断罪の刃は暗闇に揺れて笑う

よるか

笑う魔剣


 暗い夜空に星は流れない。

 薄い雲が月を隠し、ぼんやりとした明かりがひらけた平原、小高い丘に孤立する大木を映し出した。


『ガハハハ、簡単な仕事は楽でいい』

「……あなたのおかげでね」


 木の樹冠より突き出した太い枝の上に、人影一つ声は二つ。

 闇夜に揺れる金髪が薄い月明かりを反射した。

 周囲に敵意へ反応する【危機感知の結界】を張り巡らせて、元聖女は存在を示す。

 そうして木の中で一人、幹に背を預け、夜明けを待っていた。


 こういう空は嫌いだ。

 夜の闇を見つめていると辛いことをたくさん思い出してしまうから。


 その気持ちを察したのだろう。

 同行者は口も無いのに語りだす。


『それにしてもいいのか、アリステラ』

「……何が?」


 アリステラと呼ばれた元聖女の手には、華奢な体にはそぐわぬ大振りな両刃の両手剣が握られていた。


『逃がしただろう一人。依頼の要件は全滅だったはずだが?』

「デクシアはほんと心配性。構わないでしょう、子供の一人ぐらい」


 刃と見つめ合うようにして、アリステラはデクシアと呼ぶ剣に返事をした。

 何らかの理由で悪魔の魂が封印されたと言われる魔剣。

 大層な肩書を背負っておきながら、どこか律儀で大真面目だ。


 アリステラが受けた依頼はたしかに盗賊団の全滅。

 傭兵として生計を立てるアリステラにとって、依頼は守られるべきものではあるのだが――要件通り、『盗賊団』は全滅させたのだからいいだろう、とアリステラは開き直る。


『そうか?』


 納得がいかなさそうな返事を聞いて、アリステラは「はぁ」とため息で返事をする。

 アリステラがゆっくりと息を吸う暇もなくデクシアは言葉を続けた。


『って、ほら案の定だ』


 デクシアは人の魂の気配に敏感だ。

 その言葉に少し遅れて――アリステラの張り巡らせた結界内に敵意を持って侵入した者が現れた。


『そのまま逃げたらよかったものを……ガハハ、今夜もお客さんだ、アリステラ』


 アリステラは返事をせず、木の枝から飛び降りる。

 同時に空を覆った雲が晴れ――月明かりにその横顔が照らされた。


 ガラス細工のように透き通る白い肌に、幼さが残る美しい顔立ち。

 涼しい表情で遠くを見つめる灰色の瞳。

 黒鉄の額当ての下からは、輝く金色の髪が夜風になびく。

 その輝きとは真逆、闇に溶けるような黒い鎧を身に纏い、

 両刃の両手剣、魔剣デクシアを手に、アリステラは小高い丘の上に立つ。


 女一人の傭兵稼業、夜の闇に紛れて襲い来る『お客さん』は珍しくない。

 アリステラは「よく舐められたもんだなぁ」と、どこか他人事のように考えてしまう。

 そのほとんどがデクシアの餌になるだけ。だから敢えて・・・結界を張っているというのに。


『ガハハハ! いいよな! アリステラ!』

「待ちなさい」


 今にも事に及びそうになるデクシアを制止する。

 その一言で笑うのもやめるデクシアは、やはりどこか律儀である。


 闇夜の静寂の中、ザッザッと膝丈ほどの草を踏みしめる音を鳴らして、その者は目の前に姿を現した。

 震える手で短剣を構え、アリステラのことをまるで悪魔でも見るかのように、怯える目をした少年――アリステラが数刻前に盗賊団を壊滅させた際、その親分に逃がされるようにして立ち去った子だ。


