第4話 ~ 意外な依頼

 銃口を後頭部に突きつけられても平然としているユリシーズに、ロザリアは思わず笑ってしまった。ここまで覚悟を決めているとは、予想を超えていた。


「肝が据わっているな。いや、それよりも、ふっきれてしまったという表現が適切かな?」


 ロザリアに問われたが、ユリシーズは不遜に鼻を鳴らした。部屋に逃げた時はあれほど興奮していたにも関わらず、今は不思議と落ち着いている。


「さあね、自分でもよくわかりません」


「一応、聞いておこう。どうして私を殺そうとした? 君の母上のことか?」


「今さらあんたに話してもどうにもならないでしょう。さあ、撃ちたければ撃ってください。貴族のあんたが俺を殺しても『服飾品を奪おうとしたから』とでも言えば済むはずだ」


 そこでユリシーズは目を閉じた。暗殺を実行した直後は捕まらず逃げきれることに喜んだが、いざこうして追い詰められたことで、ここで自分は終わるんだと悟って腹をくくった。


 最期に残った気がかりは母や弟と同じもとへ行けるかどうかだ。しかし、その自分の願いも馬鹿らしいと思うことにした。悪事に手を染めた自分はきっと救われない。


 あとは死を待つだけだったが、ふいに後頭部から銃口が離れた。


 驚いたユリシーズだったが、すぐには振り返らなかった。窓ガラス越しに背後の様子を見ると、ロザリアは突きつけていた銃をそのまま懐にしまい、ベッドに腰かけて煙草に火を点けた。


「どういうつもりだ。なぜ撃たない!」


 ようやく振り返ってロザリアをにらみつけた。しかしユリシーズが怒鳴っても彼女は動じず、優雅に足を組んで煙草を吸っている。


「聞いているのか?」


「落ち着きたまえよ、ユリシーズ。一本、どうかな? スペインから取り寄せた煙草なんだが」


「……けっ」


 ロザリアがケースから新しい煙草を差し出すが、ユリシーズが顔を背けると勧めた煙草をまたケースにしまった。それから沈黙が続いた。窓に立ちつくしたまま彼女を観察するが、彼女はゆるりと煙を楽しんでいる。油断しているのか、警戒しているのか、まったく読めない。


 このままでは話が進まないと思い、ユリシーズは近くにあったイスを引き寄せて座ることにした。逃げても撃たれるだけなら、せめてロザリアの真意を知りたくなった。


「なぜ俺を撃たなかった? あんたがどうやって助かったか知らないが、せっかく俺を突き止めたのなら生かしておく必要はないだろう」


 煙をくゆらせるロザリアの横顔をにらみ、いつもの言葉遣いで問いかける。


 ロザリアは組んだ足に頬づえをついて、ユリシーズの方を見てきた。口元はやわらかく微笑んでいるが、細めた目に底知れぬ何かを感じ、少し寒気を覚えた。


「君に大事な要件があってロンドンに来たんだ。近くの高級ホテルに泊まった理由もそれさ。ガレキが落ちてきた時は驚いたが、こうして生きて君のもとにたどり着けたから、まあ予定通りだ」


「俺に要件だと?」


「そう、君だ」


 彼女の荒唐無稽な話に、イスから立ち上がった。


「なにを馬鹿なことを! あんたがロンドンに来たのはダービーのためだろう」


「それはもう一つの目的に過ぎない。いいや、これから始まる一大レースに比べたら、ダービーなどただの通過点だ」


 ダービーを通過点と言ってのけたロザリアに、ユリシーズはあぜんとした。この国におけるダービーは唯一無二の権威といっても過言ではない。『ダービー優勝馬の馬主になることは、一国の宰相に上り詰めるより困難』という言葉すらあるのだ。


 競馬というものを知っている人間とは思えない物言いに、さすがのユリシーズも固まった。


 そこでロザリアは灰皿で煙草を消して、手振りでユリシーズに『座れ』と指示した。従うのは癪だったが、ユリシーズは再びイスに腰を下ろした。


「さて、順を追って話そう。三年前のアフガン戦役にさかのぼるが『エリック・キングストン大尉の大脱出』というニュースを知っているか?」


「キングストン……いつだったか新聞で見たような気がする。一日で敵陣を突破し、アフガン軍の作戦を自軍に伝えて勝利に貢献した人だったか。敵地から脱出した英雄、勝利の立役者として報じられていたような」


