第11話 学園祭への誘い
駅前広場は多くの人が行き交っている。柵にもたれかかり、智行くんが差し出してくれたペットボトルのお茶を受け取る。その温かさに少し落ち着いた。
「トモくんの帰りが遅くなっちゃうね。ごめんね」
「気にしないでいいよ」
ペットボトルのキャップを開けようとしたが、思った以上に固くて開かない。智行くんがそれに気づき、私の手からペットボトルを取るとキャップを軽くひねって開けてくれた。
「ありがとう」
受け取るときに指が触れたけど不快感は何もない。お茶を一口、口に含んで喉を潤した。智行くんも自分のお茶を飲んでいる。
「大学でね、前にサークルの先輩に告白されて断ったんだけど──」
ぽつりぽつり話し始めた。彼氏が居ないことを飲み会でネタにされることや、イトコや友達と遊んでいることでからかわれること。
話を聞き終わった智行くんは
「彼氏が居るってことにしちゃいなよ」と言った。
「それなら何も言われなくなるだろ。信用してもらえなかったらオレを使ってもいいよ」
「え」
「花音ちゃんが周りのそんなことで嫌な思いをするくらいなら、全然。オレ彼氏ってことで出ていくけど」
「──」
「拓海はこのこと知ってるの?」
「ううん、知らない。何も言ってないから」
「オレじゃ力不足かな」
「そんなことないよ。でもなんか申し訳なくて」
「別にホントの彼氏になるって言ってるわけじゃないから安心して。今までどおりでいよう。ただ、何かあったらオレを出していいよってこと」
「いいのかな」
「平気。彼女居ないし」
智行くんがそう言って笑う。
確かに彼が居るって言ってしまえば、煩わしさも磯貝さんに何か言われることもなくなるかもしれない。拓海には何も話さなかったが、もし話をしたら智行くんを薦められる気はする。
智行くんのこの申し出を拓海に相談したい気持ちも少しあったが、拓海に聞いてから返事をするなんて智行くんにはとても言えない。
そんなことを言ってしまえば私が拓海に抱いている感情まで見抜かれてしまう。それこそ変に思われてしまうだろう。
「もちろん花音ちゃんが嫌なら無理強いはしない」
「あ、ううん。そんなことない」
そんな言葉が咄嗟に出てしまった。
どうしたらいいんだろう。
「──もし、智行くんに好きな人が出来たら、私の彼氏のフリなんてしないでいいからね」
「分かった。とりあえず花音ちゃんの学園祭に顔を出そうか。そしたらサークルの人たちにも周知されるでしょ」
「ごめんね」
「謝ることないよ。大学の学園祭ってどんな雰囲気なのか興味あるし」
「もともと二人には声を掛けるつもりだったよ」
私はそう言って笑った。そう。拓海と智行くんのことは誘うつもりだった。
「そっか。じゃあ、オレそろそろ帰る。また連絡するよ。元気出して」
「ありがとう。気をつけて帰ってね」
智行くんが手を差し出してきたので、私も手を伸ばして握手をした。これは励ましの握手なのだろうか。それとも違う意味? ホントにこれでいいのかな──そんな思いを感じつつ、それでも智行くんの申し出は私を安心させた。
帰宅してシャワーを浴びベッドに潜り込む。智行くんのことを拓海に報告しないと──と思っているうちに眠ってしまった。
翌日目が覚めると携帯にメールが届いていた。智行くんからだ。送信時間は昨日の十一時半過ぎになっている。やっぱり彼氏の件はナシにしてという内容かと思って開封すると
『近いうちにまたガパオライス行きましょう。おやすみ』とだけ書いてあった。
なんだ、びっくりした──くすっと笑って
『おはよう。昨日は寝ちゃっていてメールに気づかずゴメンナサイ。ガパオライスいいですね。久しぶりに行きましょう』と返信をする。
伸びをしてベッドから出て気づいた。
智行くんが本の内容以外でメールをしてきたのは初めてだということに。胸の奥が燻り始める。
──別にホントの彼氏になるって言ってるわけじゃないから
──今までどおりでいよう
智行くんは昨日そう言ったけど、変化は確実に起きている。そんな気がした。
顔を洗いながら自分に言い聞かせる。
そんなに大げさに考える必要はないと。
それに拓海はサーファー仲間の前では「彼氏」になっているけど、それは本当に限られた人数の前でだけの話。もしも本当に誰かと付き合うことになったとして、そのとき「彼氏」の候補に拓海は入らない。拓海はイトコだ。
その点、智行くんは違う。趣味だって合うし、本当に優しい。触れられても嫌じゃない。いつか智行くんは──私の本当の彼氏になるのだろうか。鏡に映った自分を見る。胸元には拓海がくれたアクアマリンのネックレスが揺れている。このネックレスは外したくないな……ぽつりと言葉に出てしまった。
*
講義の合間に演劇部の大道具が置いてある部屋に行くと、サークルの先輩が数人作業をしていた。私に気づき、おはようと声を掛けてくる。
「此処の背景の雲も描いちゃおうと思って」
