第34話 フロウゼルの独白③

 彼は不思議な人物だった。


(未開の大地の原住民のはずなのに、所作はしっかりとしている)


 会談用に出した紅茶と菓子


 それに淹れられる茶器ひとつで、帝都にそれなりの家が立つほどの価値がある。


 帝都から呼び寄せた家に仕える給仕の女ですら緊張している


『うん、爽やかな香りで飲みやすくて美味しいです』


 一言一句、他意を混ぜること無く翻訳するように命じているラロッソが彼の言葉を正確に翻訳し、そう私に伝える。


 向かい側のアーシェの隣に座る全身黒ずくめの装備を着た男


 そのデザインは帝都では珍しいものの、服飾技術が発達する協商連合で広まっている衣装に似た物だった。


 流行の最先端と呼ばれる協商連合から仕入れてきたのか?


 一定以上の所作を見せるに、それなりに知能はあるもだろう


 未開の地の原住民とは言え、文明に触れていない様な野蛮人と見なすのは早計だと思う


 少なくとも帝都の平民クラスには知識がある筈だ。


 であれば、私達がすることは尊敬と感謝を持って彼を歓迎することだ。








(捨て子・・・・・・というのも、あながち間違えでは無いかもしれないな)


 1ヶ月が経ち、彼と2回目の面会を経て、様々な事が分かった。


 ソラと会話して、最初に思ったことは彼が穢れを知らない善人だということ


 悪く言えば世間知らずなお人好し


 この世界において、栄華を極める帝都であっても、無事に越冬できるか怪しい辺境の寒村であっても


 そこに住む人間は何かしら警戒心というものを持っている。


 誰しもが初対面の人間に対して口を開こうとしないし、身の上話すらしないだろう


 そんな警戒心を持っていない人間と言えば、余程裕福な家の出で、両親から甘やかされて育った子供ぐらいだ。


 そんな奴らは総じてわがままで常識を知らない、時には決して反抗してはいけない目上の者に抗って怒りを貰い、家を潰すことだってある。


 ただ楽しそうに話すソラからは、その様な愚か者の空気を感じない


 試しに私が貴族の出だと告白しても、一定以上の配慮はあってもかしこまった様子もない


 平民ならこれを聞いて目線すら合わせなくなるほどなのだがな


 様々な性格の人間を見てきたが、ソラのような男は初めて出会った。






「これは・・・・・・蜂蜜か?」


 彼が再度基地を訪れて持ってきたのは、黄金色の美しい液体が入った容器


 その容器からは今まで嗅いだことのない甘くも優しい上品な香りが漂う


 食用ではあるだろうが、この匂いだけでも帝都の貴族はこの蜂蜜を買い占めるだろう、そう思うほどの衝撃だった。


 チラリと後ろを見てみれば、念のために連れてきた通訳係のカエラと給仕の女がうっとりした様子でソラが持ってきた蜂蜜を凝視している。


(これはマズイな、刺激が強すぎるかもしれない)


 貴族出身である私には催淫効果や毒物への耐性がある聖遺物を所持し、複数身につけている。


 ただそれでもこの香り豊かな蜂蜜は私の思考に靄をかけさせる。


 つまりはこの蜂蜜が持つ効果が聖遺物で防ぎきれないほど、強いと言う事


 もしくはこの地特有の毒物という可能性もあった。


 しかし


(今頃になって私達を害する事をするか?彼が)


 彼は私が見たこと無いほどの善人でお人好し


 疑うことを母親の腹の中で置いてきたんじゃないか?と思うほどだ。


 そんな彼が態々この基地の中で毒殺を仕組むとは考えにくい


 部屋の外には守衛が待機し、テーブルの上に置いてある呼び鈴を私が魔力を込めて鳴らせば、異変を察知した兵士たちがこの部屋に突入するだろう


(いや、彼はなんにも知らなそうだ)


 匂いだけで人を惑わし、魅了する魔の蜂蜜


 慣れているのか、彼はその蜂蜜を目の前にしても変わった様子はない


 むしろ早く食べて感想を聞かせてくれ、と言いたげな目で見ている。


 ・・・・・・いや、彼の様子からして寧ろ自分も早く食べたいのだろう


 表情は顔につけている仮面で分からないが、どうもうずうずした様子で落ち着きがない


 帝国でも、目上の者や客人に対して先に菓子や食事をする者はいない


 こちらの常識で言えば、彼は私が食べないとフロールを食べれないということになる。


(たべ、てみるか・・・・・・)


 匂いだけでこれなのだ、もし一滴でも口に入れたらどうなるか私にも想像が尽かない


 見た目はただの蜂蜜だ。


「うっ!? 」


 意を決してフロールをスプーンの様に使い蜂蜜を掬う


 最初に知覚したのは、極上の甘みと口いっぱいに広がる甘ったるい香りだった。


 貴族の男連中が気に入った平民の女に使う媚薬のような、ただ甘ったるいだけの物ではなく、優しく包み込む様なまろやかさを感じる。


 有り体に言えば、この世の物とは思えないほどの甘味だった。


 あれほど粘り気の強いとろみは口に含んだ瞬間、溶ける様に消えて喉を通る。


 そして体内に収まればそこからは膨大な熱量が腹の底から湧いてくるようだ。


 最初は麻薬の類かとも思った。


 一口摂取しただけで得られるこの高揚感や多幸感はただの蜂蜜ではないだろう


(魔力が・・・・・・)


 試しに右手を開いてみると、全身を通る魔力が活性化し手先まで満ちている。


 この蜂蜜を摂取したことで私の魔力が活性化したのか?


 元々貴族の中でも、私の魔力量はかなり多い部類だ。


 適性も風を中心とした火、水の三種類を使える。


 そしてなぜか、私の身体からは本来あるはずの無い雷の魔力が帯びていた。


 何故?そう思ってしまうが、その理由はこの蜂蜜にあるだろう


 ただ原理が分からない、魔力を活性化させる薬は帝国にも存在するが、そこに待ち受けるのは耐え難い苦痛と使用後の廃人化


 死兵となった騎士が、死を覚悟して使用する物であり、その効果も受ける苦痛に比べて微々たるもの


 そこには全身を針で刺されるかのような苦痛と、己の精神をすり潰すような幻覚だ。


 使用した敵兵を見て、相手側が思わず可哀想だと思うほど、残りの命を一気に燃やすかの如く、悲惨な最後が待っている。


 ただ私が今受けているのは抗いがたい幸福と快楽だ。


 この蜂蜜は危険だ。


 匂いを嗅いだ時点で分かっては居たが想像以上だった。


 


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