第70話 運命を司る蝶
ソラにとって、巨樹の森は生まれ故郷と言っても過言ではない。
最初こそ、巨樹の森から離れた辺境の開拓村で住んでいたが、村の権力者によって追い出されて以降、人生の殆どを巨樹の森で過ごしている。
巨樹の森はその強大な力を持つ魔物が蔓延ってはいるが、基本的に森の内部は静寂が支配しており、時折聞こえる轟音は偶然にも出会ってしまった巨樹の森に住む魔物同士の戦闘の音だったりする。
普段、巨樹の森は静かなだけあって、一度騒がしくなるとその規模は大きくなる。それこそ、大怪獣バトルと言える様なもので、一発殴っただけでアルメヒ前線基地の外壁が崩壊しそうな程の力を持つ魔物も居るし、夜や月の種族である影狼のように、特殊能力を駆使して襲ってくる魔物も存在する。
今でこそ、それら魔物たちは圧倒的な実力者である太郎によって支配され、ソラの拠点である花畑周辺に近づいてくる魔物は殆どいない。
最近でこそ、光蜂が作る蜂蜜の臭いに誘われてやってくる魔物居たりするが、それも最近ではめっきりと減った。
「ここどこ……?」
そしてソラは今、そんな生まれ故郷である巨樹の森とはまた違った森へ彷徨いこんでいた。
「あの蝶、どこいった?」
巨樹の森と違い、薄暗く肌に張り付くような湿度の高い空間。静かな巨樹の森と違い、周囲には魔物や動物の鳴き声が木霊している。
強烈な環境の変化に戸惑うものの、苔がむす岩へと登ってこの地へ導いた妖しく輝く蝶を探すが、ソラの視界に映るのは鬱蒼と生い茂った森だけだ。
つまり今、ソラは遭難していることになる。
〈黒翅蝗〉の一件以降、特に問題もなく平穏な日常を過ごしていた。
いつものように太郎と一緒に巨樹の森へ狩りに出かけたり、拠点付近で遊んだり……
アリアが復活してからその傾向は強くなった。
「蝶?」
家の裏手に生える巨大な輝く木の下で本を読んでいたらふよふよと周囲を漂う光蜂の中で、一際目立つ輝きを見つけた。
その輝きは光蜂の輝きと違い、どこかワインレッド色に帯びた妖しさを感じる輝きを放ちながら周囲を舞っており、どこか清涼で明るい色を灯す光蜂達が住む花畑の中では場違い感が拭えない。
最初は新種の光蜂かと思ったんだけど、その妖しい光は蜂ではなく蝶だった。
鮮やかな紫と濃い赤の鱗粉を周囲に振りまき、何かを探すように周囲を漂う蝶を追うように見ていた。
(もしかして、以前見つけた芋虫なのかな?)
以前、家の裏手に生える輝く木の葉っぱを餌にあげた芋虫をふと思い出した。
あの以降、気が付けば芋虫は忽然と姿を消していなくなっていた。
拠点の周りには大量の光蜂が飛び交い、巨大なテリトリーを形成している関係上、光蜂の巣に近い小屋付近にやってくる光蜂以外の虫はとても珍しい。
どういう訳か、それら光蜂のテリトリーに入ることを許された不思議な芋虫はいつの間にか姿を消して、それ以降見ることはなかったんだけど、光蜂の巣に近い裏手の花畑を優雅に飛んでいる辺り、以前世話をしていたあの芋虫の可能性が高そうだ。
それ以外の虫を周辺で見かけないというのも大きいかもしれない。
「ん?こっちにきた?」
運命の再開という訳じゃないけど、あの芋虫だった蝶は周囲を飛んでいたら一直線にこちらのほうへ向かってきた。
どうしたんだろう?と思いつつ指先を差し出し、その先端に蝶を休ませる。
襲われるとも微塵も思っていなく、安心しきった様子で翅をゆったりを広げる蝶を観察しつつ、先ほどまで読書をしていた場所まで戻る。
木の幹に背中を預け、アリアに作って貰ったこの世界の言語の発音集を読む。
「Ls....aeoay」
文字は読めるけど、発音が分からない。
中途半端な翻訳スキルだけど、一から文字を覚えることに比べたら楽だし、一応アリアも古代魔法言語を話せるので分からないことがあったら聞くことが出来る。
その成果もあって片言で意思疎通が出来るようになった。ただ教師役をしてくれるアリアとしては、貴族社会で使われる言葉遣いまで覚えさせたいらしい。
なので暇なときはアリアお手製の学習本を使って勉強をしている。
一方、アリアとシロは調合の研究をしているみたいだ。
「わん!」
「どうしたー?太郎」
本を手に取り腰を下ろそうとした瞬間、何か異変を感知した太郎が物凄いスピードでこちらに駆けつけ吠えてきた。
何事だろう、そう思いなが太郎が珍しく興奮気味なのを落ち着けようと太の頭をなでようとした瞬間だった。
「えっ?」
太郎に触れようとした瞬間、まるでビデオテープが早送りされるかのように世界がブレる。
太郎の声はブツリと途切れて目まぐるしく世界が変化する。
『ギャア!?』
暗い緑色の肌に、潰したかのような醜悪な顔、近づけば鼻をつまみたくなるような臭いを放つ人型のモンスター。
実際に見たことはないが、ソラにとってその姿は前世の記憶で知っていた。
「ゴブリン?なぜこんなところに……」
