聖女アリステラ
一仕事終えたアリステラが報告をするために『街』に帰った日のこと。
アリステラはとある噂を耳にした。
――西のジャリスア王国が滅びたらしい。
皆に愛された国王と、国を守るための【鉄壁の騎士団】がそれを支えた国。
アリステラにとっては因縁深い――出身地。
噂を聞いたアリステラは居ても立っても居られなくなり、次の仕事を断ってその足で旅立った。
五日後、アリステラとデクシアはかつて繁栄を極めたその地を訪れる。
だが、王国は見る影もなかった。
空を覆うほどの暗い瘴気が溢れ出し、辺り一帯に陽の光は届かない。
溶けるようにして崩れた建物の数々。
毒の沼のよう広がる穢れに、瘴気の吹き溜まり。
崩れた城壁は壁の役割をせず、街であった瓦礫の隙間からは蔓延るアンデッドモンスターが顔を出す。
王城だったものは瓦礫の山と成り果てて、今や元の姿を想像することは難しい。
『あーぁ、こりゃひでぇや』
背負われたデクシアは街を見るなり、他人事のように笑い飛ばす。
アリステラはその言葉を無視して、自身の周囲に【
繁栄を極めたメインストリートも今や開けた瘴気の流れ道――
アリステラはそこにあったかつての賑わいを思い返しながら、過去を辿った。
わたしは本当の親の顔を知らない。
赤子のわたしは教会の前に捨てられていて――
わたしの親は拾ってくれたマザー、ただ一人。
面影もないメインストリートであったのだが、どうもそこを眺めていると、マザーに連れられ初めて街へと出た時のことを思い出す。
マザーが本当の親じゃないことは、子供ながらにわかっていた。
そんなわたしの気持ちもわかって、マザーは優しくしてくれた。
そうしていつか、マザーのような優しくも厳しいシスターになることを夢見ていたはずだった。
だが、アリステラの運命が変わったのは10歳になったとき――王国の制度によって魔力適性試験を受ける歳になったときのことだ。
将来のため――と銘打っているが、要は国のための人材育成をはかるためのもの。
アリステラはその試験で驚異的な数値を叩き出してしまった。
将来は国を支える国家魔導士、はたまた大聖女か、と国の重鎮らに噂され、アリステラは騎士団と共に国を守る聖女に選ばれた。
マザーも大抜擢な栄進に大喜びをしてくれた。
その喜ぶ顔が嬉しくて、アリステラも笑顔でこたえた。
今まで何も恩を返せないと思っていた自分にもできることがある――そう気づかされたアリステラは、国を守ることに従事するために魔法の訓練を受けはじめる。
境遇もあり、きつく辛いことも多い訓練生活だったが、アリステラの生まれ持った才能は段々と周囲にも認められて、力を伸ばしていくことに成功した。
そうして5年後――聖女という地位を確かなものとしたアリステラは、国の第一騎士団【鉄壁の騎士団】つきの聖女として国の最前線を守ることとなる。
聖女の役割は、仲間を強化魔法で援護して、回復魔法で補助し、味方の士気を高めること。
最前線であるからに隣国との緊張した関係や、襲い来るモンスターの討伐など、アリステラ自身も戦場を駆けることとなる。
だがその危険や苦労も――マザーの笑顔を思い返せば、アリステラにとってはなんともなかった。
アリステラは崩壊した街を進む。
そして、かつて王城であったものの成れの果てを見上げた。
『ガハハハ、こいつは傑作だ。
あの立派だった城もこれじゃーな!』
デクシアは嬉しそうに笑っている。
それもそうか、とアリステラは納得した。
自分を取り囲んで長年閉じ込めたものがこうもなってしまえば、笑いたくもなるだろう。
「……ほんと、呆気ない」
『ガハハハ! アリステラも笑えばいい!』
「そんな気分でもない」
そうして瓦礫の山を見ていると、あの日のことを思い出す――
アリステラが聖女として戦い続けて2年。
アリステラの力は王国に欠かせないものとなっていた。
【鉄壁の騎士団】団長はアリステラの境遇にも同情してくれ常に気を掛けてくれて、アリステラは無意識にこう考えるようになっていた――父親というものがいたのならば、こういう頼れる存在であったのだろう、と。
騎士団長の支え、マザーの支えがあって、アリステラは国を守るために戦い続けた。
戦い続けることができた。
そのような折――アリステラは事件に巻き込まれる。
アリステラの活躍を快く思わなかった者が国内に存在することを、アリステラ自身も十分に把握していた。
だが、それが国の転覆をも狙う一派だったことは、アリステラには想像するのが難しかった。
密かに暗躍し進められていた国王の暗殺計画、その実行日。
アリステラは常に王城に張り巡らせていた【危機感知の結界】にてそれをいち早く知ってしまい、国王を守るために独りで駆けつける。
国王の寝室にて、暗殺者と一対一で戦った。
しかし、アリステラは王を守ることができなかったのだ。
それもそうだろう。
聖女としての訓練を受けていようと、聖女は一対一で戦うことを想定した役職ではない。
多少なりの戦闘スキルがあったところで、相手が王の命を狙うようなスペシャリストであったならば、力が及ばないのは当然のことだった。
国を騒がせ、隣国や世界すらも震撼させる一大事件、皆に愛されたはずのジャリスア王が暗殺された。
その場にいたアリステラは自身の無力さを嘆いたのだが――それどころか、国王を暗殺した犯人であると仕立て上げられてしまう。
全てアリステラの躍進を快く思わなかった者の策略である。
犯行現場に一人でいたアリステラは騎士団によって取り押さえられ、聖女としての力が国外へ漏れることをも恐れられ、処刑が即決即断されてしまう。
アリステラは無実を訴えたのだが、用意周到にでっち上げられ捏造された証拠がそれを否定した。
親なしの聖女やら――悪魔と契約した魔女やら――と、アリステラを心無い言葉が責め立てた。
今までの活躍もたった一つの濡れ衣をきっかけに、全てがひっくり返る。
眩しかった世界は暗くどん底の世界へと変わってしまった。
なんのために頑張ったのだろう。
なんのために戦ったのだろう。
処刑を明日に控え、城の地下牢に拘束されたアリステラはただただ暗闇を眺めて嘆き続けた。
自分が生まれ持った境遇を。己の無知さを。強すぎた力も。
――ガハハハハ、人の怨嗟は気分がいい!
