触れることさえできずとも
ミウ天
覚める。考える。叫ぶ。
劇的な瞬間に、人はどのような反応をするのだろう。
少なくとも俺は言葉が何も出てこなかった。
「…………」
目の前に存在するものから、視線を逸らすことなどできなかった。
いざこうなった時に、自分はどう行動すればよいのか、わかるわけがない。
「死んでる……」
とりあえずそう呟く。現実をとにかく咀嚼することが重要だったから。
それに、今更俺がどうこうしようが、
死体は何もしてこない。
赤いジャンプスーツの人が倒れている。髪や体格などから、おそらく男。
服が溶け出したかのように、その色と同じ液体が床に染み出している。
手にはナイフ。……様子から見ると、自殺のようだ。
「なんだっていうんだ……」
思わず独り言ちる。急に意識が戻ったかと思えば、見知らぬ薄暗いコンクリ部屋に死体が真ん中にぽつんとあり、あまりのことに動揺しそうではあったのだが、それ以上に俺自身の問題があった。
「俺は誰だっけ?」
状況を好転させるために、とにかく独り言を続けるしかない。そう俺は思った。
俺は何故ここにいるのか。ここがどこなのか、俺は何者なのか。
なに一つ思い出すことができない。
結果的に、この不可解かつサスペンス一色で塗りたくられた状況下で、叫び散らさずに済んでいるとも言える。
もし例えば俺が、普通の感性の一般人の記憶があったのなら、慌てふためき、叫び散らしていたことだろう。
……いや、正直この状況下でも驚くべきなんだろうけれど。
「とにかくどうする?」
無音は、正直怖い。恐怖心がないわけではない。誰もいない。薄暗い。人が死んでいる。さらには周りを見てみれば、唯一の出入り口は鉄格子で檻のようになっていて、部屋に閉じ込められている。
そんな状況で発狂しないのは、ひとえに自分の置かれた状況の複雑怪奇さと突拍子のなさで、思考を強制的に止めてくれたおかげだろう。とにかく、すべての理解が追いつく前に、俺はこの事態をどうにかしなくてはならない。
ひとまず俺は部屋の鉄格子に近付いた。閉じ込められていることから、開く訳がないだろうが、調べるだけでも損ではないだろう。俺はそのまま右手で鉄格子に触れようとする。
するりと、俺の右手は鉄格子をすり抜けた。
「………………………………………………は?」
手が、すり抜けた。俺の右手に、鉄格子が……貫通して…………。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああ」
一つの事実と、繋がった仮説が、俺の恐怖の理解を追いつかせてしまった。
自分の響く声で、わずかな理性を取り戻させると、俺は振り返る。死体のある部屋の中心へと目を向けた。
赤いジャンプスーツの男。
視線を自分の身体に変える。
赤いジャンプスーツを着ている。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
今度こそ俺は悲鳴を上げた。
ほぼ間違いなく、俺は死んでいるらしい。
そう理解してしまった。
「ねぇ! 誰かいるの!?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます