも鎖にあんなに覆われて、どうやって声出してるんです!?
化け物ですか!?」
先輩刑務官は、冷めた調子で答えた。
「そうさ。 生まれついての突然変異。
人一人、パンチで頭から腹まで抉るのもワケなし。
シャドーボクシングの風圧でビルも崩す。
人類を超越した種族で、そのまま超越人類種……化け物さ」
「おーい。 バケモノつったかー。
ききあきたぞー」
「万が一の場合に、アイツを止められる“可能性のある”栄誉の番人は、俺達二人というわけさ。
あのドギツイ訓練の数々は、このためのものだったと言っても過言じゃない」
若人刑務官は、瞬間に脳裏に浮かんだ小地獄の数々に、合点がいった。
「……タイクツだー……」
鎖ミノムシから、まだ声が発される。 刑務官二人は無視を決める。
「ただアバれてーだけで、なしてサされなきゃなんねーんだー……」
二人とも、超長期的な忍耐訓練で尿意にも便意にも耐え抜いた。 SNSの如き戯言にも耐えられる。
「ケームショって、ホカにもヒトいんだろー……?
ダレかここにキてくれねーかなー……」
縛られ超人の望みに呼応するように、警報が鳴った。
先輩刑務官は瞬時に顔を険しくして、インカムに指を当てる。
「どうした?」
『外からの襲撃です!』
通信先は焦燥を帯びている。
「襲撃? 珍しいその相手は?」
『ぜ、全長は5、6mほどで……』
その通信音は、大きな破壊音でかき消される。
眼前の壁が、SSS級独房を囲む超絶合金製が、
壁の空いた先から……黒い巨体が、足を踏み入れた。
「……ロボットか?」
そう、ロボット。
黒い全身に、金糸雀色のラインが脈打つように鳴動している。
『も、もうそこまで突破を!?』
ここまで突破を許した同僚への殺意を心中に押し入れ、二人の刑務官は、面持ちを毅然として警棒と銃を構える。
「後輩、出番だぞ」
「はい」
「おい! なんかオモシロいオトしたぞ! ダせよダせや! オイ!」
鎖の中で身体をよじる度、串刃に刺し貫かれてる部分から、超人の痛覚が働いた。
「おーいイテーんだ! ハヤくダせ!
ダレかいねーとサビしーだろーが!」
外からの振動から、超人は理解した。 なにか大きなものがこの部屋に入ってきたことを。
外にいた二人の人間が、大きなものを殴打し、ダウンを取っていることもわかる。
『……や、やめて! 調子づいてました!』
そして、聞き慣れぬ大きなものの声を聞いて、超人は直感した。
「おい、ヨエえものイジめしてんのか?
かっこワリいぞー」
無視を決め込んだ刑務官の代わりに、大きなものが壁を通して答えた。
『ひ、人の声……? 武器じゃないのか?』
「おいヨエえヤツ!
オレをこっからダせ!」
『で、でも、動けなくて……い、いぎゃあ!! 腕がっ、取れたああああああ!!? アンタらっ、人間じゃないのかあああ!?』
外で刑務官が答えた。
「ああ、あの中の獣を押さえつけるために、極限まで鍛え抜かれた人間だ!」
大きいものの悲鳴と、機械の壊れる音が上がる。
「だーからヨエえものイジめかっこワリいって。
つーかホントいってえなー……」
痛覚に数億回目の苛立ちを覚えた瞬間。
壁向こうから、嫌味なほどに青いものを感じ入った。
「あ? なんだ?」
超人の頭にはてなが浮かんだ時、眼前の壁が砕けた。
次に、節々に青い炎を携えた、大きな掌が鎖の塊を掴んだ。
「うおお!? すんげいてー!!」
掌で中折れした刃が、鎖にも挟まれて余計に刺さり、超人の痛覚が増した。
〘これ位で悲鳴上げるなよ……超人だろ?〙
青い声が脳裏へ響く。
「だ、だれだオイ?!」
〘神だよ。 君を鎖から解き放つ、神様さ〙
「カミ? なんでケツふくカミが」
〘そっちじゃないわ!! 人間は勿論、超人より偉い方の神だ!!!〙
「マジか、そんなのいたのか」
〘君、義務教育受けてないの?〙
「ここにイれられるマエにそんなことイわれたけど、ガッコウってのブッコワしてばっかだったぞ」
〘……野生児かよ……この世界どうなってんだ〙
「ヤセイジ? そんなコトバもイわれたけど、どーいうイミだ?」
〘……底辺存在を教育する義理はない。
ただし、君にある程度の自由を与えよう〙
鎖を掴む掌が、緩む。
「おおお!?」
握力に砕けてる鎖が弾け飛ぶ。
「うああ――っ!?」
「ま、まさか!!!」
青炎で浮かぶ剛腕に張り付いていた刑務官二人が叫ぶ。
鎖が弾けた先には、男が一人滞空していた。
血塗れな全身が、天井からの光で照らされる。
裏地の黒い、赤のコートはズタボロ。
オレンジメッシュ多めの金髪。
大きな口から見せる白い歯。
ボロボロのシャツから更に見え隠れするは、隆々筋肉。
綺麗に足から着地すると、地面が少し割れた。 瞬間、超人は大いに笑った。
「ぅわ――ハッハッハッハッハァーッ!!!
だーはははははははははは……ジユウだッッッ……ヒャァァァァァイッ!!!」
大の字で大きく口を開いて声高らかに嬉しさを発散した。
鎖に多重に縛られた上に、串刃で串刺しにされていたはずの肉体。 刺傷や鎖跡が、金髪超人が笑うほど、みるみると塞がっていく。
SSS級犯罪者という枠組みの理由と、この刑務所の存在理由を、若き刑務官は直感で理解した。
「……SSS級!! 牢にもどれぇーっ!!!」
先輩刑務官が速攻で超人に後ろから組み付く。 首と後頭部に片手づつを、腹筋に靴踵を押し付けられ、窒息していく筈の超人は、まだ笑っている。
「ツエえ……イマのメんタマ、ツエえメだ。
そーだ……ツエえヤツぶっツブすのが……」
笑い超人は、刑務官を担ぐ形で跳躍、8mほどの高さに入ると、縦に回り始める。
「オレの理由だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
叫びと共に背中から地面に墜落。 その勢いは稲妻の如く。
超人筋肉と自分の裏手、硬い地面に挟まれて、刑務官は頭も胴も制服ごと潰れ切った。
頼れる先輩が肉塊に変わる様を目にした刑務官は、血が噴き出すほどに歯を噛み締めて突貫する。
半身を起こした超人の眼は、突っ込んでくる警棒の先よりも、憎しみの眼差しを捉えた。
「てめーもツエえなぁ!!!」
肩から振り抜いた拳が、警棒ごと若者の頭蓋を砕く。
「SSエヅキュゥッ……!!!」
「オレは! アケナだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ストレートの横雨が、制服を、筋肉を、骨を内蔵を、肉体全てを砕いた。
勇敢な刑務官が拳だけで肉塊に溶けた様を見て、リモは怯え、アウイは狂喜した。
『お、おれ……こんなことしてたのか? いやおれよりすご……』
〘流石だ! 超越人類種……〙
アウイのローブ端が、アケナの手に握られる。
「えーとダしてくれてアリガトナだっけ?」
青い神は目を丸くした。
人間には掴めなかった自身の一部が、超越人類種に掴まれたという事実に。
〘……おまえ……ぼくは
次に青い炎が宙を舞った。
思神の透ける身体が、10m高い天井を突き破った。
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