独り響いた慟哭に
結論から言えば、アリステラは騎士団長の計らいで逃がされ処刑を免れた。
国を抜け出して逃げ出した。その手に笑う魔剣を握りしめて。
その後、騎士団長がどうなったのかをアリステラが知る由もなかったのだが――国がこうなってしまっていることを考えれば、無事ではいないだろう。
アリステラは過去を思い返し、嫌な思い出のほうが多く詰まる城であったものへと背を向けた。
面影は全くない街並みであったのだが、記憶の中の慣れ親しんだ帰り道を思い返して歩みを進める。
アリステラが目指した目的地――そこは、思い出の中に近いままの姿を残していた。
屋根の上に取りつけられた大きな十字架はそのままに、溶けてしまって穴が開いた屋根や壁では野晒しとそう変わらないだろうが、教会としての形は残っている。
アリステラは思わず涙ぐんでしまう。
あの日「ただいま」を言えなかったその場所に、当時の気持ちを思い返して足を踏み入れる。
礼拝堂内部は瓦礫に押し潰されて、ほとんどが原型を留めていなかったが、神聖な場所としての教壇は形そのままに当時の雰囲気を残していた。
アリステラにはそこに立っていたマザーの姿が今でも思い返せる。
『ここがアリステラの家だったってわけか』
アリステラの感情を察してだろう、いつものよう笑いはせずにデクシアが言葉を発す。
「そう、わたしの家」
当時を思い返して感傷的な気持ちになってしまったアリステラは、静かに教壇へと近づいた。
マザーがそうしていたよう真似をして、教壇に向かって立つ。
そこから見える光景はかつて思い描いたものとは程遠い――瓦礫に潰れ、瘴気に汚染された礼拝堂。
だが、アリステラにはその光景ですら眩しく輝くように映って、視界が白い光で埋まっていく。
頬を一粒の涙が伝って――止めどなく溢れる想いをこらえることができなかった。
わたしはただ大好きだったマザーに恩返しがしたかっただけ。
そのために辛い訓練にも耐えたのに。
そのために国にだって、騎士団にだって貢献したのに。
ただ
本当の親だっていらなかった。
こんな力いらなかった。
聖女になんてなりたくなかった。
わたしはマザーのような優しいシスターになりたかっただけ。
なのに、どうして、わたしは、大好きだったマザーを守る権利すら奪われなきゃいけないの――
逃げ続けるだけだったあの日には吐き出せなかったものが、全て涙として流れ出し、アリステラは目を腫らしながら子供のように泣き喚き続けた。
数分の間、魔剣デクシアはその様子を笑いもせずにただ静かに見守った。
アリステラが展開していた【空間認知阻害】の効力が薄れ、教会辺りには生者を求める死者――アンデッドモンスターがうようよと集まりはじめる。
『……集まってきやがったぜ』
アリステラが気持ちを吐き切るのを待っていたデクシアも、黙っていられなくなったように言葉を発す。
アリステラは手で涙を拭いながら教壇の引き出しを開けた。
その中にはマザーが大事にしていた銀の
教会の中に骨だけとなった元人間のモンスター、腐蝕と穢れに侵された
モンスターたちは王国の鎧を身に着けた体に、手にした錆びついた剣を振り上げて、教壇目掛けて進んでくる。
アリステラは銀の
「デクシア、ご飯の時間よ」
『うぇ、腐った魂を喰う趣味はねぇよ』
魔剣デクシアを抜いて、アリステラは腰を据えた。
『けどまあ、アリステラを喰われるわけにもいかんからな』
そのまま両手でデクシアを振るって、アリステラは近づいてきた一匹目の
王国の鎧――かつての同僚だったかもしれない。
だが、アリステラはただ冷たい眼差しを向けたままに、剣を振るい続けた。
『アリステラは俺のもんなんだよ! ガハハハハハ!』
デクシアが大笑いを上げたのと同時に、アリステラの影が不気味に伸びた。
影はまるで触手のように分かれて無数に広がっていき――
その影に触れたものを切り裂いて、切り裂いて、ザクザクとバラバラに、切り裂いた。
散らばるモンスターの骨や鎧の欠片、粉々となる瓦礫。
地響き伴うような轟音に、ただ静かにアリステラは影の中で佇み、デクシアの食事を待った。
暴れる
崩れる教会もモンスターたちも、辺り一帯はアリステラの影に喰われて散る。
瓦礫の山すら残らないそこを後にしたアリステラは、その手に魔剣デクシアを添え、振り返らない。
教えてもらった優しさは思い出の中だけでいい。
許すも、許せないも、もうここには存在しない。
断罪するべき罪は、既に裁かれている。
ならばわたしは――マザーの教えに従って、全てを許そう。
決意を灯した眼差しのままに、暗闇の中で金髪と笑い声だけが震えて揺れた。
断罪の刃は暗闇に揺れて笑う よるか @yoruka_kaku
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