「助かるよぉー。ペンキはそっちに置いてあるから宜しく」
「学園祭のときは、とくに私たちの集まりはないんですよね?」
「うん。そうだけど、だいたい演劇部の楽屋に集まってるよ。時間見つけてちゃんと顔を出してね」
「はい」
これなら学園祭のときに拓海と智行くんと一緒に行動しても大丈夫そうだ。そしてそのとき楽屋に連れて行ってしまえば、確実に周知される。
ああ、拓海にもちゃんと伝えておかなくちゃ。
バイトに行く前に拓海にメールをした。学園祭への誘いと、智行くんのことで話したいことがあると書いておいた。休憩時間にメールをチェックすると返信が来ていて、今日の夜、花音の家に行くと書いてあった。
帰りがけにスーパーで惣菜を買い、家までの道を歩いていると拓海から電話が来た。
「学校を出たところ。今からそっち向かうから」
「うん。お惣菜適当に買ったから家で食べよう」
「オッケー」
レンジで温めてお皿に盛り付けていると拓海がやってきた。
「今日は寒いなー」
「ね。もう十一月半ばだもん。レンジ使い終わったから、こたつ点けていいよ」
「ほいほい。で、学園祭?」
「うん。今月末の週末にあるの。良かったら拓海も来ない?」
「トモと一緒に?」
「うん。あれ? トモくんに聞いた?」
拓海は餃子を頬張りながら頷いた。
「学食で声掛けられて、久しぶりに一緒に飯食ったから。トモと付き合うの?」
「違うよ。付き合わないよ。なんでそんなことになるの」
「トモが言ってたよ。花音の彼として学祭に行くって」
「それはホントの彼じゃなくて──」
「ねえ、なんでオレに言ってくれなかったの」
「え?」
拓海がまっすぐ私を見ている。
「サークルでいろいろ言われてること、なんで黙っていたの」
「拓海が心配するから──」
「心配するのは当たり前だろ。それがダメなのか?」
「トモくんと付き合えばいいって、また言うかなって思って……」
「結局そうなってんじゃん」
「なってないよ。ほんとに付き合うわけじゃないもん」
「花音はトモのことどう思ってんの」
「──」
「トモが本気で花音に告白してきたら、なんて返事すんの」
「わ……分からないよ」
「トモはオレの大事な友達でもあるんだ。中途半端に受け止めるのはやめてくれ」
「中途半端にって……もともと拓海が言ったんじゃない。トモと付き合わないかって」
「じゃあ、付き合うの?」
「まだ分からないよ。トモくんだって、ホントの彼氏になるわけじゃないって言ってくれた。今までどおりでいようって言ってくれた」
「それ、本心だと思ってるの。トモの優しさだって分からないの」
「──」
「彼氏の役なら、オレがいくらでもしてやったのに。どうせサーファー仲間の前ではそうなんだから」
「無理だよ。拓海は。サークルの飲み会でからかわれるのだって、いつもイトコと遊んでいるからなんだもん。みんなイトコの存在は知ってるもん」
「でもオレの顔は知らないじゃん」
「──そんなの……詭弁だよ。無理だよ……」
「もしトモと付き合うなら、そのネックレスは外せよ」
冷たい言葉が胸に突き刺さる。
「やだ」
そう答えた途端、涙が溢れてきた。
「やだ。このネックレスは外さない。拓海がくれた──大事な──」
「くそっ」
そう言うと拓海は私を抱きしめ、そのまま押し倒してきた。
「なんでイトコなんだよ」
「イトコだから──一緒に居られるんだよ──」
「分かってるよ、そんなこと。言いたいのはそんなことじゃないんだ。なんで……くそっ」
拓海はしばらく私を抱きしめたまま動かなかった。私も抵抗しない。
やがてゆっくり拓海が身を起こした。仰向けで居る私の顔を見て、涙を指で拭ってくれた。身を起こした私を今度は優しく抱きしめる。
「オレも……トモには酷いことしてるって、もちろん分かってる。オレの態度がこんなんだからトモを迷わせてるってことも」
「──」
「でも、もし花音がトモを選んでも……オレもこのネックレスは外さないから」
涙がこぼれた。ここまでお互いの気持ちが分かるのに、それ以上は言えないもどかしさ。言ってはいけない一言を、私たちは必死に心の奥に閉じ込めている。
「飯、食っちゃおうぜ」
「ん」
「学園祭は行くよ。トモと一緒に」
「うん」
「はー、今日は帰るの面倒臭くなっちまったよ。外寒いし。此処に泊まっちゃおうかな」
「うちに拓海の着替えないよ」
「あったら泊めてくれたの?」
「え? あ……」
拓海が吹き出した。
「可愛いな。大丈夫、ちゃんと帰るよ」
「からかったんだね」
「半分本気だったけどね。今度マジで着替えは置いておこうっと」
「泊めないよ」
「ま、何かあったときのためにだよ。それにほら、男物の洗濯物が干してあると変質者も入らないらしいじゃん」
そう言って笑っている拓海は、いつもの拓海に戻っていた。
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