ファンタジー世界においてもはやお約束的な存在である醜悪な見た目をした人型のモンスターであるゴブリン。
神の地にはそれら人型モンスターが生息していなかったのでこの世界にきて初めて目にした。
小鬼とも呼ばれ、一般的に子供サイズのイメージがあるゴブリンだが今殺したゴブリンは成人男性ぐらいの背丈を誇っている。
170センチ程度あるソラよりも一回り大きく、黒曜石のような黒く輝く短剣を持ったまま、ソラが繰り出した抜き手によって首元を貫かれ絶命した。
あてもなく知らない森を彷徨っていたらいきなり現れ襲ってきた結果、こうやって殺すことになってしまった。
ソラ自身、ゴブリンという存在を知っているし、この世界にやってきた頃は特に好んでモンスター図鑑を見ていたこともあって、それなりにモンスターに対する知識は持ち合わせているつもりだ。
「ゴブリンにしては大きいよな、ハイゴブリン?じゃあここは大陸北東部か?」
ソラが持ち合わせる知識上、この世界のゴブリンはソラよりも巨大な存在では無いはずだ。
一方、同じ人型モンスターであるオークは見た目が違いすぎるし、オーガに至っては3メートルを超える。
ならばゴブリンの上位種であるハイゴブリンである可能性が高い。
そして、ソラの記憶の中ではハイゴブリンが生息する場所は限られており、大陸北東部に位置する巨大な大森林、〈アオの大樹海〉と呼ばれる場所にのみ生息しているはずだ。
一説には巨大な魔素溜りが変異した土地であるダンジョンといった場所でも現れるらしいんだけど、一般的な自然の中で生息してる場所なら〈アオの大樹海〉で間違いないはず。
(困ったな……まだ南や西じゃなくてよかったけどさ)
大陸西部の覇者であるコーヴィス聖王国や大陸北部にある神の地から最も遠い南に比べたら飛ばされたと思われるこの〈アオの大樹海〉と思われる場所は不幸中の幸いともいえた。
西へ向かえばフロウゼルさんの祖国であるエマネス帝国領があり、南下すればアリアの祖国であるサラン公国が存在する。
一方、この〈アオの大樹海〉はどこの国の領土かというと、緑の国である〈ソバネ連邦〉と呼ばれる亜人の国の領土みたいだ。
(アリアの授業、聞いててよかったぁ……)
雨などの理由で外に出れない日はアリアにこの世界で広く使われる大陸共通語や地理や歴史について教えてもらっていた。
将来的に体制を整え、活動を再開するであろうアルメヒ調査隊と交流を再開する際に必要だろう、と言われ受けていたんだけど、未だ不十分ではあるけど
少しでも学んでいてよかったと心から思った。
特にアリアが自国や周辺諸国の地理や歴史から教えてくれたのも幸いしていた。
細かい地名や地方都市の名前は分からないけど、国を代表するような主要な都市ぐらいならある程度場所は分かる。
規模の大きな都市へ行けば自分が使う古代魔法言語を使える人も居るかもしれないし、カタコトであればこの世界で広く使われている大陸共通語も使えないことはない。
ただ、意思疎通が出来ればいいなぐらいの出来ではあるが……
「広い、さすが大樹海って言われるだけある……」
気温はそうでもないが、ソラが彷徨う場所はとにかく湿度が高い。
衣服が肌に張り付き、少し汗をかくとべた付いて嫌悪感が生まれる。
幸いにも襲ってくる魔物達はソラが片手間で倒せるほど弱いが、見た目が人に近く臭いもきつい。
獣臭さには多少慣れてはいるものの、ゴブリンから漂う独特な悪臭はソラの精神力をかなり削っていた。
(助けは来ないだろう……なら自力で拠点へ帰らないと)
ソラの心の中では妖しい蝶に飛ばされる寸前、猛烈なスピードでこちらへ向かってきた太郎の顔を思い出せる。
冷静でクールな印象が強い太郎だが、人間に嫌悪感を抱いたり、警戒したりといった様々な表情を見せる。
それこそ、ソラが本を読んでいる際に、背もたれ係をやっている時なんかは暢気にあくびをしたり、時折頬をペロリとなめてくることもあった。
意外と感情豊かな太郎ではあるものの、ソラの記憶上で太郎が焦ったような顔をすることは見たことがない。
普段、狩りの最中でも行わないような全速力で駆けつけてきた辺り、太郎はこれからソラに降りかかるであろう異変を予知していたんだと思う。
そして、ソラは謎の蝶に導かれて〈アオの大樹海〉と思われる場所に飛ばされてしまった。
〈アオの大樹海〉はその名の通り、広大な面積を巨大な大森林が覆っている。
それこそ、ソバネス連邦の国土の約八割をこのアオの大樹海が占めており、面積だけで言えば巨樹の森なんかよりも何倍も大きいだろう。
特に大樹海の中心部は深部と呼ばれ、その深部に限れば、神の地と呼ばれる北サンレーア地方のように人類未踏の地になっているそうだ。
そんな場所に、ソラは身一つで放り投げだされている。
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