「その通り。そしてそのエリック殿のお父上は言わずと知れた名門キングストン侯爵であり、若い時から競馬に造詣が深かった方だ」


「競馬……」


「ああ、そうだ。当然ながら従軍中のエリック殿が乗っていた馬も、お父上が手塩にかけて育てたサラブレッドだった。この名馬のおかげで捕虜だったエリック殿は敵陣から脱出し、英雄として帰国することができた……言うまでもなくキングストン侯爵は息子の帰国を喜んだが、野山を駆け抜けて息子を逃がしてくれた愛馬のこともおおいに激賞し、さらに競馬という競技にのめり込むようになった」


 そこでユリシーズはなにかを思い出したかのような顔をした。ロザリアは軽くうなずいてから話を続けた。


「そして侯爵家の名声はこの戦勝を機に絶頂を極め、ついに今年の夏、侯爵が主催する障害競走レースが開催されることとなった」


「それも新聞で見たぞ。どこかの貴族が、障害競走の大会を作ろうとしていると」


「ああ、それがついに始まるんだ。ダービーよりも過酷で、巨大な規模を誇る『キングストン・カップ』が来月の頭に開催する」


 落ち着いた口調で話すロザリアだったが、目の奥には力が宿っている。


「あんた、まさかこの障害競走に参加するつもりなのか」


「うん、もちろんだ」


「はっ、やはり貴族様は目指すことが壮大だな。由緒正しきダービーに続いて、新しいレースの栄冠も手に入れたいらしい」


 やれやれといった様子で首を振ったが、彼女は何も言い返さず真剣な目で見つめてくる。


「……なんだよ」


「率直に言おう。君にはキングストン・カップで私の馬に乗ってほしい」


 耳を疑う話に思わず固まった。あるいはロザリアの頭がどうかしてしまったのではないかと思った。


「いま、なんて言った?」


「耳が遠くなったか、ユリシーズ。私が育てた馬に君が乗って、優勝を目指してほしいんだ」


「悪い冗談はよせ」


「本気さ」


「ならもっと悪い。俺はあんたの一族を恨んでいて、殺しまでやろうとした。あんたのために騎手をやるつもりはない。それに障害競走の騎手なんて乗った試しがない。さっさと他の人間をあたるんだな」


「君が勝てば賞金で土地が手に入る。ご家族の墓を故郷に帰したくないか」


 家族と言われたユリシーズが目を剥いた。自分ですら触れたくない過去に、テューダー家の人間が踏み入ってきた。


「君の母上と弟は、こんな大都会の汚れた墓地で安らげるだろうか」


 さらにロザリアが問いかけたところで、ユリシーズは目の前のデスクに拳を叩きつけた。


「お前がそれを言うな! 俺たちはテューダー家のせいで故郷を追われたんだ。家族をボロボロにされた上でな!」


「当時の父はとても冷酷な人だった。私も父を止めたかったが力が足りず、多くの人に苦労をかけてしまった……だからこそ、こうして君の家族にも報いてやりたいと思って提案している。失った命は戻らない。しかし、今からでもできることはある」


 ロザリアの意見にユリシーズは苦い顔をした。以前から家族の墓を故郷に移してやりたいと願っていたが、平民のユリシーズにとって、それは爪に火を点しても叶わぬ夢だった。


 よりにもよって、それを提案したのはテューダー家の人間だ。


 理屈ではわかっていても、自分の無力さとテューダー家への怒りが絡み合い、どうしてもわだかまりを飲みこむことはできない。


「もう、やめてくれ」


 絞り出すようにつぶやき、イスから立ち上がった。


「あんたの提案は飲まない。その上で俺を警察に通報したいなら、好きにしろ。俺はこの酒場から逃げない」


 そう言ってユリシーズは杖を取り、ロザリアの前を横切って部屋を出ようとした。


「ユリシーズ」


 彼女に呼び止められ、ドアノブに手をかけたところで止まった。


「明日の十時半、私は会場があるコッツウォルズ行きの列車に乗る。もし心が決まったら来てくれ」


 ユリシーズは何も言わず、静かに部屋を出ていった。

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