第9話 刻印
拓海の誕生日の前日、伯母の家に行くと熱烈な歓迎を受けた。
「なかなか家に来なかったから寂しかったのよ。ほら、これ着てみて。花音に作ったの」と、マリンブルーのリネン生地で作られたマキシマムワンピースを広げてみせた。
「わぁ! すごく素敵。色もとっても綺麗」
小柄な私でもバランス良く、足も長く見える。さすがはオーダーメイドの威力だ。
「似合う似合う。拓海と海に行くのにもちょうどいいでしょう。濡れてもすぐ乾くから」
「うん。ありがとう。嬉しい」
「花音の服は作り甲斐があって楽しいわ」と、伯母も笑顔を見せる。
「そういえば拓海は?」
「いつも通り海。昼前には帰ってくるでしょ」
「明日の拓海の誕生日、家でお祝いするんだよね」
「ああ、そうねえ。何処かに出掛けるようなことも言ってなかったから、家でお祝いしてあげようかしらね。明日ケーキでも買いに行こうか」
そんな話をしていると駐車場に車が停まる音が聞こえ、しばらくしてから拓海がリビングに入ってきた。
「おかえりー」
「おー、花音。ただいま」
「二週間ほど居させてもらうね。そのあとは伯母さま連れて長野に帰る」
「え? そうなの?」
「一週間くらい遊んでくるから、あんたはお父さんと適当に暮らしてて」
「ひでー話だ」
拓海は苦笑しながらリビングから庭に出ると、車に積んでいたボードを立てかけ、濡れたタオルなどを干していた。
三人で昼食をとったあと、拓海と私は車で出掛けることにした。
「これから拓海のプレゼントを買いに行こうよ。何が欲しいの?」
「じゃあ今からその店に向かうか。一緒に選んでもらおうかな」
三十分ほど車を走らせ、パーキングに駐車する。
私を連れて行ったのはビルの一角にあるアクセサリーショップだった。さほど広い店内ではなかったが、メンズ向けのアクセサリーも充実しているようだ。
「この店で花音のネックレスも買ったんだ」
「拓海、アクセサリーが欲しいの?」
「サーファー仲間がネックレスしてるだろ」
言われて海で会う皆の姿を思い浮かべる。たしかにカッコいいネックレスをしていたので頷いた。
「オレもしたいなーってずっと思っていたんだ。たまに付けていたんだけどシルバーだとすぐに黒ずんじゃってさ。チタン素材なら海水にも強くて変色しないって聞いたから欲しかったんだ」
「へえ。どのへんがチタン素材?」
「こっち」
拓海は多分何度もこの店に来ているのだろう。スマートに私のことを案内する。
そこにはいろいろなデザインのネックレスが並べられていた。スカルのデザインが一番多いが、南米の先住民を思わせるデザインのもの、龍や蛇のようなデザイン、魚や貝を模したものもある。
「拓海はどんなデザインが好み?」
「んー、普段から付けていたいから、あまりゴツいのは避けたい。シンプルなデザインがいいな。花音はどれが好き?」
「そうだなあ……」
普段使い出来るシンプルなもので……となると、プレートタイプが一番しっくりくる気がする。
「こういうのがいいな。プレートにちょっとカーブが付いてくびれてるのも素敵だし、花が彫り込まれているのもオシャレ」
店員が近づいてきて、これはハワイアンジュエリーのプレートネックレスで、刻まれた花は贈る相手の幸せを願うという意味が込められていると教えてくれた。
私は手に取って拓海の胸元に当ててみた。目立ちすぎず、それでもきっと拓海の素肌に映える気がした。満足げな拓海と目が合う。
「オレもこのデザイン好きだな」
「ふふ。決まり」
「彼女さんからの贈り物ですよね。プレートの裏に無料で刻印をすることも出来ますよ」
「刻印?」
「日付を入れたり、贈る相手の名前や贈られる相手の名前を入れられます。如何ですか?」
「誕生日が明日なんです。刻印にはどのくらいの時間がかかります?」
「文字数にもよりますが二十分ほどで出来ますよ」
「どうする?」
「せっかくなのでお願いしようかな」
拓海が答えると、店員は刻印例が書かれているチラシを持ってきた。
「定番だとローマ字で To:誰々。もしくは From:誰々のような感じですね」
「そしたら To:Takumi かな」
私が言うと、拓海はうーんと唸り、
「いや、花音からもらう初めてのものだからな 。From:Kanon がいい」と答えた。
私の名前が刻まれたネックレスを拓海が身につける。そう意識したとき、突然後ろめたい気持ちが襲ってきた。良いのだろうか? 本当にこれで良いのだろうか?
そんなことを思いながら私は会計を済ませる。
「では明日の日付と名前を入れますね。そちらのソファーでお待ちいただいても結構ですし、店内を好きにご覧になっていただいても結構ですよ」
店員がネックレスを持って立ち去るとき、
「お客さまが付けていらっしゃるネックレスも当店のものですよね。ありがとうございます。よくお似合いですよ」と声を掛けてきた。
手でそっと胸元で揺れるアクアマリンに触れる。拓海がプレゼントしてくれたネックレス。そして私は拓海にネックレスを贈る。深い意味はない。誕生日プレゼントなんだから。拓海が欲しいと言ったものを贈るだけ。
「花音、こっちこっち」
拓海が私を呼んだので傍に行くと
「この指輪もカッコいいな」と、狼の顔の指輪を嵌めて私に見せた。
「ちょっとゴツいかな」
そう言いながら私も並んでいる指輪を眺める。
「これ、さっきの花と同じデザインだよな。これもハワイアンジュエリーなのかな」
拓海が指さした先に、プレートネックレスと同じ模様の指輪があった。
「ほんとだ。このデザイン、指輪でも素敵だね」
そう言いながら手に取り、右手の薬指に嵌めてみるとちょっと大きかった。
「こっちのサイズ?」
拓海が一回り小さい指輪を渡してきたので嵌めてみた。
「うん。これかな」
「欲しかったら買ってあげようか」
拓海の台詞に私は一瞬言葉を失う。
「いや、指輪はダメでしょ」
「そっか」
「──ねえ、拓海は彼女作らないの?」
サークルの皆に言われる台詞を私も口にしてしまった。拓海は指輪を置いた私の顔をじっと見ている。
「オレのこの生活で彼女を作る時間があると思う? 学校では実習の嵐。通学時間も長くてさ。そして週末はサーフィンだぜ」
「うん、まぁそうだよね」
「オレには花音が居るからいいんだよ」
そう言われて頬が火照るのを感じた。拓海はニコっと無邪気に微笑み、
「可愛いイトコが居るからね」と言葉を付け加えた。
「その服、母さんが作ってたやつだろ。さすが花音に似合う色を熟知してるよな」
「え。あ、うん」
「デザインも夏らしくていいな」
そう言うとそっと私の肩に触れてきた。ノースリーブなので直接拓海の指の感触が肌に伝わる。心臓が苦しく震える。
「ちょっとあっちのアクセサリーも見てくるね」
明るい声でそう言って私はその場を離れた。拓海は指輪を眺めたままだったが、どんな表情をしているのかは見えなかった。
さほど待たされることなくネックレスの刻印が完了し、綺麗にラッピングをしてもらって店を出た。
「明日のいつ渡そうか」
「日付が変わったらすぐだな」
「え? 夜中に?」
「だってすぐにでも付けたいじゃん。今日は夜更かしして出掛ける?」
「さすがに夜中に出歩いたら伯母さまに怒られるよ」
「やっぱそうだよな」
「拓海だけなら何も言われないだろうけど」
「だよなあ。じゃあ夜は家で映画観ようぜ。レンタル屋寄って帰ろう」
拓海の弾んだ声を聞いて、本当に嬉しかったのだと伝わってきた。そんな拓海を見ていると私も嬉しくなる。一般的なイトコの関係とは少し違うかもしれないけれど、こんなイトコが居てもいいよね、そう思えた。
その夜、リビングはシアターになった。伯母は「適当に寝なさいよ」と私たちに声を掛けて寝室に消えた。センターテーブルにはポップコーンとコーラ。照明を暗くすると、映画館に居る雰囲気になった。
少し前に大ヒットした海賊映画を楽しむ。映画館と違ってソファーにゆったりと座って観られるのがいい。観終わって時計を見ると、もうすぐ日付が変わるという頃だった。
やっぱカッコイイよな。あのファッションもいいんだよな、などと話をしながらテーブルの上のものを片付け、寝る準備をして二階に上がった。
「ちょっと待っててね」
そう言って私は鞄の中からプレゼントを出して拓海の部屋に行った。拓海が嬉しそうな顔をして待っている。
「十九歳のお誕生日おめでとう」
「ありがとう」
受け取った拓海は箱を開けると、裏の刻印を確かめるように眺め、それからネックレスを私に差し出した。
「付けてくれるだろ?」
受け取ったネックレスをベッドに腰掛けている拓海に付けた。胸元で FROM KANON と刻まれたネックレスが光る。
「ありがとう。大事にする」
「うん」
少しの沈黙が訪れる。拓海の熱を帯びた視線がベッドの前に立っている私の目から唇、そして胸、腰に移動したのを感じ、一歩下がった。
「じゃあ、また明日ね。おやすみ」
拓海が身を乗り出す前に私は部屋を出た。心臓が早鐘を打っていた。離れるのがもう少し遅かったら、拓海は私の体に触れていたかもしれない。「彼女」として海に行っているとき、皆の前で触れているのとは違う触れかたで。
翌朝の拓海はいつもの口調で、腹減ったーと言いながら階下におりてきた。伯母と朝食の支度をしていた私も「おはよー。お誕生日おめでとう」と、これまたいつもの口調で声を掛けた。Tシャツを着ている拓海の首元にネックレスのチェーンがチラリと見えた。
「今日はあとで花音と買い物に行ってくるから」
「あ、そうなの?」
「ケーキ買ってくるね。あとはローストビーフだって。鎌倉のローストビーフ美味しいもんね」
「ローストビーフ、まじか!」
「拓海、めっちゃ好きだよねぇ」
「あれは最高に美味い。じゃあオレは洗車でも行ってくるかな」
その夜は伯父、伯母、拓海と私の四人で食卓を囲んだ。
拓海が小さかった頃の話で盛り上がり、その話の中には必ず私も出てくる。共通の思い出話に花が咲くのはとても心地良い。
此処は私にとってもう一つの家族──そんな気がしてしまう。こんなふうにこれからも一緒に食卓を囲んで笑い合って、傍に拓海が居てくれたらそれでじゅうぶん幸せだな。そんなことを思っていた。目の前に座っている拓海と目が合った。微笑む拓海はこの空間をどんなふうに思っているのだろう。
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