 まだ純粋な目を残した少年が、盗賊団の元に拾われた孤児なのだろうことはアリステラにもすぐわかった。

 だから追わなかったのに、と思わなくもない。


「お、おまえが……親分を……!」


 震える声で少年は怨嗟えんさを向ける。

 思い当たることのあるアリステラだが、ただ少年のことを見つめ続けた。



――やはり、夜の闇は余計なことを囁く。だからわたしは夜が嫌い。


 震える言葉に、震える手。

 涙ぐんで震える視線――

 それらを見ていると、なんだか昔の自分を思い出してしまった。



 か弱く何も知らなかった子供でいた頃。

 わたしもただ一人で身寄りのいない孤児だった。

 拾って育ててくれたマザーは教会のシスターで、真っ当な道を教えてくれた優しい人だった。

『許すことこそが断罪なのです』

 マザーの言葉はわたしを救ってくれた。


 散々に悪事を働いた盗賊団と少年。

 きっとそこにはそれなりの優しさもあったのだろう。

 けれど――そこにあるのは人のけがれの上に立つ砂の城。


――まあ、今のわたしがどうこう言える義理でもない。



 アリステラはただただ冷たい眼差しを少年にぶつけていた。

 力を抜いて剣を構えもしないアリステラに、余計に恐怖を覚えたのだろう。

 少年は手にした短剣を構えたままに突進する。


「うわあああああ!」


 行き場のなくなった思いは衝動的で――ただ単調な攻撃は見切るのが容易い。

 アリステラは慣れた動作で半歩下がると、短剣を手にした少年の腕を掴んで制止した。

 か細いしなやかな手から感じた力に少年は驚いたようで、手にした短剣を落として呆然としてしまう。


『ガハハハハ、いくらなんでも無鉄砲すぎるぜ』


 口をつぐむアリステラから聞こえた笑い声に、少年は驚き戸惑うように視線を泳がせた。

 逃げ出したくても腕を掴まれていては、身動きが取れないだろう。


「わ、笑う……魔剣?」


 アリステラの手にする剣を見て、少年の表情が青ざめた。


『アリステラ、もういいか?』

「ダメ、バカ魔剣」


 まるで剣と会話をするようにした様子に少年は一歩下がる。

 アリステラがその拍子に手を放すと、少年はそのまま足腰が立たなくなったといった様子で尻餅をついて座り込んだ。


「金髪黒鎧に、笑う魔剣……アリステラ……それじゃあ、あんたが噂の……」


 落とした短剣を目で追うこともなくすっかり戦意を喪失してしまった少年は、ついには涙を流しながらアリステラを見つめていた。


黒影こくえいの魔女アリステラ……」


 名を呼んだ少年にこたえたのは、アリステラではなくその影に潜む魔剣デクシアだった。


『金髪黒鎧の女なんて、他にいないだろうがよ。

 一目見てわからないか? それが命取りってやつだぜ』


 罪を犯したものをどんな手を使ってでも断罪する最強クラスの傭兵――黒影こくえいの魔女。

 辺境の田舎を活動地域とした盗賊団の端くれであった少年でも、その名を噂に聞いたことがあったらしい。


 金色こんじきに輝く髪、血濡れた黒鎧。

 断罪の刃は笑い、罪は黒影こくえいにて償われる――と。


「まさか、その噂の傭兵が、まだ子供だなんて……」


 そう口にした通り、少年は夢にまで思わなかったのだろう。

 アリステラはまだ18歳。

 それに傭兵という言葉から連想される屈強なイメージもない小柄な体型だ。


「はぁ」とため息を一つ吐いて、アリステラは言葉を続ける。

「あなたに言われたくはないけれど」

「ひっ、ご、ごめんなさい」


 冷淡な口調に命の危険まで感じたのだろう。

 少年はその場に頭をついて、謝りはじめてしまう。

 アリステラはその態度に「やりづらいなぁ」と考えつつも口を開いた。


「わたしのことを恨みたいならそうしなさい。

 でもあなたはまだ、引き返せる。

 これからは自分の立っている場所をよく考えて行動するのよ」


 顔を上げた少年は戸惑い考えるような表情をして、アリステラと目を合わせた。

 手にした魔剣を背負った鞘へと戻すアリステラを見て、少年はゆっくり立ち上がる。


『あーぁ』と、背負われたデクシアは実につまらなさそうにため息を吐いて返事をした。


 何も言わないアリステラを一瞥した少年は一礼してから振り返り、来た道を走り出す。

 声を押し殺すようにして背を向けた姿に――アリステラはあの日逃げた自分・・・・・・・・を重ねる。

 少年の姿が遙か遠方に見えなくなるまでその様子を眺めていた。


『いいのか? 行く当てもなさそうだったぞ』

「見つかるでしょう、行く先くらい。ああやって走り出したんだから」


 アリステラは涼しい顔をしたまま、少年の消えた先を見据える。


『モンスターに食われちまうかもしれないぜ?』

「そのときはそのとき。それが運命さだめだったというだけよ」

『こういうことは後から面倒ごとになるかもしれないなぁ?』

「それはわたしの自己責任。そのときはそのとき」

『ガハハハ、便利な言葉だな、おい』


 夜の闇に溶けるようにして――笑い声と金髪が揺れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る